枢密院議長の日記
■佐野眞一『枢密院議長の日記』講談社現代新書、2007年。
明治・大正期に法務、枢密畑で活躍した倉富勇三郎が書きまくった膨大な日記を読み通し、皇室や華族といったアッパークラスの隠れたエピソード、歴史的事件の内幕話の数々を紹介する。
倉富の日記も面白いが、ひいひい言いながら悪筆の日記と格闘した佐野氏の独白がほほ笑ましくて良い。
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■佐野眞一『枢密院議長の日記』講談社現代新書、2007年。
明治・大正期に法務、枢密畑で活躍した倉富勇三郎が書きまくった膨大な日記を読み通し、皇室や華族といったアッパークラスの隠れたエピソード、歴史的事件の内幕話の数々を紹介する。
倉富の日記も面白いが、ひいひい言いながら悪筆の日記と格闘した佐野氏の独白がほほ笑ましくて良い。
未明から、吹雪でもないのに前が見えないほどの雪。
ビル街の歩道も足を取られる積雪。
カートを引っ張りながらえっちら歩くヤクルトレディ。
働いてお金もらうって大変だわなあ。
ビル清掃とかヤクルトとか、体使って働くおばちゃんに弱いです、なぜか。
これが強健なクロネコのあんちゃんとかだったりすると「おおお大変だねえ」くらいなんですけど、なんかおばちゃんっていろんなもの背負ってそうじゃないですか。
ま、それだけの数の人を集められるだけの、時間的融通とかそれなりの賃金とかいった労働条件があるんでしょうけど。
25日、写真追加。うちのベランダ。雪かきする気も殺がれる現状。
■19日(土)
関東からの友人を新千歳空港でピックアップし、2-day ski excursionでございます。
この日の札幌は大雪でしたが、空港から留寿都村までの道のりは気持ちのいい晴天。といっても外気温はマイナス10度以下。ワイパーを動かすと水分がすぐに凍結してかえって前が見えなくなるほどです。
1時間半ほどでルスツリゾートに到着。
3つの山にまたがるスキー場で、職場のスキー通いわく「キロロと並んで札幌近郊で雪質がいいスキー場」とのこと。コース幅がとても広く、山の尾根に沿って中級コースが配置されているので開放的。普通のコースを普通に下りて来られるくらいの技量があれば最高に楽しめると思います。雪はパウダースノーでよく圧雪されています。
天気にも恵まれ、16時過ぎにはコースわきの木立に沈む美しい夕日も拝むことができました。
17時前まで滑って、ニセコに移動。投宿するまえにニセコ町から蘭越町にちょっと足をのばし、昆布温泉郷の鯉川温泉旅館でお風呂を楽しみました。
鄙びた温泉旅館で、露天風呂からは小さな滝が見えます。風呂を取り囲むようにこんもり積もった雪がせり出していて、気温は凍えるほどなのにぬるめのお湯に浸かっているといくらでも長湯できてしまいそう。体がぽかぽかになりました。
アンヌプリスキー場近くのペンションで就寝……
■20日(日)
目覚めるとこんこんと雪が。
北海道スキーの聖地、ニセコ グラン・ヒラフへ。
頂上付近の気温はマイナス14度。山の上の方に上がると吹雪いており、体感気温はそれよりだいぶ低い感じ。ただ雪はふわっふわのパウダースノーで、転んでもぱふっと受け止めてもらえる感じ。
途中、吹雪で視界0になるなど天候は今ひとつでしたが、コース数も多く、初中級コースでもかなり傾斜のきつい部分があるなど太股に”来る”造りで、かなり歯ごたえのあるスキー場だと感じました。こんどは羊蹄山の望める晴れた日に滑りたいなあ。
近年、口コミで人気が出てオーストラリア資本が雪崩を打って流入し、コンドミニアムの建設ラッシュが起きて地価上昇率が日本一になったり、スキー場直下の倶知安町山田地区がオーストラリア人でいっぱいになるなど話題の多いところです。レストハウスは「外国?」と錯誤するほど。
帰りは国道5号で小樽に出て凍り付いた運河を眺めて札幌へ。
約300キロの道のりでした。うーん楽しかった。
6回目の命日を迎えました。
自宅でひとりで終末期の母の看病を続けていた父の気力・体力が限界に来て、母を入院させたのが2003年1月14日。5年前のこの時間は、父がひとり居間で久しぶりに深く眠っていたはずです。ここから14時間余で臨終となったので、最後の数小節が静かに奏でられていた時間帯ということになるでしょうか。
無目的に「それからというもの」的時間が積み重なってきた5年。25歳が30歳になっても、自分はそれほど変わっていないと感じます。相変わらずemptyで、まるで時間を過ごすこと自体が目的化しているかのよう。
先日、帰省したときに伯母が、母の夢を見るかと聞いてきました。伯母は、実家に母が「ただいま」と帰ってくる夢を見るとのことです。自分は小学校~中学のころ住んでいた長野市の一軒家にいる夢をよく見ますが、そこに登場する母は2001年の手術後の設定です。5年の間、断続的に何度も夢は見ましたが、癌の発見から最期に至るまで、おしゃれを好んだ母が枯れ木のようになるまで衰弱していく様子を目撃したせいか、あまり明るいシチュエーションの夢は見ません。
母の癌が発覚してから死後しばらくまでの2年余、詳細につけていた日記はいまだにまともに読み返していないので、当時の記憶はそれなりに薄れつつあります。しかし記憶の痕跡は脳にべっとりとこびりついていて、それがほとんど当時あったことと符合しない夢を見させているのかもしれません。
近親者の死後を生きる作法が、まだよくわからない。区切りの意味もない区切りの日に。
札幌・すすきの地区で、青い光の街路灯が設置され始めています。
オレンジや白に比べて青色に精神的な鎮静効果があるんではないかということで、犯罪防止のために治安の悪い地区に設置して効果を確かめようとしているようですね。
英国・スコットランドで何年か前から設置されているとのことですが、ネットで調べた限りではその効果がどうであったかについては明らかになっていない様子。
これで本当に犯罪が(近年刑法犯が減っている以上のペースで)減ればすごいんだけども。
手持ちのコンパクトカメラでわりときれいな画が撮れたのでアップしてみました。
カフェ エッシャー(札幌市中央区北2条西3丁目)の豚角煮カレー880円。サラダとコーヒーかアイスがついてます。
タマネギベース、マイルドでさらっとした欧風カレー。角煮は角煮単独で食ったほうがうまい気がする。元気のない日に「普通の気分」まで持っていってくれる感じかな(今日は別に最初から普通でしたけど)。実は人気店らしい。14時過ぎに行ったというのにぽろぽろと人が入ってきてカレーを注文してました。
■團藤重光、伊東乾『反骨のコツ』朝日新書、2007年。
刑事訴訟法学者・團藤重光の自分語り、死刑反対、それと戦中戦後史のゴシップ。
それはいいとして、これ、御歳94歳の團藤氏への伊東氏によるインタビューなんですが、この伊東氏という人、決定的にインタビューがへったくそだと感じた。
第一に偉い先生にお話を戴く、っていうスタンスのわりにインタビュアーが語りすぎ。と同時に『反骨のコツ』とかいいつつ内容に先生の言うことをへへえと頂戴する以上のツッコミが見えない。さらに「本にする=ひとに見せる対談」だという意識が足りなくてエピソードの寄せ集めみたいな散漫さに。
というわけで、これ読むくらいなら團藤氏の著書を読んだほうがよかろうと思いました。内容云々以前。
■ギャラリー・間(編)『日本の現代住宅 1985-2005』TOTO出版、2005年。
住宅建築の20年。特徴のある120余の住宅を駆け足で巡る。amazonのレビューにあるように駆け足すぎてあまり味わっている余裕はないが事典としては使えるはず。
おせちもいいけど、的に今日は午前中からカツカレーが食いたくて。
「かつや」のカツカレーでもいいんですが、前々から評判を聞いていた市中のお店へ。
札幌市中央区南2西4の老舗トンカツ屋「すみだ川」。
カツカレー750円は、とてもオーソドックスなカレーと、薄くてからっと揚がった衣に包まれたトンカツがとても実直。
こちらのヒレカツ定食1850円も食べてみたいと思います。カツ丼もボリューミーなんだって。