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2011年04月 アーカイブ

2011年04月26日

絶唱

キャンディーズが解散した年に生まれたのでスーちゃんに対する40-50代の思い入れは共有できない(というか3人の誰が誰だかわからない)のですが、葬儀で流された1カ月前のボイスメッセージはこたえた。以下全文を。

 こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。/私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。/今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。/特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。/映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。/お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。/いつの日か、妹の夏目雅子のように、支えてくださった皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。かずさん、よろしくね。その日までさようなら。

こたえたというのは、もう8年も前になる近親者の死の前後の記憶に重なり、最近はおかげさまで思い出すことも少なくなった、あの一瞬にして腰から下の力が全部抜けるような感覚が蘇ったからです。

ポイントの第1は、この文面からはわからないが、死の床にある人の声色です。
わりと死に際まで人にあったりビデオメッセージを残したりする有名人は多いのですが、本当の最期にさしかかると発声がこの世のものとは異質になって、音が出るぎりぎりの風量で吹いた笛のようなかなしい音になります。それを聞くことはそう多くないです(あ、でも医療関係の仕事の人だとよく聞くかもしれない)。

第2は、「もしかすると負けてしまうかも」というくだりです。まさに死の4週間前に電話をかけて話したとき、それまでなら「どうよ?」と聞いて「まあぼちぼち」的に返すやりとりだった相手が「だめかも……」と答えたときのざわめき。それまでもときどき顔を出していたフレーズが主旋律となって現れる、終楽章の始まり。

第3は、「映画にもっと出たかった」。未練を残さずにさっぱりと逝くことのできない死にゆく人の現実。それが葬式で再生されることを知っていてなお、未練を伝えずにおれない、虚勢を張る隙さえない、その切迫した現実感。

もしも死ぬなら、という想定は生きているうちのいつだって可能で、用意をしておくこともいつだって可能なのですが、備えるのと臨むのはえらい違いです。人間の死亡率は100%だのメメント・モリだの言っている人も、余命宣告を受けたときに突然、人が変わるかもしれない。それくらいの強いインパクトをときどき垣間見て、しかし朝方の夢のようにすぐにさっぱりと忘れて仕事に出掛け、軽口を叩く。でも何かがこびりつくよね、こびりつく。今朝は。

コメントの扱いに関するおわび

スパム対策で設定をいじった本年2月ごろ以来、コメントをいただいても承認待ちとなり、エントリーにすぐに反映されない仕組みになってしまっていました。

設定を探ってみましたが、どうやら投稿していただいたコメントは一旦、管理人だけが見られる「待機箱」に入り、承認を待っていたようです。
ところが、この箱の中のコメントは2週間で自動削除される設定になっており、これまでいただいていたであろうコメントは既に削除されてしまっていました。折角投稿して頂いたコメントがこのような扱いになってしまい、本当にすみません。

いろいろ試してみていますが、コメントを投稿した際に承認待ちになる仕組みを解除するやり方がまだ分からないので、当面、コメントをいただいた際にはやはり承認待ちのメッセージが表示されると思います。
なるべく速やかに表示されるよう「一時待機の箱」のチェックをするようにします。
これに懲りずまたコメントをいただけると幸いです。

(このエントリーは今後1週間ほど、一番上に表示されます)

2011年04月18日

鳥与志ふたたび

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久しぶりの虎ノ門ランチで、鳥与志の焼き鳥丼。
鳥モツと正肉とつみれを焼いたの、それにそぼろが載っています。香ばしくてうまいです。色合いが悪いのはしょうがない。店内もちょっと暗めなのでレタッチでなんとか見えるようにしてます。前にもエントリー作りましたが、そのときは携帯カメラだったので今回はちゃんと。

地震以来、本や旅行や音楽の感想がほとんどなくて、なんかつぶやきみたいなものと食べ物の話ばかりになってしまいました。ひとえにここ一月の生活のせいだと思います。

突然、それまで全く触ったことのなかった分野の仕事を主にやることになってしまい、それ関係のものすごい量の資料を読む毎日だったので、それ以外の字を読む気が起きなかったのですね。
地震の前は通勤電車で本を読んでいることが多かったんだけれども、今はpodcastやプレーヤーに入ってる音楽を聴くばかり。旅行については当然できてません。

* * * * *

空気を読む力が自分にどれだけあるのかはかってみるため予測をここに書いておきますが、
今回の原発事故を経ても、日本はすぐに脱原発をすることはできない気がします。

・現時点では汚水をだらだら流しながらではあるが、水を原子炉に注入して徐々に炉を冷やすことができている。想定外の事故でポカが続いても、それでも一定の対処ができることは示されてしまった(電源喪失が長く続いても、指をくわえてメルトダウンを待つことにはならなかった)。

・どうやら津波という一つの要因で複数の非常対応システムがイカレてしまったようなので、逆にいうと津波の対策をしっかりやればより安全だという論理が通ると思う。

・事故の検証は求められているしそのうち始まるだろうが、当然役所がその場を設定するので、「だからもうやめとこう」という結論ではなく「ここを改善すれば安全性が高まります」って話になるに決まっている。

・そのうち絶対誰かが「一人の命も奪われないまま得られたこの貴重な経験によって、原発の安全対策はさらに完璧に近づいたと、私はあえて非難を恐れず言おう」って言う。

・脱原発がいくつかの国で進むと、新エネルギーを利用できるほどの基盤整備ができてない国はとりあえず原油や石炭の争奪合戦に走るので、不安になって「やっぱり原子力」っていう合意は(一応役所と事業者をスケープゴートにしつつ)形成されやすくなる。

・福島第1はいま冷温停止の5、6号機まで含めてジ・エンド、だが福島第2はヘタすると再稼働(知事をどう説得するかが鍵)。5年以内の動きは、西日本はあまり危機感を共有していなさそうなのでいくつかの新規建設は話が進む。一方、東日本では新規建設はたぶん話題にもできない(作らない、のではなく予定地の心情的要因で無理)。でも動いてるのを止める話にはならない。

・ついでに、暮らしはちょっと地味になるかもしれないが、大きな社会変動が起きるかについても弊管理人は懐疑的です。あいかわらず各セクターのお金くれコールで今年度並みの規模の予算が来年できたら「ムリ」が確信になります。

* * * * *

で、今日は昼にあれだけ鳥を食べたのに、夜、唐揚げと焼き鳥を買って帰ってしまいました。どうしたの、弊管理人。

2011年04月09日

揚州商人

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夜遅くまで仕事をして新橋でメシ、となると、なかなか独りで食えるところの手持ちがなくて困ります。
前からちょっと横目で見てはいたのですが、「揚州商人」。なんかいくつも店舗はあるようですが、新橋店。
ちょっとエスニックな感じで辛いおそばと、半餃子(3個)を頼みました。合わせて960円。
本場っぽくて味やよし。汗が出ます。

2011年04月06日

ザ・カリ

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新橋、といってもちょっと駅からは遠いか、「ザ・カリ」。
今日は辛口のビーフ(890円)を。
けっこうゆるい、スパイスのカレーです。
「な、なにっ!」みたいな驚きはないが、ちゃんと作ってますね、安心できますね、という味。
キャベツの酢漬けもよくあいます。すべてがきちんとしてます。
これをゆっくり食って、コーヒー飲んで、さあて仕事。
そんな昼が過ごせたらその日は素敵な日だと思う。

2011年04月04日

勤続10年

3月末で今の会社での(といっても新卒で入ってそのまんま居座ってるんだけど)勤続がまる10年に達したということで、14日間の休日と、記念品代名目で数万円いただきました。

先日来書いているように地震があってからというもの、弊管理人が現在所属している普段はおじさんが多くて比較的のどかなセクションが鬼のように・しかもいまだ出口の見えない忙しさになっていて、全国から何人もの若手に応援に来てもらったりしているのですが、若さが現前するとなんか圧倒されますね。遠くまで来てしまった(笑)

振り返ると、
1-2年目は仕事を覚えるので過ぎていった。怖いもの知らず時代。
3-5年目は最も野心的に仕事をした。環境にも恵まれて楽しかった。
6-8年目は私生活は楽しんだ。仕事は方向性を喪失した。(ここから30代)
9-10年目は忙しくなったので走りながら考える毎日。楽しいこともそれなり、なにより勉強になることが多い。

ひとを使って仕事をするなんてもってのほか、チームの一員として仕事をするのも苦手だというのは当初から全く変わっていません。では完全にフリーな立場に置かれれば勝手に仕事をとってくるタイプの仕事ぶりかというとそうでもなく、一定の枠をはめられることで(その枠への反発も原動力の一部としながら)課題発見とリサーチと加工とアウトプットを行えるようになるタイプなのだなと感じています。
そんな性質なので、ちょっとゆるい・わりと大きな組織で、ルーティンワークと自由課題がブレンドされて迫ってくるという環境から抜け出せないまま、うかうかと10年過ごしてしまったのでしょう。この組織によってさらにそういう人に成形された面も否めないけど。

まあ現下の情勢では14日間の休みを使うあてはないですけど、会社側からは「この休みは勤続20年の前日まで有効なので、どっかで使えばいいじゃん」と言われました。ゆるいねー

* * * * *

今日は休みでした。
布団を干して掃除をしてシャツにアイロンをかけて、
布団を取り込んで寝床を作って2時間ほど寝て、
友達と夕飯を食べてちょっとお酒を飲んで帰ってきました。

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