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2016年06月 アーカイブ

2016年06月27日

久高島など

マイル消化で沖縄に行ってきました。
土曜の昼に出て、月曜の昼に帰ってくるという非効率な日程。

まあいいや。
土曜の夕飯は県庁前近くの「古都里」です。
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3点盛りはヘチマ、パパイヤ、セロリです。横のお皿はチーズののっかったオムレツみたいなやつ。これにシークヮーサーハイを頼んで生き返ったっす。
宿は牧志駅の近くにある、まんまワンルームマンションみたいなところ。
近くで、一晩だけ咲いて朝には花が落ちてしまうサガリバナも見られました。
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6月最終週なら梅雨は明けてるでしょう。
予約時にそう思った通り、梅雨は明けてました。
しかし、天気予報は雨。
日曜はスクーター借りて歩こうと思っていましたが、朝になって急遽レンタカーに切り替えました。
「トラベルレンタカー」という業者さんで、当日朝の予約で、軽、満タン返し不要、保険つきで3200円。何。

南城市の沖合5キロにある「久高島」に行くことにしました。
その理由は、この本。

■岡本太郎『沖縄文化論』中央公論新社,2013年.

1959年、沖縄各地を歩いた紀行文で、琉球の創世神アマミキヨが降り立ったという聖地・久高島のくだりも出てきます。付録として、1966年に行われた「イザイホー」という祭りを見るために再訪したときの記録も収録されています。民族学徒としての岡本太郎が炸裂してる、読むに値する本だと思います。

安座真という港から11:30発の高速フェリーで15分です。片道760円。
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出航した途端にスコールきました。
久高島に着くと、横殴りに。

もうこの調子だと観光はできないなと、13:00に島を発つ船の切符を買ってからレストラン「とくじん」にはいりました。一つぐらい思い出を作りますかね、ということでイラブー(ウミヘビ)汁の定食2000円!!を頼みました。

      すっごい待つ。

途中で船の時間を15:00に変更してきました。
で、45分待って出てきたのがこれ。
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持ってきてくれたおねーさんが耳元で「皮と骨も食べられますからね」と囁いた。いや、囁いたのではなくて、単に声が小さいだけだと思う。なんか声の小さい人多い、沖縄。弊管理人の耳が悪いのか。
もう完全に中身が入ったままぶつ切りにしたヘビですけど(ただし燻製にしたものを煮て戻してある)、味は珍味ではなく、サンマ缶みたい。皮はびろっとしていて生き物を食べてる感じはします。滋養がすごくて、食べてるそばから体が負けそうになっていました。
イラブーも結構なインパクトでしたが、一緒についてきた昆布の煮物、刻んだ葉っぱ(なんだっけ)と魚の和え物、ジーマミー豆腐、どれもおいしかったです。

レストランにいた1時間で、雨はすっかり上がりました。
今だ!っつうことで自転車を借りて(1時間半だと450円)島を回りますよ。
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浜はきれい。
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この奥に霊地クボーウタキがあるとかで、立ち入り禁止の札がついている。
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沖縄の猫ってなんか精悍だと思った。
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多分これがイザイホーをやってたところ、のはず。自信ないけど。
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その横っちょにあった家。
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結局、蒸し暑かったものの雨には降られませんでした。
港に戻ってきて、売店でぜんざい食べました。
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本島に戻って、お茶することにしました。
「くるくま」という有名なカフェに行ってみましたが、特に印象なし。
前に行った「八風畑」が閉店してしまっていたようで、残念。

またしてもスコールにあいつつ、宜野湾に行って「メキシコ」でタコス食べました。
4つで500円+ペプシ。皮がやわらかいです。めちゃうまかった。
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夜、だめ押しで「丸安そば」の沖縄そば。特に期待してなかったけど意外に満足。
弊管理人は太麺だととりあえず合格点を付けるようです。
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帰って寝ました。

翌日は朝、空港でA&W食って飛行機にのって帰りました。
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で、そのまま仕事。

* * *

仕事は相変わらず慣れず、結構詰め込んで勉強しています。
毎日どっぷり疲れて帰ります。ただ、涼しい夜が多いので比較的休めてはいる感じ。

2016年06月20日

かつ味の定食

新宿御苑の「かつ味」にふらっと寄ったら、夜も定食を食べられるようになってました。
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でっかくて脂のりのりの鮭かま定食、半熟卵と漬け物と小鉢がついて850円は、申し訳なくなってしまいます。
今度はちゃんと飲みにこよう。

* * *

■レヴィ=ストロース, C.(川田順造、渡辺公三訳)『レヴィ=ストロース講義』平凡社、.2005年.

なかなかよかった。

* * *

無印の「人をダメにするソファ」、普通に座るのではなく、仰向けやうつぶせで横たわるのに頻用してます。
それは措いても、結構疲れてます。

2016年06月16日

北海亭

ランチを新宿御苑の近くで食べる機会があったので、友人から聞いて行ってみたかった「北海亭」に入ってみました。名物であるらしいところのアジフライ定食。
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でっかい。屹立してます。
他は700円とかのランチメニューの中で1000円というのも屹立してます。
でも、ほくほくでなかなかうまかったです。
鍋もいいらしいんですよね。教えてくれた友人を、お礼込みで誘おうかな。

* * *

というのも、その日の朝から3時間以上にわたって自宅のエアコンの入れ替え工事に立ち会っていたのでした(邪魔をしないように、しかし作業を興味深く見守れるよう、台所に陣取って持ち帰り仕事をしていた)。

前の住人が置いていったエアコン、掃除をしようと思ってフィンを除いたらカビがですね……
掃除をする業者に頼むというのも考えましたが、15年ものだったので、数年延命させるくらいなら入れ替えたほうがトータルでは安くつくであろうと思い、取り替えることにしてしまいました。

室内機2台で1台の室外機を共有する、マルチタイプという特殊なエアコンを、さらにちょっと特殊な取り付け方をしてあったため、やや専門的な業者を探すことになりました。定価を見てびっくりしたけど、見積もり合わせなどした結果、大体普通のエアコンでいうと「ちょっといいめ」の1台くらいの値段で入れ替えることができたようです。

やはり15年の進歩はそれなりにあったらしく、「多分、電気代が相当安くなりますよ」「室外機も小さくなりました」と施工した職人さんに言われ、なんとなく満足した。

長持ちして下さい。
あと、3カ月にいっぺんくらい長めの送風運転をして、カビがつかないようにしよう。

* * *

無印良品の「人をダメにするクッション」買いました。
部屋に置くと結構でかい。

ソファを買うのはやめて、これと元からある座椅子、さらにコタツで暮らしていこうと思います。

* * *

仕事で配置換えがありまして、全く新しい持ち場になりました。
しかも前任者氏に連れられて挨拶回りをしていると、まあ前任者氏、仕事先と親しくなってること。

前提知識がけっこういる分野の担当になったので、ここ1週間はほぼ自席で勉強+残務処理の日々でした。早くいろんな人とお知り合いにならないと。焦ります。人と仲良くなるの苦手ですし。

で、弊管理人はどっぷり疲れると車のノッキングのように体がガタガタするのですが、今週はそんなに体に負担をかけた覚えはないのに、週明けからガタガタしました。QPコーワゴールドをキメて乗り切りたいと思います。まあ5月末から休んでないからな。

2016年06月06日

スウェーデン再び(2)

最終日、5時間ほど間ができたので、バスに乗って北方博物館に行ってきました。
仕事先から、さまざまな博物館がタダで見られるパスをもらっていたので。

道すがら、トラックの荷台に載ったお子様たちが音楽かけながらわーわー騒いでいました。
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高校生が卒業式のあと、ビール飲んでこうやって練り歩くんだそうです。
「やめさせてえんだけど」と市役所の人、苦笑。

さて、スウェーデンの500年分を見せちゃうよ、という博物館。
1907年オープン。ネオ・ルネサンスの重厚な建物です。
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入るとすぐに目に飛び込んでくるのが、グスタフ・ヴァーサ王(位1523-1560)の像。
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横から見たら片桐はいり。でもデンマークからの独立を果たしたヒーローらしいです。
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ちなみにこの人、現行1000クローナ紙幣になってますが、6月30日をもって新デザインのハマーショルドに取って代わられるそうです。
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こういう看板もgoogle翻訳で読めちゃう世の中って便利。携帯端末を持たずにオーストラリア半周とかしてた大学時代、一体どうやって動き回っていたのか思い出せない。

閑話休題。9世紀くらいからヴァイキングがいろんなところに出掛けていって(でも出掛けてた人たちは人口の1%程度で、ほとんどは農民だったとのこと)、17世紀までにどんどん版図を拡大。でも18世紀になるとロシアに負けだして、19世紀にはもう国内のことに集中することにした。第1次、第2次大戦では中立を維持したことで、戦災を被ることもなく産業を伸ばすことができたとのことです。

館内では、調度、食、装いなど、あらゆる面から生活の歴史を紹介しています。
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どこの民族もそうだけど、この人たちは特にデコってる気がする。
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先住民のサーミについても、かなり大きな展示がありました。
ウプサラにracial biologyの研究所が設立され、国主導で人種主義に基づき、頭の大きさなどさまざまな計測がされたことをサーミの側から告発するビデオも流されています。こういう黒歴史がちゃんと首都で見られることは大きいと思う。

食のコーナーでは、コーヒーがフィーチャーされていました。
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仕事ではいっぱいミーティングがあったのですが、どこに行っても「まずコーヒー」という雰囲気でした。現地をよく知っている人に聞いても、確かにすごくコーヒーを消費する人たちらしい。パーティもコーヒーとビスケットで、という展示が上記写真ですが、その歴史は意外に浅く、20世紀初頭くらいからだということです。
街中にもコーヒーショップがいっぱいありましたが、仕事で飲み過ぎたのであえて買って飲む機会がありませんでした。

受付で音声ガイドがタダで借りられます。
結構な説明量で、途中から飛ばし気味に見ましたが、たっぷり3時間。

午後3時になったランチは博物館内のレストランで。
イワシのマリネ、冷たいニンニクと香草のソースを試しました。
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臭くて酸っぱくて塩分きつめでした。
(その反動で、夜はグリーンカレーにしちゃった)

隣にあるスカンセンという野外博物館も駆け足で見学。
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古き良き時代の建造物を集めた「江戸東京たてもの園」みたいなところです。
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でも、どっちかというと弊管理人は動物園として楽しみました。
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* * *

あと、スウェーデンの人たちはほんとに英語がよくできます。
前の滞在の時にも誰かに聞いた気がしますが、昔はテレビで自前の番組があんまりなくて、英語のドラマや映画を字幕なしで流していて、そういうのを見てみんな英語を習得したのだということでした。まじか。それから、スウェーデン語はもともと英語と結構似てるというのもあるそうです。確かにアナウンスなんかを聞いていると、朝鮮語の中に日本語っぽい言葉が聞こえる程度には英語っぽい言葉が聞こえます。

いずれにしても、自国の人以外はスウェーデン語を喋ってなどくれないので、自分で”世界語”をできるようにするしかない、という事情もあるのでしょう。結果、ずいぶん世界が広がってるように見えます。

* * *

現地のホテルは、ご招待下さった元が用意してくれていて、それが多分結構いいところでした。
各国の同業者が集まる機会だったのですが、弊管理人だけは本来の予定にちょっとミーティングを追加したので滞在を1日延ばしました。

折角ならということで、その延泊分は自分で宿を探してみようと思って見つけたのが、中央駅からわりと近いのにリーズナブルだったColonial Hotelというところ。

9000円以上するお部屋がこちらになりますw
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2人用のホステルを1人で使う感じです。バス・トイレは共用。
ストックホルムのホテルの高さは異常です。「中心部のまともな部屋で2万円以下っていうのはありませんね」と半笑いで大使館の人が言っていたのは本当だった。
でも、窓からは向かいのアパートが丸見え(カーテン閉めない人ばかり)で面白かったです。
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ベランダにテーブルセットを置いてる家が多くて、よく人が出てくる。
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朝飯の部屋では、あんましお金持ちじゃない層の白人、というのも見られました。
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メシそのものは結構よかったです。前日まで泊まっていたホテルは、この基本線にパンケーキとかオーガニック野菜とかの余計なものが加わった感じ。やっぱり卵はみんな食べたいのね。

* * *

福祉国家としてのスウェーデンを見る機会はほとんどありませんでした。
国が面倒見てくれると思うと、勤労意欲はどうなんすかねと聞いてみましたが、「働かないと年金も出ないので、みんな結局わりとちゃんと働く」とのことでした。所得の2/3は税金と社会保障費に持って行かれるものの、いっぱい稼ぐとそれなりに老後のリターンがあるというシステムだそうです。
ただ、「仕事が残ってても時間になると帰っちゃう文化だと、いくら効率的にやるといっても、できる仕事量には限りがありますよね」とも。

道端に座ってる人も結構いました。
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* * *

■高岡望『日本はスウェーデンになるべきか』PHP研究所,2011年.

行きの飛行機で読んだ。さっと読めすぎて、大半の時間はメール書いたり資料読んだりしてました。
外交官(のちょっと高めな視点)から見たスウェーデン。今回の仕事には直接関係なかったものの、歴史、気質、社会保障の仕組みなど参考になりました。

■池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』新潮社,2016年.
■ジョイス,J.(バラエティ・アートワークス画)『ユリシーズ まんがで読破』イースト・プレス,2009年.

こちらは帰りの飛行機。
これもさっと読み終わってしまいました。

そういえば、スカンジナビア航空のメシはそこそこよかったです。

* * *

で、時差ぼけによって2時に目が覚め、この時間↓にこれ書いた次第。

2016年06月05日

スウェーデン再び(1)

2012年に「多分もう行かない」と締めくくったストックホルムとその周辺に、また仕事で数日滞在することになってしまいました。ギチギチの日程だったので、ここに書ける仕事以外の部分があまりありません。

ある日の仕事がはけた後に、15この橋をくぐりながらストックホルムを眺める2時間のボートツアーに参加しました。日本語でスウェーデンの歴史や風土の解説が聞けるのがよかったです。

前回は一日中暗くて寒い冬でしたが、今回は夏。
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18時発の最終便にして、これ。夕暮れが来る気配がない。
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すげえ眩しいです。外を歩く仕事が多かったこともあり、日本に帰ってきたら顔が日焼けしてました。
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バルト海からメーラレン湖に入るところ。いったん水門を閉めて、水位を湖面まで上げて出ます。
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ここぞとばかりに日光を浴びる人たち。UVケアとかそういうのないの?
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スウェーデンは島の数3万。レジャー用ボートは70万もあって世界一だと言ってました。
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2004年のオリンピック開催地に手を挙げて、そのとき選手村になるはずだった住宅街Hammarby Sjöstad。
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工業地帯を頑張って土壌浄化したとのこと。太陽光パネルやカーシェアなどを導入したエコな街だが、住居費は結構高いらしい。
20時半になるとさすがに夕日っぽくなってきますが、23時くらいまで日暮れが来ません。北緯59度の威力はすごい。
早寝早起きしていたので夜は見ませんでした。これだけ夏に一日中明るかったら冬はアレでも仕方ないわな。

* * *

食べたもの、あれこれ。
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Mäster Andersというレストランに連れて行っていただき、鱈。
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ついてる白い壺はヨーグルトでした。ものを酸っぱくして食べますね、ここの人たち。
現地の食べ物に入れ込んでいるわけではないので、一人の時は大体フードコートやテイクアウェイのお店でアジアの料理を食べてました。野菜も食えるし。
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これで1000円くらいです。何食っても高い、という感覚は前回と同じ。
あと、MAXというご当地バーガー。マクドナルドが上陸するより前からあるらしい。
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タッチパネルでメニューを選んで、クレジットカードで決済します。別に窓口で頼めば、って気もしますが……

「ほら、うちってハイテクの国じゃん?」っていうフレーズを滞在中、何度か聞きました。
電話メーカーのエリクソンはスウェーデンの会社です。1900年代初頭、電話の数がイギリスより多かったとのお話も。その辺が誇りのようです。

「19世紀のスウェーデンは、貧しい国でした」というのもよく聞きました。
暮らしが厳しくて移民が続いた。これじゃいかん、ということで民主化を進めて、普通選挙入れて、工業頑張って、福祉国家にして、「んで今の豊かな生活があるのです」という、何か成り上がり社長のサクセスストーリーみたいな筋書きがよいのでしょうか。

ちなみにハンバーガー屋のレシート。
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「100%カーボンオフセットです」と書いてあります。製造過程で出る温室効果ガスを、アフリカで植林してチャラにしているということ。
アーランダ空港から市内に出る急行列車では「空港往復はこれが最も環境に優しい手段です」とアナウンスがありますし、市内を走っているバスには「バイオガスで走ってます」とペイントしてある。やたら環境環境言います。今はまあそういうのがトレンドだとしても、あえてこれはなぜかと某詳しい人に聞いてみると
(1)林業が大きい国なので、酸性雨の問題があったときに身にしみた
(2)もともと自然の中で暮らしてる人たちだから
という理由を挙げてくれました。

旅の中でときどき聞いたフレーズに「まあちっちゃい国ですから」というのがあります。人口900万人は北欧では大きいが、確かに人口規模としては東北地方まるごとで、ストックホルムの90万人はだいたい仙台くらいと思うと、小さいというのも分かる。
こういう国だから「エコを国是にするぞー」とかいう時の取り回しのしやすさがあるのかも、と推測しました。石油産業がない(輸入したものの精製くらいしかしてない)というのも理由かもしれない。でもボルボやサーブみたいな車のメーカーや、鉄鋼とかのエコアンフレンドリー産業(?)もあるんだけど、こっちは大丈夫なのかどうか。

あと今、左派の連立政権なのもあるかな、とも思ったのですが、環境政策に関しては極右の1党を除いてだいたい合意ができるそうなので、これはそんなに大きくなさそうです。電力の4割をまかなっている原発に関しては多少の濃淡があるようでした(あとは水力が大きくて、他の再エネなどがちょぼちょぼ)。現政権は「長期的に見ると持続可能とはいえない」というスタンスで、いずれ再生可能エネルギーに置き換えていきたいと思っているようです。

* * *

ABBAと、スウェーデンのポップ音楽を扱った博物館。
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ABBAって弊管理人はよく知らなかったのですが、曲を聴いたら知ってるのばっかりでした。
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映像合成でステージで一緒に歌える展示とか、凝ってて面白かったのですが、それより1920年代から2010年代までの世相と音楽を辿るコーナーが勉強になりました。

ラジオで音楽を放送するということがまだあまりなかった1920年代初頭は、ダンスサロン(踊れるレストラン)と、アメリカから訪れるポップスやジャズのバンドが人々の欲求を満たしていた。
1930年代になると、ファシズムや人種差別はスウェーデンにも波及。そうした歌詞も現れる。

1940年代、第2次大戦でスウェーデンは中立を貫いた(そしてそれはかなり批判された)。ものがなかった。音楽の選択肢もなかった。といってアメリカの音楽にも飽き足らず、スウェーデン・ジャズが勃興した。テレビの導入はどんな制度でやるかが議論になり、政府がテレビの放映を許可したのは1956年になってから。

1950年代、「ベビーブーマー」という言葉が生まれた。ロック、プレスリーの上陸(何事につけ遅い)。社会との軋轢。

1960年代、暗い時代。ヘミングウェイ自殺、ベルリンの壁、キューバ危機、そしてスウェーデン出身の国連事務総長ハマーショルドの事故死。でも音楽ではビートルズ!世界的ブレイクの前に来ていて、テレビの音楽番組に出て受けていたそう。あと、スウェーデン・ジャズも盛り上がっていた(そうなんだー)。

1970年代、やっと二つ目のTVチャンネル出来。すっごく左翼だったらしい。この時代には"progg"という音楽が生まれた。プログレとは関係なく、フォーク+ロックみたいなもので、歌詞は多分に政治的だったという。ABBAは1972年に結成、2年後のユーロビジョンで勝利。同じ服装でみんなで踊る「ダンスバンド・カルチャー」というのができた(竹の子族みたいなやつか)。

1980年代、シンセサイザーがproggを掃討。ロックにおける「ロッカー」に対応する"Synthare"の綴りについて言語学者が侃々諤々の議論をしたらしい。学生の間では、シンセかハードロックかが争われていた。アメリカではMTVがスタート。

1990年代以降はもう同時代で、知ってるでしょ?とばかりにアーティスト名を並べる感じの書きぶりでした。2011年に音楽賞を男女別に贈るのをやめた、というのはスウェーデンらしいなと思いました(先進的というにはちょっと遅い気がするが)。

* * *

続かないつもりが、長くなってお腹がすいてきたので、続く。

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