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2014年02月 アーカイブ

2014年02月26日

台湾(5日目・終)

飛行機は午後2時半ですので、今日は帰るだけ。
でも一応……と見逃していた迪化街を軽くスキャン。
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乾物、漢方、その他いろいろ。静かなアメ横みたいな。
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戻って、Melange Cafeでとうとう水出しコーヒーと苺ワッフルに邂逅ですよ。
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こちらのワッフルってぎっちり詰まってますね。
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在台北友人のおすすめには少しの外れもないな。拍手。
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バスに乗って1時間、桃園空港からさようならです。
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えいやで休みを取って出掛けた台湾、本当に楽しく過ごしました。
「また来たい」と思ってしまうほど豊かな資源を持った所だと思う。

と同時に、ビジット・ジャパンとか訪日観光客1000万人誘致とか、中国人観光客に日本に来てもらってお金を使ってもらおうとか、なんだか金づるとして観光客を捉える政策ってどうよという普段からのもやもやが少し像を結んだような気もしました。それは同行者の言葉を借りれば「欧米観光地と、金づると見られた日本人観光客」というかつての関係が再演されようとしている(そして成功しないかもしれない)だけなのでは、という疑いが沸きます。

そもそもお客を効用の観点で見ることに違和感がある弊管理人ですが、仮に観光と効用を結びつけるにしても、温かくもてなして、ファンになってもらって、リピーターになってもらって、政府と政府の間でちょっとした事故が起きたくらいでは戦争になんてならないような関係を持った国を増やしていくということを目指すべきなんじゃないかな。

とか、なんかいろいろ考えた旅行でした。
濃かった。楽しかった。天気にも恵まれた。
あと次は少しは言葉と歴史を勉強して行かないとね。

2014年02月25日

台湾(4日目)

本日は台北中心部からバスで1時間半くらい離れた九フン(份=にんべんに分)と金瓜石に向かいます。

その前に、在台北友人から教わったMelange Cafeで朝食だ。
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本当はダッチコーヒー(水を1滴ずつたらして時間をかけて抽出したやつ)と苺のワッフルを勧められたのですが、朝9時半からのメニューだったようで。最終日に回すことにしました。モーニングも十分うまかったけど。

MRTの忠孝復興駅で降りて、基隆客運のバスに115元払って乗ります。
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車窓から見えたお墓群。沖縄っぽいですね。
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終点の金瓜石。
年表によると、19世紀末に清朝が金山の開発を始め、日清戦争後に日本が入って引き継ぎ、第二次大戦後は1987年まで台湾政府が採掘を進めた場所のようです。2000年代に入って史跡として注目され、ビジターセンターや博物館区が整備されてきた模様。
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「金瓜石太子賓館」は、皇太子(後の昭和天皇)の視察計画に合わせて1922年ごろに建造された日本式の建築です。
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トロッコ。観光客もちらほらいた。
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坑道が見学できます。
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佐渡にもこんなのがあったような。
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山をずんずん登っていくと「金瓜石神社(黄金神社)」跡があります。
1933年、日本鉱業が建立したもので、戦後に破却されたという。
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これは何の花だろう。
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こちらは金運獣というありがたい動物らしい。
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神社から降りて博物館の展示を見たりしていたらお昼になったので、売店で「鉱山弁当」を買って食べました。
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包んでる布と、竹の箸と、ステンレスの弁当箱が持ち帰れる。峠の釜飯みたいです。

さてさて、バスでちょっと戻って九フンへ。こちらは観光客でいっぱい。
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これはなんだろう。肉が中に入ってるような。
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犬と自分にメシを食わせるおじさん。
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目当てはほぼ一つで、在台北友人から教えてもらった「阿柑姨芋圓」。
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入り口で「冷たいの」を買って奥へずんずん進むと、絶景を見ながら食べるコーナーがあります。
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芋団子と豆を甘く煮たやつを氷の上にぶっかけたスイーツですな。うまーい。
「通りの入り口のあたりの店じゃなくて、ちゃんと一番上まで上ったところのお店に行くのだ!」との友人アドバイスに従った甲斐がありました。

「九份茶房」も覗かせてもらいました。
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ルックアウトから眺められる景色はこんな感じ。ちょっとガスってますが。
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土産屋で見つけた……
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「悲情城市」の撮影地らしいですよ。そのうち見てみよう。
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では、台北に戻りましょう。
午後2時か3時くらいには戻ってくるだろうと思っていたところ夕方になってしまったので、ものすごい勢いで色々回りました。
台北のアキバみたいな通りを抜けて、日本統治時代の酒工場跡を改装し、芸術・文化系の施設が入る「華山1914文創園区」へ。
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カフェも。
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タクシーで日本人観光客に超有名らしい「百菓園」に転戦し、フルーツかき氷を食らう。
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うめー!これうめー!釈迦頭という日本ではまずお目にかかれない果物を初めて食べましたよ。

さらにタクシーで、今度は煙草工場跡を利用した「松山文化創意園区」へ。
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近代国家における煙草や酒の専売の位置づけや、歴史的建造物の再利用、台北のアート事情など考えている時間もなく移動(笑)国父紀念館へ。
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日没間近の公園はなぜか、凧揚げの人がいっぱいいました。
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なんでこんなに急いでいたかというと、18時に在台北友人、台湾研究者友人と待ち合わせしていたからです。
ぎりぎり間に合って夕飯へ。
途中、眷村文化公園に寄りました。外省人(本土から来た人)の軍人と家族の居住地だったところで、台北101の近くにあります。台北101は2004年、世界一高いビルとして竣工したそうです(2007年にドバイのブルジュ・ハリファが抜いた)。
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ここもアートスペースや雑貨店、飲食店などが入っています。歴史的建造物をしっかり残して新しい利用をするというのがいいなあと思ったり、しかしこの辺の歴史って全然知らないなあと反省したり。

ごはんは小籠包の超有名店(らしい)「鼎泰豊」ですよ!
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すっごく人が待っていたものの、回転のよさと収容力の大きさでそう待たずに入れました。
小籠包に18個のヒダを入れる職人さんたち。
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素敵すぎる小籠包と海老ワンタン。
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魅惑的肉野菜餃子!
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あと、チャーハンと牛肉麺もいただきました。サーブがとても速い。
ごちそうさまでした。どれも大変おいしかったです。
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ついでに、台北101の免震装置をかたどったゆるキャラ氏。
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なんかキャラとかデザインとか、すごく上手だと思う、ここの人たち。なぜだろう。
台北101のふもとは、本土からの金持ち観光客をあてこんで作ったらしい高級ショッピングモール。
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ちなみに竹が成長するようなデザインなどと言われるこのビルですが、在台北友人は「昔は刑場だったので、悪いものが出てこないように剣が突き刺さった形になっている」説を紹介。それはやばいw

本からおされ系の品まで揃う誠品書店を見たあと、バスで少し移動して、市政府駅近くにオープンしたICE MONSTERでかき氷。
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対照物がないので分かりにくいですが、かなりでかいです。4人で2個で十分でした。
苺とマンゴー。果物関係は外れなしだなあ、台北。今はまだ知られていないようですが、来年には日本人観光客でいっぱいになるだろうというちょっと寂しい予想。
かき氷、250元(≒800円)です。12元の肉まんや60元のワンタン麺を売っている/食っている人と、このかき氷を食ってる人って、やっぱり暮らしが違うのだろうか、たぶん違うんだよね、とちょっと思った。

2夜にわたっておつきあいしてくれた在台北友人と台湾研究者友人に深謝です。
素敵なプチ同窓会でした。

かなり歩いて疲れたので泥のように眠りました……

2014年02月24日

台湾(3日目)

24日は月曜であります。
朝、ホテルから台北駅まで歩いてみました。道すがら見かけたスクーターの奔流。
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日本ではモーターサイクルショーで見るばかりのKYMCOが大活躍です。
スクーターなら60km/lくらい走るだろうから車に一人乗りで通勤するよりエコだと思うのですが、課題は騒音と排ガスかなあ。ちなみに若夫婦とキッズの3人乗りまでは見た(バイクの定員は2人です)。

台北駅には在来線、新幹線、地下鉄が乗り入れています。
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広大であります。
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駅の南側にある南陽街は予備校の集中する通りです。
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ドリンクや点心など、おいしそうなテイクアウェイのお店も集まっていました。

南陽街を抜けると、二・二八和平公園に突き当たります。
横が国立台湾大の附属医院のせいかどうか知りませんが、献血をやってました。
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すっごい並んでいるんですが。Taiwan Todayを見ると、台湾の献血は先進国を上回り、血友病の人が必要とする血液製剤を海外に寄付するほどだとのこと。でも月曜の朝ですよ。ボランティアですよね?ホント?

和平公園の、ちょっとゆるキャラっぽい楼閣。
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台湾現代史では超重要なのに全く知らなかった「二・二八事件」。
日本統治の終了とともに大陸から入ってきた国民党の腐敗に対する台湾人の不満が背景にあったようです。1947年2月27日、闇タバコを売っていた寡婦を取締官が暴行、これに対する抗議のため翌28日に台湾人が市庁舎に向けてデモをしていたところ、憲兵隊が発砲して抵抗が台湾全土に広がった。
国民党側は大陸からの援軍を得て、日本統治時代に高等教育を受けたエリート層を投獄、殺害するなどしながら弾圧を続け、出された戒厳令が解除されたのは1987年になってから。1989年には事件を描いた映画「悲情城市」でやっと世界的に知られるようになった。刑法改正によって言論の自由が保障されたのが李登輝時代の1992年。政府への反逆から抵抗運動へと再評価されるようになってきたとのこと。
この間の犠牲者は28000人との説があるが、いまだに確定されていないそうです。
(帰国してから読売のサイトWikipediaを参考にしました)。
記念館は月曜休みだったようで、残念ながら見学することはできず。

上のような知識がない状態で訪れてしまった弊管理人は全く深刻な気分になることもなく、公園内にある「健康歩道」でキャッキャ言いながら石を踏んでいました……
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今にして思えば一歩一歩確かめながら歩けば気持ちいいくらいの道だったはずですが、この時はそれに思い至らず「うおおう」「ひえー」とか言うはめになりました。

総統府は遠くから見ただけ。
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でもパスポートを持っていけば午前中は内部に入れたらしい。
時間的な制約があったので仕方ないが、結構取りこぼしがあったね、今回。

踵を返してちょっと歩くと中正紀念堂のある中正公園があります。
これ、門。下にいる人の大きさでスケールが分かるでしょうか。むちゃむちゃでかいです。
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中央に見えていた紀念堂の階段を上って振り返るとこんな。
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広さを伝えるのは難しいなー。
紀念堂の中には蒋介石がいます。
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これもでかい。巨大な公園と巨大な権力者の像、ワシントンDCのリンカーン・メモリアルを思い出します。
毎正時にやる衛兵交代も見られました。
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1時間のうち15分くらいは交代式してるのね、この人たち。まあ確かに直立不動よりは動いてるほうがいいか。

紀念堂の横には、きれいな庭があります。
上級者向けの「健康歩道」をまたひとしきり歩いてはうめき、トイレへ。
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トイレを出て見える光景がこれ。素敵っす。
この赤いのは桜なのかなあ。
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公園を出て移動します。
そういえば歩道の郵便ポストが2色あるんですけど、正面(なぜか車道側を向いている)に回ってみて違いが判明しました。
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赤が国際郵便と速達、緑が市内と市外の普通郵便でした。
地下鉄の中正紀念堂駅。フリーのwifiも使えるし、きれいだし、素晴らしいよ、MRT。
弊管理人が持って行ったのは2007-08年版の『地球の歩き方』だったのだけど、この時の路線図にはない路線ができており、なお何駅かが建設中・建設予定のようです。依然動いている街なのですねえ。
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ちなみに駅構内と車内は飲食全面禁止です。

龍山寺。1738年創建だそうです。
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屋根がすごーい。
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善男善女がお祈り。若い人も多いです。仏教、道教、文昌帝君などが同居しているよう。
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お作法が分からないけど。
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建物の重量感。
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昼飯は、善導寺駅近くの「徳也茶喫」で。
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烏龍茶で煮込んだ豚の角煮の定食。うまかった。
同行者は凍頂烏龍茶とお菓子をオーダー。ちょっと飲ませてもらいましたが、これ烏龍茶かというくらいトゲのない透明な風味でびっくり。茶道を見られるかと思いましたが、2人以上でとかの条件があったようで、ここでは見られませんでした。

午後はそれぞれに楽しむことにして同行者と別れ、弊管理人は茶芸リベンジをということで別のお店に向かってみました。
大安森林公園駅から15分くらい歩いたところにある「紫藤廬」。日本家屋を改装した築80年くらいの建物だそうです。現地でも結構有名なところらしい。大通りに面しているので多少音はしますが、藤棚?のある庭、灯りを抑えた室内とも落ち着いた雰囲気です。
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紫藤、という烏龍茶と餅をオーダーすると店員さんが道具を運んできてくれて、「OK?」と尋ねられましたが、「全くどうしていいかわかりません」と答えると、作法をやってみせてくれました。
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見ていた限りですが、(1)茶葉を入れた器を嗅ぐ(2)茶葉を急須に入れる(3)お湯を注いで蓋を閉める(4)急須の上からもお湯を注ぐ(5)急須を置いている器のお湯を捨てる(6)取り分け用の器にお茶を注ぐ(7)匂いをかぐ用の器にお茶を注ぐ(8)飲む用の器に移して飲む。
こんな手順かなと思いました。2杯目からは(3)~(8)を繰り返す。多分。
どぼどぼ、じゃばー、っていう感じの剛毅な茶道ですwでも味も香りもすごく澄んでてよい。
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居心地がよすぎて、庭を見ながら1時間以上ぼーっとしてしまいました。
なぜ急須から直接、飲む用の器に注がないのか不思議に思っていましたが、帰り際に店員さんに聞いてみたところ、「2人以上に分ける場合、先に注いだほうが薄味、後に注いだほうが濃い味になってしまうので、味のむらが出ないように先に全てを取り分け用の器に入れるのだ」と教えてくれました。はっはあ~

ぶらぶら歩きながらホテル方面に戻ります。小学校の集団下校にぶつかりました。
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ランドセルとリュックが混ざってますね。あと緑のおばさん的なボランティアの方も。

おされシティらしい永康街……の裏道を散歩。
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何の変哲もない路地です。台北の街って緑地が多いわけではないが、ベランダ園芸が結構森のようになっている建物が多いので、大通りから一本裏に入るとわりと緑がもさっと茂った町並みだなあという印象です。

夜は、在台北友人夫妻と台湾研究者友人、それとわれわれ2人でご飯を食べました。
三越の上にある「欣葉」という有名なお店らしい。日本人ツアー客がどばどば入ってきてました。
豆腐、切り干し大根入りオムレツ(こちらの切り干し大根は平べったい)。
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えびパイナップル、ホタテねぎ(名前がどれもいい加減ですみません)。どれも美味美味。
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ここには出てませんが、杏仁豆腐がもちもちしていた。
ごちそうになってしまいました。あああありがとうごめんね。
食事を済ませたあと、中山駅周辺で夜のお散歩をして、また明日も夕飯を一緒に食べる約束をして別れました。

満ち足りて就寝です。Zzzz

台湾(ところで)

■ところで、今回の台北では中正紀念堂と国父紀念館を見たのですが、あれ?孫文(1866-1925)と蔣介石(1887-1975)ってどういう関係だっけ?とこんがらがったので、手元の『詳説世界史』(山川出版社、2013年)を参考に流れを追ってみました。高校世界史を勉強してから20年……(遠い目)

* * *

・20世紀に入るころ、清朝の打倒を目指す革命運動が盛り上がった中に、孫文が1894年にハワイで組織した「興中会」もあった。
・孫文はばらばらだった革命諸団体を結集しようと、1905年に東京で「中国同盟会」を組織。「民族・民権・民生」の三民主義を掲げて革命宣伝や武装蜂起を行った。中国同盟会はその後、国民党に発展。


・1911年、満州皇族を中心とする内閣が幹線鉄道を国有化しようとしたのに民族資本家や地方の有力者が反発。四川で起こった暴動をきっかけに軍隊の中の革命派が蜂起し、辛亥革命が勃発、各地に拡大した。
・辛亥革命が始まって1カ月で大半の省が独立し、孫文を臨時大総統に迎え、1912年1月に南京で「中華民国」の建国を宣言、アジア初の共和国が成立した。※それで民国紀元が始まるんですね。今年は民国103年。


・清朝は北洋軍の実力者である袁世凱に革命側との交渉に当たらせたが、袁世凱は清朝を見限り、宣統帝の退位と共和政の維持を条件に孫文から臨時大総統の地位を譲り受け、北京で就任した。
・しかし、議会を抑えようとする袁世凱と、孫文の国民党が対立、共和政は安定しなかった。
・孫文は武装蜂起(第2革命)したが袁世凱が鎮圧、袁世凱が正式に大総統に就任した。
・さらに袁世凱は自ら帝位に就こうとしたが、国民党系の地方軍人による反発(第3革命)や諸外国の不支持により失敗、1916年没。
・その後、北京政府の実権をめぐって各地の軍閥が抗争する状態が十数年続いた。(pp.324-326)


・1921年、コミンテルンの支援によって陳独秀(「新青年」を発刊した思想家)を指導者とする中国共産党が結成。孫文の中国国民党もソ連の援助を受けたり、共産党員が個人の資格で国民党に入党することを容認、第1次国共合作が成立した。軍閥打倒・帝国主義打倒路線へ。孫文は1925年に病死。


・1925年、国民党は広州に国民政府を樹立、1926年には蔣介石が率いる国民党の軍=国民革命軍が中国統一を目指して北伐を開始。1927年には上海、南京を占領した。
・しかし、国民政府の内部で共産党員(左派)と右派が対立し、蔣介石は1927年3月の上海クーデタで共産党を弾圧。新たに南京に国民政府を立てて主席に就任した(国共分裂)。共産党は農村でソヴィエト政権を作る方向に転換し、1931年に江西省瑞金で毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国臨時政府を設立した。


・1928年に北伐が再開され、北京に迫った。日本は全国統一を妨害するため、日本が後援していた張作霖を爆殺するなどしたが謀略は失敗し、張作霖の子の張学良が日本への対抗として国民政府の東北支配を認めたため、全国統一が達成された。(pp.349-350)


・1931年の満州・柳条湖での鉄道爆破(柳条湖事件)をきっかけに関東軍は東北地方の大半を占領(満州事変)。1932年、溥儀を執政に迎えて満州国を建国した。
・国民政府は日本への対応よりも共産党との抗争に力を入れていたが、満州事変をきっかけとした抗日運動の広がりを受け、中国共産党は八・一宣言で内戦停止を呼びかけた。張学良は訪ねてきた蔣介石を監禁して説得し、国共は再び接近。1937年に第2次国共合作が成立して、日中が全面交戦状態に入った(日中戦争、~1945年)。(pp.358-360)


・戦後になって国民党と共産党の対立が再燃。国民党幹部の腐敗や経済混乱で民衆の批判を浴び、農民の支持を得て反攻した共産党に敗れた蔣介石は1949年に台湾に逃れ、中華民国政府を維持した。共産党は同年、毛沢東を主席、周恩来を首相とする中華人民共和国の成立を宣言した。(p.376)

2014年02月23日

台湾(2日目)

明けて日曜。
ホテルからそう遠くない地下鉄淡水線の雙連駅近くに朝市が立っているというので見に行きました。

観光客もいるが、地元の人が多い感じです。
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青果から惣菜までおいしそうなものがいっぱい。試さなかったけど。
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首がぎゃーw
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下半身がひーw
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朝市の中程にあるのは文昌宮。
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学問・受験の神様である文昌帝君、魁星、朱衣神、呂祖、関帝をまとめて「五文昌」と呼ぶそうですが(1←ちなみにこの文献面白い)、ここにはそのうち文昌帝、朱衣神、関帝が祀られているそう(2)。受験生とおぼしき子たちがお祈りしてました。「考試順利!事事達成!」なんて書いた絵馬などもかけてありました。

隣の民権西路駅の入り口脇のスペースで何かを練習するおばちゃんたち。
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駅で地下鉄、バスに3日間乗り放題のパス(440元≒1500円)を買い、淡水線に乗って北の士林に向かいます。
士林駅から7-8分歩いたところにある士林官邸は、1950年から蒋介石夫妻が暮らしたおうちだそうです。日本統治時代は園芸試験所だったそうで、バラ園や森を含んだ広大な植物園の風情です。
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散歩しがいのある公園。植生はさすがに南国っぽいです。
記念写真撮りまくりのカップルも(いくつか見かけたが、いずれも奥さんやカノジョががっちりポーズを決め、旦那やカレシに詳細にアングル、構図を指示していた。直立不動で写真に写りがちなわれわれは、彼らのポートレートにかける熱情から学ぶところが多いかと)。
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1975年に蒋介石が死去した部屋も見られる「正館」。
ただし、内部の撮影は禁止されています。
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待合室、応接室、リビングから書斎、寝室まで見学できます。落ち着いた色遣いの調度品と、窓の外の緑。通り抜けるだけで心地よい気分になります。読書家の旦那と、絵もたしなむ奥さん(宋美齢)のハイパー文人セレブぶり?がすごい。

記念スタンプもふるってるのう。何につけてもセンスいいよ。
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昼飯は、中国語堪能な日本人友人から教えてもらった素食(粗末な食事という意味ではなく、ベジタリアン料理を指すらしい)のお店に行ってみました。士林の駅から歩いて5分くらいのところにある「毫光素菜館」というところです。
茸のスープと、何かの野菜でハムを再現したお料理。
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松の実が入ったチャーハンに、クコの実とブロッコリーの炒め物。
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芋とタピオカの甘味。
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観光客らしい人は他におらず、周辺に住んでいるちょっとお金のある感じの若いパパママと子供が休日の外食に訪れるようなお店という印象です。緑いっぱいの窓辺の席に案内してもらえました。こってり系ラーメンもいいですが、野菜においしく火を通した料理も大好きです。ちょっと薬膳ぽい香りもして、とてもおいしい。というか体があからさまに「うめえ!」と言っている。満足満足。

官邸を歩いてちょっと疲れていたのが回復したので、士林駅前に戻ってバスで故宮博物院に向かいましょう。
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リーフレットによると、「故宮」とは紫禁城のことだそうです。1931年に日本の侵略を避けて文物を南西部に移し、さらに1949年、内戦の影響で台湾に移したとのこと。現在の場所に博物院が建造されたのが1965年という。2015年には南部の嘉義県太保市に分院がオープンするんだって。また行く理由ができた(笑)

内部は撮影できないので、隣のお庭「至善園」を。
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展示は歴史のおさらいから始まり、書、絵画、青銅器、陶磁器、鉱物などお宝を巡っていきます。
歴史のおさらい、とても変な感じがしたのは、中国本土の周から始まって、途中に元だの清だの、なんかよそから入ってきちゃった人たちの歴史になり、そして台湾の原住民とか国民党とかの話になっていく、そのごちゃごちゃ感。
来る前、友人が「昔は5日間かけて見ても飽きないところだったが、今は2時間あれば見られるところになってしまった」と嘆いていましたが、うん、まあ、そうかもね。それ以上に歩き回って疲れたし、夕暮れが近いというので早々に外へ出てきました。
ところで、must seeは翡翠の白菜(これだ!)と、豚の角煮みたいな石だそうです。白菜はすっごい行列だったので、その外から頭だけ見ました(笑)同行者は品揃えの非常に充実した売店で白菜グッズを物色しておりました……

士林駅までバスで戻ると、渋滞に巻き込まれたこともあり、日が沈むところでした。
淡水線の北の終着駅、淡水は夕日スポットとして名高いそうなので楽しみにしていましたが、着いてみると何とか夕日の残り香は味わえる時間帯でした。
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かなり疲れてきたので、適当な喫茶店でコーヒーを飲み、ぶらぶらとまた駅へ。

士林より一つ中心部寄りの剣潭へ。有名らしい士林夜市に向かいました。すっごい人出。
フルーツ屋がけっこうあります。
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スターフルーツにテンションが上がり、求めてみましたが、特段おいしくなかったです。
メシ食いたい!ということで地下美食街へ。
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臭豆腐が臭い!
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海老の入った、玉子と片栗粉のお好み焼きみたいなやつを食べてみましたが、うまくもなかった。
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結局おいしかったのは15元(≒50円)の肉まんでしたとさ。
夜市はもういいや。

中心部まで戻って、同行者が熱望した足裏マッサージに行きました。
60分800元。安いのか?安いのか。
足裏マッサージ、初めてでしたが卑猥な感覚を喚起されたのは秘密です。
全身マッサージは、普段マッサージなんて行かない弊管理人には大変痛く、途中から「なんでこんな痛い思いをしなきゃいけないんだ」と立腹しながら終了しました。ちなみにマッサージのヘビーユーザーであるところの同行者は夢心地だった様子。まじかー

12時前に就寝~

昼食をとったレストランで見つけたイイネ!
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(1)http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/4292/1/02-nikaido.pdf‎
(2)http://www.geocities.jp/cdj33980/travel/taiwan/wenchanggongtp.html

2014年02月22日

台湾(1日目)

大学時代に同じ学科だった友人と、初めての台湾に行ってきました。
北海道に住んでいた2008年ごろにも一度、ガイドブックを買ったことがありました。しかしいろいろ事情があって叶わないままになっていました。
ところが、同じく大学生のころ、弊管理人も利用した交換留学制度でニュージーランドから来ていた台北在住の友人に再会する機会が昨年の夏にあり、台湾熱が再燃。留学制度にかかわっていた上記友人とこのたび訪台することになりました。

* * *

成田発の午後2時台の中華航空で台北桃園空港へ。

富士山きれいわー
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到着後、1961番のバスで市内まで1時間。そのまま「台北戯棚(タイペイ・アイ)」で獅子舞と京劇を見ました。
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このあと、弊管理人はステージから降りてきた獅子舞ちゃんに噛まれました。
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公式サイトによると、日本統治下にあった1915年、台湾人商人が京劇を呼んだのが始まりのようです。第二次大戦中に米軍の空爆によって劇場が焼失するなど曲折がありましたが、2002年から現在の劇場で公演をやっているとのこと。
この日は獅子舞と京劇の二本立てで90分。緩急や睨みを見ていると、ピアニストのラン・ランの演奏を思い出したりして。

午後9時半すぎに終演となったあと、MRT(地下鉄)中山駅近くにある宿にチェックイン。
夕飯を食べていなかったので、近場で何か、と探していて行き当たったのが「温州大餛飩」というお店。「餛飩」が読めない(ちなみに2人ともほぼ中国語ができない)ためメニューを見て「?」をいっぱい飛ばしていたのですが、ワンタンでした。
ワンタン麺、65元(≒230円)。やっす!
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生姜がきいててうまーい。

初日はこれだけで就寝。

2014年02月16日

クリトン

■プラトン『クリトン』(藤田大雪訳)叢書ムーセイオン刊行会、2013年。

学生時代に英語の授業で読んだ気がしますが、よく覚えてません。
死刑を言い渡されて明日にも執行、という状態で牢屋にいるソクラテスのもとへ来たお友達のクリトンが、脱獄を勧めるシーンから始まる対話篇です。「正義に反する仕打ちを受けたんだからこっちだって仕返ししてやればいいんだ。逃げる先は確保できるし、親に死なれたら小さい子供は辛いでしょうよ」

これに対してソクラテスはイタコ芸(違)によって国法を呼び出し、仮想の対話を始めます。
国法に従って婚姻した両親から生まれ、国法に従って養育され、アテナイが大好きであまり外国旅行にも行かず、仮にこの国が嫌いになれば出て行く自由だって保証されていて、裁判で「国外追放か死刑か」を選ばされたときにも死刑を選んだのに、明日死ぬかもとなったら脱獄って……何言っちゃってんのキミ?と国法は詰る。「自分は正しくないと思うから」とか言って気ままに契約を破るようなヤツは他の国に逃げたって軽蔑されるし、あの世にいったってあの世の法が許しやしませんよと。
「こう言われたら何と言い返そう」とソクラテスから投げかけられたクリトンは言葉を失ってしまう。

「悪法も法」だという主張だ、としばしばまとめられますが、ソクラテスはそう言ってません。独裁や圧政の下に暮らしているなら自由も責任も生じる余地があまりないけれど、アテナイでは留まる自由も去る自由も、おかしな法を説得=ロゴスの力によって改善する機会も与えられている。自由な国の政治に参加する市民は、自らの行動の結果に対する責任が最も厳格に問われるというわけだ。おかしな法がまかり通るようなら、それを許した市民がその責めを負う。大衆が悪いだの制度が悪いだのというのは自由な国の成員が言っていいセリフではないという。

プラトンはどんな思いでこれを記していたんでしょうね。市井の変わったおっさんとして排斥されたソクラテスを見て、「こりゃあ、やっぱり哲学者も統治者側に行っとかないとだめだわな」と思ったのでは、なんて想像してます。

* * *

上記の本の訳者の名前を承けたわけではありませんが、金曜もまたえらい雪でした。
早々に帰宅するように、と会社の総務からお達しが来ていたのですが、大学時代の同級生2人と夜、渋谷で予定していた飲み会を敢行してしまいました。22時前に切り上げれば帰れるだろうと踏んだところ、運よくつつがなく帰宅して寝ることができました。

翌土曜日は築地で昼過ぎから仕事があったため、少し遅めに起きたらなんだか寝てる間に世の中が大混乱だったようです。築地で会った方は「昨日は中央線の電車内で1泊した」と疲れた様子だったので、タイミングと利用する線によっては弊管理人も大変な目に遭っていたかもしれなかった。

まあ大雪が降る時に不要不急の外出をしてはだめですね。特に人口密集地では一カ所がスタックすると、その周辺に人がいることによって、さらに被害が大きくなる方向に転がるように思います。

* * *

その同級生2人は部活の同輩で、某工学部准教授(既婚、昨年3人目の子が生まれた)と、某企業研究所ユニットリーダー(既婚、子持ち)になっていました。
2人は学生とか部下とかのメンタル対応が大変だという話で意気投合していました。わー、そんなこと気にしなきゃいけないの?大変だ。いやあ行き先分かれりゃ分かれるもんですね、と相変わらず独身ヒラ社員の弊管理人は思いました。あと准教授氏が「おれ最近右傾化してて、タモガミ支持なんだよね」と言ってたのがウケタ。

ちなみに10日の日記に書いた、16年前の大雪のときに部活終わってからキャッキャいいながら雪合戦とかやっていたのが彼ら。その話をしたら「あー、そんなことあったような、なかったような」くらいの反応でした。
運動部の慣習で、彼らとだけは呼び捨てしあいます。弊管理人は普段、人には必ず敬称をつけて呼ぶのですが、その例外です。

2014年02月11日

西新宿、「麺屋 翔」。

香彩鶏だし特製塩らーめん中盛りは1000円、うむ結構いいお値段しますね。
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きれいな透明のスープ、あっさりかと思ったら意外と塩気、脂の存在感があります。
味玉は大蒜の香りがほんのりする個性的な存在。
雲呑も種が結構主張しています。
あとは葱、焼豚など具材が調和していて、おいしいです。

今日も千葉では降雪があったとか。
厳寒の休日夜だったためか、すぐ座れました。

2014年02月10日

今週のつれづれ

先週のいつか忘れたけど、新橋にある、愛媛・香川のアンテナショップのレストラン「かおりひめ」で遅い昼食をとりました。
今治のB級グルメらしい焼豚玉子丼と、うどんのセット。
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うまくないわけないじゃないの、こんな組み合わせ。
なんかずっと悲しい気分だったのが、案の定これで霧散した。
寒い、ひもじい、眠いを解決すると、落ちてる状態はあらかた克服される。

* * *

土曜の東京は吹雪に。
昼間にちょっとスポーツクラブに行ってきましたが、夜にかけて風雪は強まり、ちょっと出掛けて一杯……というのは全く無理な天候になってしまいました。
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翌朝はこんな感じ。
最終的には何十年ぶりみたいな積雪になりました。ニュースでは16年前の東京の大雪への言及もあったようです。確かに大学2年の冬、雪がこんもり積もった体育館前の広場で部活の友人とキャッキャいいながら遊んだ記憶があります。成人式が大変だったと思い出す同級生の声もありましたが、弊管理人は成人式に出ていないのでそういう覚えはないです。それ以前はそもそも東京にいないのでわかんない。

* * *

■清水哲郎『生命と環境の倫理』放送大学教育振興会、2010年。

古本で買った放送大学の教科書。
生命、環境、死生学のミニ事典として使いそうな気がするので、会社のデスクに置いておこうと思ってます。
応用倫理はまだまだ知らないことばかりです。環境倫理のところにパーフィット、シンガー、ヨナスの簡単な紹介が載っていて、やっと「おお、こういうところにいた人たちなの?」と。

* * *

東京都知事選があった。
弊管理人は自分の想定していた投票先と情勢を勘案し、自分が投票をしたとしても結果に影響を与える可能性はないと判断して投票せず、他人事な感じを楽しみながらテレビ見たり(仕事先で)、「投票しよう!」みたいな友人の正義ツイートにイヤミツイートを返したりしながら過ごしました。

感想。
(1)やっぱり極端より普通がいいと思うわな。
(2)主要候補者の立ち位置にかぶりが少なかったため、右のほうの人とかネットの人とかがどれくらい都内に存在するかの悉皆調査っぽくなっててためになった。

* * *

KFCの復活したフライドフィッシュを食べてみた。
むかーし「フィッシュフライ」という名前で売ってなかったっけ。
記憶が美化されているだけかもしれないが、なんか味、ボリュームとも期待したほどではなかった。
ニュージーランドの田舎町で食べた豪快なフィッシェンチャーップス(なまった)また食いたい。

2014年02月02日

だれのための仕事

■鷲田清一『だれのための仕事』講談社、2011年。

見田宗介が言ってた「~への疎外」を労働に使ったエッセイ(随筆、というよりは試論のほう)。
面白かったような気がするんだけど、読み終わってから急に忙しくなって、しばらく机の上にほっぽっていたら忘れちゃったい。

* * *

そういうわけで土日とも働いてしまった。
うがー

* * *

ところで2週間くらい続いてる鼻の奥がじーんとなってるやつ。
ひょっとしてこれ風邪ではなくて花粉でしょうかね。

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