« 2008年08月 | メイン | 2008年10月 »

2008年09月 アーカイブ

2008年09月27日

奏楽堂で演奏会

学生時代に所属していたピアノサークルのOBが中心になって演奏会をやるというので聴きに行ってきました。

場所は上野、旧東京音楽学校(現在の東京藝大音楽学部)奏楽堂という、最古の木造音楽ホール。
080927sogakudo.jpg
外観はこんな感じ。
080927sogakudo2.jpg
中はこんな。スタインウェイ。外の光が差し込むステージって珍しいですよね。

プログラムは20あり、13時半から入れ替わり立ち替わり弾いて19時までかかりました。
もちろんアマチュアの集まりなのですが、全体のレベルは高く、コンクール入賞者も複数名います(ついでにいうと「ドクター」と呼ばれる人も相当数いる)。ステージ上に世界を展開する人、現代音楽のピースの演奏前に資料を見せながら解説する人、初めて会った12年前からますますダイナミズムを増している人、指は回るが音楽が分節できてない人……。タイプはいろいろで、聴き心地の善し悪しも演奏者によってかなりばらつきがありますが、商業ベースのコンサートでは取り上げられることの少ない曲が生で聞けるのが醍醐味といえましょう。

080927medtner.jpg
うむ、うまい人はたたずまいからして違う。

2008年09月22日

希望と必要

ウィッシュ、といえばDAIGO。ネセサリー、といえばGOLDEN EGGS。

ええそれとは関係なく。
先日来、あいかわらず労働組合というのに関わっておるのですが、その執行部の人たちの清々しい職業意識や愛他精神には当てられっぱなしで身の縮こまる思いが続いております。

ちょっと前の話ですが、8月の終わりに、また泊まりがけの勉強会のようなものがありました。こんどは三浦半島の先端まで行ってみっちり議論、ブレインストーミング、そしてちょっと磯遊び、とか、まあそんな感じで。
本社の人たちはだいぶ年長の人たちで、いろいろなセクションから「こいつを出しておけば大丈夫だろう」と見込まれて出てきているわけです。つまり労組が強いので労組を引っ張る人材は自分らの未来を左右しかねないため、窓際みたいな人は出してこれないということなんでしょう。

空き時間などに、第一線でバリバリ仕事をしているそんな人たちと話しておりますと「君は将来何がしたいの」とよく聞かれます。多くの場合は「いや自分は特にそういうのは」と正直に答えて場が冷えるのですけれども、さて自分はなんでこんな希望に満ちている[ことを前提とされた]集団に入ってしまったのかと談笑しながらいろいろ身の上を省みるわけです。

内側を観察して思うことですが……そうはいってもそれなりに仕事をしぼつぼつ評価もされているところをみると、どうも自分はやる気がないというよりは、自分を仕事に向けて駆動しているものが「希望」ではなく「必要」なのではないか。「これをやりたい」ではなく「これはやっておくべきだろう」で仕事に臨んでいるような気がします。つまり動機が自分の内から沸き上がってくるのではなく、自分の内に形成されたアドバイザーに指示され動いている感じがする。

挿話1。
恋人ほしいとか結婚したいとかそんな話が飛び交うアラサーど真ん中(笑笑)なのですが、それキミ、寂しいから恋人欲しい、とか好きだから結婚したい、とかではなくて「自分は恋人作ったり結婚したりするアビリティがあります」という認定資格を欲しがってるだけと違いますか、と疑うケースが周囲にちらほら。

挿話2。
自分のことですが、本を読むとかおいしいお店を探すとか、きれいな景色を求めて旅をしたりしているときは、ほとんど「それが友人に喜んでもらえるかどうか」を考えている気がします(特定の友人を思い浮かべることもあれば、いつか誰かの役に立てばという場合もある)。もちろん新しいアイディアに出会ったときの興奮とかおいしいもので味覚が喜ぶとか、そういう露骨な快楽もなくはないんですが、比重はそれほど大きくないように思える。

物事それ自体を楽しむ経験を欠いた人生が空しいとかいう話をしたいのではなく、逆に、自分を突き動かすものが内発的なものでなくても、わさわさ動いていると気持ちが上向く。こんなんでも結構生活まわっていくものだなあという感慨。動機を持続させるのが難しそうだけど、そういう特性を自覚しておけば、頑張ってみるにしても割り切るにしても対処のしようはあるってもんだろうね。

明日あんたは突然死にますと言われても、まあ痛い思いをしなければいいかと思っています。そのかわり明日になっても死ななかったときに備えて、今日はやっぱりいろんな活動をする。
生きる理由がないのに結構楽しげに生き続けているのはなぜか、みたいな話をときどき友人とするのですが、今日書いたようなことが一つの答えになるような。いやどうかな。

2008年09月21日

本いくつか

5月から読んだ本がこれくらいしか……
感想文をそれぞれつらつらと書きたくなりつつ放置してるうちに面倒になったのでまとめてひとこと。

■大澤真幸『逆説の民主主義』角川oneテーマ21、2008年。
■真木悠介『時間の比較社会学』岩波現代文庫、2003年。
  <岩波書店、1981年。 (読んだのは8年ぶり2回目)
■森政稔『変貌する民主主義』ちくま新書、2008年。

救済を構想すると必然的に「それ以外」がこぼれ落ちるわけですが、それをどうしようどうしようどうしようとぐだぐだ考えつつまだブレイクスルー(あるいはストンと落ちる折り合いの付け方)には達しないねえううむ。ということを(1)真木は本の中で語られていない部分において語り、(2)大澤は社会の方面から、森は政治の方面から語っている感じ。かしらん。
ちなみにお勧めかと言われればどの本もお勧めです。

2008年09月16日

死別の永遠さに較べれば2週間は次の一瞬とさえ思えやしないか

思いがけず2週間を空けてまた東京に行くことになり。
2週間かあ長いねえという人に対して、自分の頭にこんな言葉がひらめいた、「死別の永遠さに較べれば2週間は次の一瞬とさえ思えやしないか」。
結局言う機会はなかった。言ったとしてそれが内在的に理解してもらえる確信はない。

とても個人的な考えだが、人生において別れとは死別のほかにないと思っている。
仲違いも転勤も怠惰で会おうとしないのも、いずれもその気ひとつで再会を可能にする、一時的な別離にすぎないと思っている。
出会いと別れを対としてとらえるなら、出会いは無が忽然と有になることで、別れは有が忽然と無に帰することだ。

とても卑近だけれども、会社で行う送別会に―それが送別される側としてもする側としても―とても居心地の悪い感じがし、最近はそういう集まりに一切出ないことにしていた。それがどういうわけかは自分でもよくわかっていなかったが、先日降りてきた「死別の永遠さに較べれば……」の言葉をゆっくり咀嚼したとき、その理由がわかった気がした。

2週間をさえ一瞬と感受する。そんな時間感覚は、死別の経験以前にはありえなかった。そしてそのことに気付いたのは、「2週間かあ長いねえ」という言葉。いずれも自分の外部からもたらされた変化だった。

人と関わることはプラス・マイナス両方の感情の源泉であり、まあどっちにせよ消耗するのであり、しかしそれは必要な刺激でもあり、しかしひょっとしたらいずれにせよ他人を使った自分探しをしているのにすぎないのかもしれない。なんて思いながら牛乳を飲む夜ですばい。

2008年09月15日

長野ドライブ

日曜と月曜は長野※にドライブに行ってきました。

※盆地ごとに文化が違い独自のプライドを持っている長野県では、長野盆地(善光寺平)出身者は長野県のことを「長野」と呼ぶのに抵抗はないが、他の盆地のピープルは「長野」とは一盆地の名前であって自分たちの盆地まで包含する名前ではないという意地から長野県のことを「信州」ということが多い。という都市伝説。いや田舎伝説。ちなみに管理人はルーツは伊那谷ですがずっと暮らしていたのは長野市です。
090915-0.jpg090915-1.jpg

■9月14日

秋の3連休、中央道は午前9時半にすでに35キロの渋滞だというので、少しましそうな関越道からアプローチ。佐久ICで降りて、北側からビーナスラインに。
美ケ原高原美術館でじゃがいもとおやき※を食いました。

※おやきなんて地元にいたころは食べたくもなかったが、まあ今は田舎を捨てた身なので食べる。そば粉や小麦粉の皮で茄子や野沢菜などをくるんだ饅頭。つまり米があまり穫れなかったのでオカズをそば粉でくるんだわけだ。そばが名産というのはつまり痩せた貧乏な土地だということ。貧乏なのでみな勉強して東京を目指すのだ。それが教育県という田舎伝説の由来だと思う。そのわりにセンター試験の平均点はあまり高くない。2代前の長野県知事は、高岡高校という公立進学校を擁する富山県知事から「おたくは教育県だが進学県ではないね」と言われ憤激したとかしないとか
090915-2.jpg090915-3.jpg
初秋のビーナスラインはあまり混んでいなくて、でもやはりきれいでした。
諏訪まで降りて、岡谷ICから高速に乗り、松本ICで降りて乗鞍高原を目指します。

お宿は乗鞍温泉「けやき山荘」。木立と沢に囲まれた、木造で雰囲気のある建物です。
風呂は内風呂ひとつと露天ふたつ。白濁の湯は源泉の温度が46度くらいと低めで、浴槽は何十分でも浸かっていられるほどのぬる湯。肌ツルツルです。中秋の名月も楽しみました。高原の夜は涼しくて、ふかふかの布団をかぶったまま気持ち良く就寝……
090915-4.jpg090915-5.jpg

■9月15日

朝はもう一度風呂に入ってチェックアウト、乗鞍スカイラインは2003年からマイカー規制になってしまったので、車で上がれるギリギリのところまで上がって、そこから徒歩で滝を見に行きました。

下って見晴らしのよいスーパー林道を経由し、木曽の奈良井宿に行きました。
楢川村って合併して塩尻市になってしまったんですね。なんだか残念だ。木曽っぽくない。
五平餅を食いました。
090915-6.jpg090915-7.jpg
ここで既に14時。20時までに新宿のレンタカー屋に着かなければなりません。普通に考えれば余裕の時間ですが、既に中央道では渋滞が始まっており、そこに事故まで。
山梨は石和温泉の「小作」でほうとうを食べて腹ごしらえ、「ほったらかし温泉」にも寄ろうかと思っていましたが、ちょっと時間が足りなそうなのでパスしました。

そうこうしているうちにも渋滞はひどくなり、カーナビは「一度高速を降りて甲州街道を行きなさい」と指示。えいやで従ってみると、それは高速の事故渋滞区間を迂回するコースなのでした。
大月ICからふたたび中央道に乗り、定番の小仏トンネルの渋滞を抜けてぶっとばして、19時45分になんとか新宿着。今のカーナビは優秀だねー。

2日間の走行距離は640キロ余。出身県のことは意外に知らない。楽しく行ってまいりました。
090915-8.jpg

2008年09月10日

ぴあのれっすん(8)

前のエントリー以来、コーヒーをちびちびちびちび飲みながら暮らしており、しかし今朝は粉を水から揚げるのを忘れたままいそいそと出勤してしまったため、8時間でいいところを20時間近く出してしまったちょっと苦みのあるコーヒーを飲みながらこれを書いている次第です。

習い始める前は、最近の電子ピアノはキーも音もなかなか大したもんだなあと思っていましたが、やはり実物で「ピチカートのように鍵盤を弾く」「鍵盤を下まで押し込まずに弾く」「ペダルを踏んだまま弾き始める」などでいちいち音が変わるのを聴くと、やはりいつかはRC造の持ち家、そしてグランドピアノ、子犬の横には あなた あなた あなたがいてほしい(小坂明子)とか思ってしまうとです。

今日は曲をクリアできずもう一回となりましたが、5分ほどの小品だったため追加でドビュッシーをアサインされました。譜読みがしにくそうであります。

リスト/ため息

2008年09月08日

水出しコーヒー

080908coffee.jpg
アイスコーヒー大好きでよく飲むのですが、缶コーヒーだとブラックは味がきつくて飲めないし甘いのだと糖分でぶくぶく太る。喫茶店で毎日飲んでると煙草吸いくらい金がかかる。

で、自分で淹れることにしました。
ハリオの水出しコーヒーポット(定価1260円)がいいというので探します。
amazonで、しかも少し値引きされてるやつがさっくり見つかったのですが、思い立ったが吉日(=気が短い)タイプなのでどこかのお店で手に入らないかと市内を探しました。

デパート2軒にはなし。こういうのありますか、と聞くとno timeでテーブルに就かされ「お取り寄せになりますが」というので「では要りません」と言ってまた放浪の旅に。デパートってちゃんと訪れたの久しぶり(地下のデリカで安くなった弁当を買ったりはする)でしたが、ひょっとして買いたい物があって訪れるべきところではなかったの?ハイソな世界はよくわからんです。
結局、東急ハンズではちょっと高い類似品しかなかったのでパス、LOFTでゲットです。

コーヒーには軟水がいいらしく、奥尻の水を使おうかと思ったのですが扱っている店がまだ開いていなかったため、スーパーで南アルプスの天然水を仕入れてさっそく試してみました。

中細挽きの粉50gをストレーナーに入れてドリップ。冷蔵庫に8時間しまって出来上がりです。
味はすごくいい。苦さとか酸っぱさが口に当たる感じのコーヒーってあまり好きではないのですが、これは「コーヒーってお茶の一種だわな」という感じでとても飲みやすい。さらに湯温が高いほど溶けやすいカフェインが水出しだとあまり出ていないせいか、夜飲んでも眠れました。

というわけで飽きるまで飲んでみようと思います。

About 2008年09月

2008年09月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年08月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35