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2018年07月 アーカイブ

2018年07月16日

そして、縄文

↑前川清っぽくなった。

* * *

「遺伝人類学」の続きで、東京国立博物館で始まった「縄文―1万年の美の鼓動」を見に行ってきました。(特別展は↓これともう1点のみ撮影可だった)
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縄文時代って歴史の授業であまり興味を持ったことがありません。新学期にしゃらっと通り過ぎてしまうだけ。だいぶ後になって、岡本太郎が縄文式土器にぞっこんだったと聞いて「へえ」くらいは思った程度。

・この特別展では、縄文時代(草創期)の始まりをBC11000、終わりをBC400としていました。
・その前は旧石器時代。土器が出てきて新石器時代=(土器の特徴から名付けられた)縄文時代。稲作や金属器が出てきて弥生時代に移行するということですね。
・縄文時代の気候は温暖で、海面が上昇し、四季ができて、だいたい今の日本の風景になった。
・もう一つの特徴が定住。縄文時代は高台で日当たりがいいという、今と似たような土地が好まれたそうですが、弥生時代になると農業をやるため低い土地に移ってきた。適地を巡る争いも起きたとのことです。音声ガイドの説明では、縄文をのほほんとした時代かのように語っていたように思います。

・縄文式土器は、さまざまな方向に縄を押しつけて作った「文様」の前期→うどんを貼り付けたような「立体的な造形」の中期→文様のあるところとないところを分けて意匠をはっきりさせたような「構図」の後期と変遷している。
・前期の展示で、漆がこの時期から既に使われていたことを発見しました。
・中期の有名な土器が「火焰式土器」という、炎のような把手がついた大型化した土器で、岡本太郎が「すげえ」と言ったのもこの時代のものだったらしい。渦巻き模様も激しさを感じさせる。確かに順に見ていくと、中期は前期とも後期とも違う、何か一度とても異常なほとばしり方をした時期だなと思いました。
・中期は、自然環境が安定して遺跡も大規模になった時期だったようです。そうね、芸術というか「遊び」が生まれちゃうのってそういう余裕のある時なのでしょう。
・後期は前期を洗練させた「工芸品」ぽくなっていった印象です。
・ちなみに土器の用途は煮炊き、貯蔵など。つまり「お料理」が発展した時期だったといってよいのでは。あとは死んだ子を入れたりとかもしたよう。

・作り手は女性たちだったと聞こえた気がします(うっかり聞き流した)。メソポタミアの同時期(2000-3000年前)で土器が専門家の工房で作られていたのと対照的です。
・そう、展示は同じ時期の世界の土器にもスコープを広げていました。エジプトでは所有者を示すマークが彫り込まれているのが面白いと思った。レヴァントでは文様を「描いて」いたのですね。縄文のように凹凸をつけるのではなくて。

・土偶も縄文時代でした、そういえば。
・「合掌土偶」というのがありました。体育座りして胸の前で手を合わせているような姿勢です。祈りかもしれないが、お産のシーンではないかとの説も。「座産」という言葉があるのを初めて知りました。前近代の一般的なお産の姿勢だという。
・前期の土偶はとてもちっちゃい。中期になると大きくなってポーズをとりだす。晩期は有名な遮光器土偶。遮光器土偶は不思議なフォルムですが、目をデフォルメしたものではないかとの説明でした。それにしても変なの。宇宙人ぽい。
・土偶はだいたい女性で、じゃあ男性は何かというと「石棒」だったそう。石棒はもうほぼ見たまんまチンコです。巨根の。
・弥生時代になると土偶は下火になって、顔のついた骨壺などになっていったとのこと。
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・このほか、土面(顔に装着できるようにはなっていないが、何かを「演じる」ときに使ったのではないか)、カエルやイノシシ、キノコや巻き貝をかたどった土製品、弓矢や熊?の土製品も展示されていました。
・獲物が小さく、狩りの道具が大きく作られているのは、両者の力関係を大きさで表していたからではないかと。

・この特別展、すっごい満足しました。

* * *

国立博物館に来ようと思ったのは、法隆寺宝物館の建築も見たかったためでもあります。
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それこそ10年単位で久しぶりだったような気がするけど、前に来たときのことをほとんど覚えてない。知識と目的意識がなかったからでしょうか。いや1999年竣工だというから、ひょっとしたら見てもいないかもしれない。
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ほかに本館と東洋館。とにかくちゃんと見ると1日かかります。
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仏教関係の彫刻はところによってその土地の人の顔になりますね。
こちらはギリシア文明の影響を受けたガンダーラ。
they say it was in India? いえパキスタンだそうです。
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そんで中国になるとこう。
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なんでこんなものが日本にあるのだろう、というひょっとして怖い疑問。

お腹がすいたので日暮里駅前まで出て「馬賊」(これもアジアっぽい)で担々麺食べて帰りました。
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この三連休、死人が出るほど暑かったので、大半は家でぐだぐだしていました。

2018年07月15日

遺伝人類学

■太田博樹『遺伝人類学入門―チンギス・ハンのDNAは何を語るか』筑摩書房、2018年。

古い人類の骨が見つかった、という論文を時たま目にするのですけど、人類進化の歴史の中で今回の研究成果がどう位置づけられるかを分かりやすく教えてくれるものは少ないので、どうしても何か「分かってない感じ」が残ります。あと、ホミニンて何だ~~!みたいに用語の独特さに辟易することも多々。そういうわけで、この本でざっと見させてもらったのは嬉しいところでした。

ただしハイライトは、婚姻システムや産業構造といった文化的な要因が、実は人類の遺伝子頻度の変化(進化)に影響を及ぼしていたかもしれないという、下のメモではさらっと流してしまった後半1/3くらいの部分です。千年単位という短期間に劇的な変化を起こす、文化というもののパワフルさ。

* * *

【ヒトの起源】

▽分類

・古典的な分類
 哺乳綱(哺乳類)
   霊長目(霊長類)
     ヒト上科Hominoidea=類人猿apes。尻尾がない猿
       ヒト科
         ヒト属
       ショウジョウ科Pongidae=大型類人猿great apes
         オランウータン(ポンゴ)属/ゴリラ属/チンパンジー(パン)属
       テナガザル科Hylobatidae
         テナガザル属

・ゲノム解読の進展で改定されつつある最近の分類
  ・ヒト上科が3→2科に
  ・ヒト科の中に遺伝的違いがわずかなことが分かってきた4属を入れた
 
    ヒト上科
       ヒト科
         オランウータン属/ゴリラ属/チンパンジー属/ヒト属
       テナガザル科
         テナガザル属
・ヒト、チンパンジー、ボノボを「ヒト族Hominini」とする考え方も出ている
・分類する学者には「細分派splitter」と「併合派lumper」という考え方の違いあり

▽ヒトと人類

・「ヒト」=現代人modern humans=ホモ・サピエンスHomo sapiens=現生人類
 (Homoは属名、sapiensは種名)。Homoは「ヒト属」、国際的には「ホモ属」
 「人類hominin」=ヒト属+アウストラロピテクス属などの属種を含む化石人類

・「人類の起源」は、チンパンジーとの共通祖先と分かれた700万~600万年前
・「ヒトの起源」は、解剖学的現代人が現れた20万~10万年前

・ホモ・サピエンスが、昔の日本の言い方だと「新人」
 ネアンテルタール人、ホモ・ハイデルベルゲンシスは「旧人」
 ホモ属の古いタイプが「原人」。ホモ・エレクトス、ホモ、ハビリスあたりまで
 それより古いアウストラロピテクス属、パラントロプス属などは「猿人」
※ただし現在は猿人、原人、旧人、新人という言い方は避けられている
  (1970年代以降、サル→ヒト進化が1系統という考え方が否定されてきたため。
   同じ時代に複数の種がいたことが分かってきている)

・猿人
 1974、アファレンシス猿人Australopithecus afarensis発見(個体名ルーシー)
  脳の容積は今のチンパンジー並みで歯は大きいが、直立二足歩行
 1994、ラミダス猿人(個体名アルディー)
 2001、チャド猿人Sahelanthropus tchadensis
  700万~600万年前、現時点で最古の人類の祖先と考えられている
  頭蓋骨底部の大後頭孔と脊柱の関節角度から、大脳を背骨で支えていた可能性

・原人
 1960s、ハビリス原人(昔はアウストラロピテクス属だったが、今はホモ属)
  道具、火の使用があったと推定。脳容積700ml(パンの倍だが現生人類の半分)
 ホモ・エレクトスHomo erectus
  ジャワ原人Pithecanthropus erectusと北京原人Sinanthropus pekinensisが
  現在は1種に統合されている
  100万~50万年前。ただし120万年前くらいの化石がタンザニアでも発見
  →アフリカで誕生し、その後アフリカから出たことを示す
  ★これより前はアフリカの外に出た証拠が見つかっていない

・旧人
 ネアンデルタール人Homo neanderthalensis
  30万年前までにヨーロッパ進出。鼻が高くて広く、眼窩上隆起あり
  脳容量は現生人類並みか、ちょっと大きいくらい
  ヨーロッパ~西アジアで骨格標本発見
 ★現生人類にネアンデルタール人から受け継いだとみられる多型が1-4%あり
 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは分岐したあと、どこかで混血した可能性
 →交配できたということは、両者を別種と考えるべきではないのではとの議論も
 ・デニソワ人(DNAしかなく学名がついてない)

・新人
 クロマニヨン人。解剖学的現代人。ラスコー壁画

・多地域進化説
  ホモ・エレクトスが170万~70万年前に出アフリカ
  →各地でホモ・サピエンスに進化
  *脳の2倍化という大変化が各地で起きたことを説明するため、頻繁な混血を想定
・アフリカ単一起源説
  ホモ・エレクトスが170万~70万年前に一度出アフリカ→いったん絶滅
  →アフリカでホモ・サピエンス(新種)が10万年前以降に出現
  →7万~6万年前に出アフリカ、拡散
  *つまり出アフリカは2回起きている
  *現生人類はアフリカで誕生した新種の子孫ということになる
  *1987UCB、ミトコンドリア・イブ仮説
    地球上のヒトの多様性がアフリカ出身者の範囲内に収まる
  *現生人類間の遺伝的多様性が小さいため、今は単一起源説が正しいとされている

【DNAから描く系統樹】

・系統樹の作成法
  最大節約法Maximum Parsimony Method
    進化のステップが最もシンプルになるものを選ぶ。幾何学的手法
  距離行列法Distance Matrix Method
    代数学的手法
  最尤法Maximum Likelihood Method
    統計学的手法
  近隣結合(NJ)法
    斎藤成也。よく使われる
・分岐年代の推定:分子時計。分子の進化速度の一定性

【進化】

・遺伝的多型genetic polymorphism=集団中の頻度1%以上の分子的バリエーション
・1%未満のものはレアバリアントrare variantという
・分子レベルの多型は「遺伝的多型」→「DNA多型」→「タンパク多型(酵素多型)」→お酒に強い/弱いなどの「表現型phenotype」。ただしDNA多型はタンパク多型を必ず生じさせるわけではない
・DNA多型の例)VNTR variable number of tandem repeat=100塩基ほどの繰り返し配列。2~7塩基と短い場合はSTRPという=DNA型鑑定に使用
・DNA多型の例)SNP。お酒のALDH2(アルデヒド脱水素酵素)、乳がんのBRCA1など。ただし1塩基で表現型を予測できるものは多くない

・遺伝子頻度の変動(進化)の要因
  突然変異mutation
    多くは生存にとって不利
    点突然変異/欠失/挿入、染色体レベルでは逆位/重複/転座
    遺伝的多型(集団内の1%以上)、その場所が「多型サイト」
    多型サイトにある個々のバリエーションが「アレル」(Gアレルとか)
    同じ染色体上の多型サイトの組み合わせが「ハプロタイプ」
  移住migration
  遺伝的浮動random genetic drift
    遺伝子頻度の偶然による変動。集団サイズが小さい時に効果が顕著
    たまたまあるアレルがちょっと多かったのが、世代を経ると圧倒的になるなど
  自然選択natural selection(←→人為選択=育種、品種改良)

・生物の時間的変化を説明する
  用不用説(ラマルク)
    よく使う器官が強化される。獲得形質の遺伝
    現在はほぼ否定。ただしエピジェネティクスでそれっぽい雰囲気も
  自然選択説(ダーウィン)
    突然変異が有利なら残っていく(有利さが必然的に進化を招く)
    *有利な変異が集団内で急速に増えるとき、その周辺の中立な変異も便乗し
    一緒に増える「ヒッチハイキング」が起き、これらが領域としてまとめて
    均質化・多様性の低下が起きることを「選択的一掃selective sweep」という
    例)ラクトース分解酵素
  中立説(木村資生)
    進化に寄与する変異はほとんどが有利でも不利でもない。有利なのは一部
    ある変異が増えるのは偶然。適者だからではない
    cf.米大陸先住民がO型ばかりになった「ボトルネック効果」。中立変異の固定
    *ボトルネック効果は出アフリカの時にも起きたとみられ、アフリカ内の
    遺伝的多様性>>アフリカ外の遺伝的多様性。→多因子疾患のもと?

【社会構造と進化】

・ミトコンドリアDNAは13種類の遺伝子と、リボソームRNAやトランスファーRNAの情報がコードされている。女性の系統のみに伝わる(自分が持っているのは母、祖母……の情報)
・Y染色体は精巣形成の引き金となり、男性を決定する遺伝子SRYが載っている。男性の系統のみに伝わる
→さまざまな集団の間の「地理的な距離」と「遺伝的な距離」を比べる。地理的な距離が離れるにつれて、男性は遺伝的な距離も広がるのに、女性はそうでない場合がある。おそらく女性が交換されるせいで移動距離が大きくなるような婚姻システムのせい

・日本人のルーツ
  置換説(モース)
    アイヌが住んでいたところに渡来民が来て置き換わった
    =日本人の直接の祖先は渡来民で、本土では縄文人の痕跡ほぼなし
  小進化説(鈴木尚)
    縄文時代以降、徐々に進化をして現代日本人になった
    =日本人の直接の祖先は縄文人で、渡来民の影響はほぼなし
  二重進化説(埴原和郎)
    アイヌと琉球人は東南アジア起源の縄文人の直接の子孫
    約2000年(以上)前に北東アジアから渡来民が九州周辺に入り、混血が進んだ
    ただし、北海道と琉球諸島では渡来民の遺伝的影響は少ない
    *混血は研究で確認。琉球人とアイヌではY染色体の共通タイプも発見

・古代日本人のDNA分析
・チンギス・ハンのY染色体
  社会選択:社会的に有利になった系統の特定ゲノム領域が選択的一掃と
       同じパターンを示す現象(社会・文化的な要因が集団のゲノム構造に
       変化を与える)
    ・一夫多妻的システムの反映?
      *ちなみに今村薫はサン族の多夫多妻制「大きなザーク」を報告
    ・農耕導入後、成功/不成功男性の系統が生まれた?(キヴィシルドら)
  「ゲノム・アジア100K」進行中。第3のボトルネック見つかるか?

2018年07月14日

ジュニアおじさん手習い

会社では研修が終わり、「若者の筆頭」から変わって「ジュニアおじさんの末席」としての仕事が始まりました。といっても「シニアおじさん」の世界の綾で発令は8月ということになり、肩書きはもう半月ほど若者なんですけど。半月分のお手当、損してるんですけど。

とまれ、若者が上げてきた仕事を検査・成形して商品にする仕事です。
少しメタなところに立つので、自分が受け持った仕事の作者以外の若者、本社他部署や地方、海外拠点もチラ見しながら仕事を進め、お客からきた問い合わせにも答えます。

早速、今週受け持った若者の仕事について、お客から「京都から出ている別の若者の仕事と、どちらが重要性において上か」という問い合わせを受けました。

・弊管理人が受け持った若者の仕事は、巨大プロジェクトだしやってることのレベルも高く新規性もあるが、生活に密着した即物的なテーマではない
・京都の仕事は、今まで少しずつ改良されてきた既知のものがワンステップ進んだだけだが、まあまあ大きなワンステップだしテーマ的には社会性がある

ので、まあ全然違う分野でもあり甲乙付けがたいが、強いて商業的にどっちが上かと問われれば京都じゃないですか、と答えました。
それを聞いて、弊管理人が受け持った若者がちょっと残念そうな顔をしました。
それを見て、弊管理人は「まずかったかな」と思いました。咄嗟に身内を贔屓できない。

別件ですが、すでに「若者が作って提出してきた密度の低いものを全解体し、自分で分量半分・密度2倍に組み直して送り出す」「若者が作って提出してきたものを180度ひっくり返して送り出す」といったことをやらかしています。いずれも作者了解の上ですが、面倒な仕事だなと思っています。
あと、1日が過ぎるのが速くなったわりに自分が何かした感じがあんまりしない。
中年なお老いやすく……

2018年07月05日

ひがし北海道(2)

【7/2(月)】

天気の悪い日の谷間、曇りの予報。
北海道では、だいたいこういう時は結構青空が見えたりする、という予想通り。
宿の食事処のテラスに出て朝飯食いました。
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ご飯のおかわりを取りに行ってる間に、カラスに卵焼きを持って行かれました。
部屋の窓からはお食事中のエゾシカも。
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いま陸路ではアクセスできない知床半島の一番先を目指すボートツアーに参加しました。
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往復3時間かかります。
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柱状節理とか好きな人は飽きないはず。
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知床岬の突端は風が強いので高い木が生えてないそうです。国後島がきれいに見えました。
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弟子屈まで90キロくらい一気走りして、摩周そば「そば道楽」で大もり850円。
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硫黄山が近いので辺りに匂いがたちこめてます。
川湯温泉駅前の「森のホール」で上品な甘さのケーキをいただいて満腹。
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ケーキ320円だったと思いますが、3種+ドリンクで900円という破格のセットもあり、一瞬迷いました。でもそんなに食えないしな。

屈斜路湖を見て帰りましょう。
美幌峠は通ったことがあるので、今回は小清水側の「藻琴山展望駐車公園」へ。
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えっ全然きれいじゃないですか。
このあともうちょっと高いところにある「ハイランド小清水725」からも眺めました。こちらは湖から少し離れますが、眺望がとてもいいです。

「女満別空港」をカーナビに入れて運転していると、空港の近くで「こんなところ?」というくらいの田舎道をぐるぐる案内されました。じゃがいもや麦を作っている畑の、特に何かアピールしているわけではないが絵画的な風景を堪能しました。
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車を返してお土産買って帰りました。

* * *

飛行機で読み終わった本。

■見田宗介『現代社会はどこに向かうか』岩波書店、2018年。

2018年07月03日

ひがし北海道(1)

道東在住の友人『こっち来ることないの』
弊管理人「なんかイベントあればねえ」
『えびまつり』
「いく」
(マイルで飛行機予約)
『ごめんその日、横浜だった』
「え」
でも来ました。

【6/30(土)】

夕方の便なので、朝から洗濯、掃除、ゴミ出しを済ませてゆったりお出かけです。
羽田―女満別便は初めて。女満別空港は10年ぶりですかね。
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網走に向かうバスからきれいな夕焼けが見えたので写真を撮りました。「メルヘンの丘」とかいってわざわざ撮影スポットが作られているところだったことは後から知った。
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うむ、さすが。
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網走駅前に投宿しましたが、何もない(コンビニまで閉まってる)ので少し歩いて回転寿司で夕飯にしました。地元のしじみ汁がおいしかったです。
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20度くらいか。半袖シャツの上に長袖を羽織ってちょうどいいです。
1日目は移動だけでおしまい。

【7/1(日)】

関東地方は初の6月梅雨明け。梅雨前線はどこへ……と思ったら北海道にいた。
この日は時間が経つほど天気が崩れるとのこと。8時に車を借りてさっさと出掛けます。
途中の小清水では原生花園をチラ見。エゾスカシユリの橙色が映えます。
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斜里岳も見えます。こちらはエゾキスゲ。
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今回ぜひ寄りたかったのが、斜里町にある「名もなき展望台」。
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28キロにわたって直線道路が続きます。
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これガスってるとつまらないんだけど、ギリギリきれいでした。
それにしてもほんとにこういうの北海道って感じで好き。
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ルピナス見たら別海まで一気走り。

お昼前に尾岱沼漁港に着きました。前より混んでるような。雨なのに。
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北海しまえび、お久しぶりです。
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500g2500円がデフォルトのところ、100g500円で売ってくれたのでいただきました。
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腹が減っていたので、風蓮あさり(でかい)の塩ラーメンも買い食いしました。
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あと、ホタテのバター醤油焼き(200円)としまえびの串焼き(2本300円)を食って満足。
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花咲ガニの鉄砲汁はちょっと食い切れそうになかったのでやめました。

雨の野付半島へ。全長26キロ、日本最大級の砂嘴(さし)。
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道の両側に海が迫ってます。
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トドワラ(椴松の原っぱ)。プレートの沈み込みに伴って毎年1.5センチずつ地盤沈下しており、海水によって椴松の林が立ち枯れてできた荒涼とした風景です。
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こちらはナラワラ(水楢の原っぱ)。
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こちらも花の季節でした。
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さて、知床半島に行きましょう。

羅臼の町が普通に雨降りだったので、知床峠を通る知床横断道路は何も見えないだろうなあと思っていたのですが、どっこいある程度の高さで雲の上に出てしまって、ちゃんと峠からは羅臼岳が見えました。
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羅臼方面を見ると、雲海の水平線の上に国後島もちょっとだけ見えました。
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おっさんライダー多かったです。見通しの悪いカーブで追い越していく人も結構いて、にわかかアホだろうかと思いました。

峠を下ってくると、ウトロの町が見えてきます。
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どうでもいいですが、弊日記のタイトルバックの画像、実はウトロ(ただし上空から写してる)だったんですねえ~
今日のお宿は「国民宿舎 桂田」です。
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温泉は海に面してます(視界は今ひとつ)。お部屋は原生林向き。風呂上がりに椅子に座って外を見ていると、ずっと飽きません。
夕飯は独りで炭焼き海鮮BBQ……
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空がまどろんでました。
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つづく。

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