■立岩真也『私的所有論[第2版]』生活書院、2013年。
大学生だった1997年に初版が出たとき、学校の生協でちらちら見ていた本。でも6000円(*)。買うのもちょっと、で図書館で借りたこともあったけど、開いてみてわあ無理、サクサク読める本じゃない、私的所有しないとだめだ、と思って、うだうだしているうちに16年経ってしまいました。
(*)この値段については本書[第2版]に言い訳と経緯が書いてあって、著者えらい、と思った。でもその事情を知っていたとしても6000円の本は買わなかったと思う。
6月、新宿の大好きなカレー屋の近くにあるマニアック本屋「模索舎」で[第2版]を見つけて、値段が1800円になっているのを見て、すぐ購入。1カ月あまりかかって読み終わりました。通勤電車の片道18分で15ページ、つまり1日30ページ。
(1)つくったものは(2)おれのもの。ということは、(1’)いっぱいつくったら(2’)つくっただけおれのもの。そのかわり、つくれない人は少しも取れない。少しも取れないことで、生きてさえいけない人が出てしまう。それ、おかしくないか。そこでほとんどの人が疑っていない(1)と(2)のつながりの根拠を問い、溶かしてみる。
おれのものはどう処分しようとおれの勝手。でも処分してはいけないものがある気がする。肉体とか命とか。でも「○○だから処分してはダメ」という論理だと、○○(貧困とか不平等とか強制とか?)がクリアされれば処分していいようでもある。それでいいのか?そもそも他の問題と比べて身体の問題を何か特別扱いしていないか?人を売買の対象、操れる客体にすることが自分の存在の条件を侵すからダメなのか?ていうか人ってどこまでが人だ?胎児は?胚は?出生前の=いまだ存在しない他者について、誰が・何を・どこまで・いじっていいのか?
空気読まないヒュームおじさんのように、みんなが「これは、まあ、そういうもんかな」と思っているか、気にもとめていないほど当たり前のものを次々とばらばらにしていきます。でも解体後の荒野で「とにかく生きて暮らすことができる」ための仕組みを提案されても、読み進めながら感化され疑り深くなった読者、特に「生きてるって、そんなにいいことなのか」と心のどこかで思っているような贅沢気質の読者は、しっかと受け止められない、かも。
すっごい量の注がありますが、生殖補助医療、出生前検査、安楽死・尊厳死、優生学、所有と分配などのテーマの文献案内として使えると思います。
あと、構成はすごく親切なのに、文章が読みにくい。口で話すときのよどみや行き来や挿入がそのまま文字になっているようなテイだからかな(後年書かれた本によると、筆者は文章がぐねぐねしていると文句をいっぱい言われ、もはや開き直っているらしい)。
ところでこの本、過去の読書と結構呼応しています。
・先月にかけて読んでたルソーとかロックとかの社会契約説の本。まさに私的所有を全ての出発点に置いているけれども、それでいいのか?という問いに導かれて、もう一度根っこから社会構想をしてみるのが本書。
・それから、去年の秋に『バイオ化する社会』を読んだときの感想で書いた疑問を一緒に考えてくれるような章が含まれていて、引き込まれるように読んだ。
・3年前に読んだ『人間の条件―そんなものない』をあとがきとしてもう一度読むという手もある。