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2021年01月 アーカイブ

2021年01月31日

下見的に京都

寒いが晴れたので、京都を散歩してきました。
昨秋に琵琶湖に行った友達が4月にまた京都に来たいと言っているので、ロケハン兼ねて。

龍安寺。
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石庭の15個の石は全てを一度に見渡すことはできない、と言われていたように記憶していたのですが、できました。
右端の石がぎりぎりその手前の大きめの石に隠れない位置に立つと、左端の石も見えます。
俗説だったのだろうか。

構内案内図で「湯どうふ」激推し。
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3300円の定食を食べるつもりで湯どうふ屋に入らないと見られないお庭がある。
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湯どうふが嫌なら勝手に飢えれば?
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ということで、外に出て昼食。井上靖が京大生時代に来ていたという「笑福亭」でにしんうどん、800円。良心的だなあ。
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そして意外と強い味のお出汁もにしんもうまかった。
ちなみに龍安寺は花の季節にはよさそうでした。それで何人か連れなら湯どうふもよかろう。

今日は特に目的というものもなかったんですけど、時間があるから嵐山にでも行ってみるかと嵐電に乗ったら、乗り換えをミスって広隆寺に行ってしまった。
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霊宝館の中は撮影不可につき写真はありませんが、「ここってあのよく歴史の教科書に出てきた半跏思惟像があるとこだよね?」と思ったらあったよ!ていうか国宝ゴロゴロ。不空羂索観音が艶めかしかった。ここは見てよかった。

嵐山は渡月橋を見てふーんといって、あとは歩き回って帰ってきました。
嵐電は西院(「さい」って読むのをやっと知った)まで戻って阪急に乗ると意外とすぐ帰って来られることが分かった。

* * *

大阪着任が昨年の2月1日だったので、今日をもって1周しました。
裁量労働制にも一応の時間管理はあり、1月は違法状態でした。
「まじで人生の無駄だな」とか「懲役刑だな」とか言ってたら若手ちゃんが「異動をお望みなら僕が人事に『あいつにやられた』とたれ込みますよ」と言ってくれたので「是非お願いします。僕も異動できるし、君も病んだことにして暫くバカンスできるし、いいよね」と頼んだら「ウィンウィンですね」みたいな話になったので意外と早く脱出できるかもしれません。

まあほんとにこの1年ほとんど賢くなってないし、あほな仕事で忙しくて帯状疱疹や腸炎になるしで散々だった。ただし暮らしは悪くなかった。

2021年01月27日

マラソンはつづく

ボタニカリー。
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ちょっとスパイスカレーに飽きてきたところですが、これはうまかった。
「歯触り」が楽しめたのと、チーズや卵のピクルスなどで最後まで味が変わっていくのが素晴らしかったです。
それとお店のおにいさんの接客!

* * *

辛来飯のカレー、青空blueのうどんもうまかった。

* * *

左手の握力がおかしいんだけど何?

* * *

引き続きマラソン的な仕事です。やりがいは0なんだけど。

2021年01月17日

むつき中旬

気が滅入るので、昨年春にリニューアルして開館した京都市京セラ美術館へ。
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音声ガイドが携帯電話みたいに耳に当てるタイプで、それだけでも面倒なのに「音漏れが……」といって注意された。イヤホンで聴くやつにされたらいいのでは。
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江之浦測候所の人の茶室。小田原より先にこっちを見てしまった。
結局一番きれいだったのは三条駅近くのなんてことない夕暮れ。
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土日は暖かくて、午後4時台の空気に春の匂いを嗅ぎました。
もう一段寒くなることはなるんだろうけど、冬が終わっていく感じはする。

で、いつものにしやまさんで牡蠣の卵とじって何かなと思ったらこれでした!!
滋賀のお酒、笑四季(えみしき)SENSATION半合と一緒に。
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* * *

疫病はなかなか収まらず、この状態がニューノーマルな気がしてきた今日この頃、弊管理人も、その周りの人たちも、とうとう「直接の知り合いがかかった」という状態。
感染対策しっかりやったほうがいいし、やるのは偉いけど、隙を突かれてかかった人を見下しそうな雰囲気を纏った人もいてちょっとね。

* * *

12月からずっと、二度寝、三度寝をしながら9時間くらい寝る日が続いています。
快調な時って6時間で目が覚めるのですが、これは疲れているというよりは朝が来ていることを否認したいんだと思う。
前々から行きたいと思っている定型的で残業の少なそうな職場に、パワハラをした人が行くことになりました。弊管理人も若手をいびって休職させたら行けるのかな。行きたいな。

2021年01月15日

18年

最近は忘れていて、過ぎてから「あっ」となる年も多いですが、今年は忙中なぜか思い出しました。母の命日です。
……と書いて、ちゃんと当日に日記を書いたのはいつかと辿ってみると2018年、2015年、2013年。忘れがち。

本家で100歳の祖母と暮らしている伯母が78歳になっているということは、母は76歳なのですが、正直76歳になった母というのは想像できない。先日、久しぶりに夢に出てきましたが50代の見た目でした。そりゃそうか。いずれにせよいつもあまり明るい夢ではない。

去年、高知の職場にいる3年目なのに姉御的な若手のお父さんが亡くなって「忌引きします」という連絡を受けた時に、弊管理人も入社2年目の終わりに親を亡くした話をしたら意外と話し込むことになり(1)弔いが終わると疲れが出て体調崩すので気をつけて(2)喪失感は10年続くと思って付き合って、という定型的なアドバイスをしました。
高知の職場の所属長のおじさんは面倒見の良い人で、若手3人と毎日のように飲み歩いているようなのですが、たぶん理由の一部にはちょっと不安定になりそうな姉御を一人にしないという配慮があるのではないかと拝察しています(大部分はただ飲みたいだけだろうけど)。

人とあまり付き合いたくない弊管理人も、振り返ってみれば意外といろんな人に構われて気が紛れていたようです。

* * *

忙中というのは目下の疫病で、医療関係者でもないのになぜか忙しくなっています。なんなの。今夜は甘ーいワインで晩酌しながらチーかまと崎陽軒のシウマイを食べてしまいました。許されるよね。

2021年01月03日

正月、

正月、なのだけどそんなに正月っぽい感じがしないのは、元日に宿直が明けてから室内でだらだらしていて、あまり外の情報を取り入れていなかったからかも。しかもお店も開いてないので、メシはレトルトのカレーやらパスタやら……あ、あと実家からもらってきた餅を焼いてお汁粉。野菜に乏しく、気休めのトマトジュースを飲むなど。

■2日

夕飯難民となって暗い街を彷徨っていたところ、開いていた。オステリア87。
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牛の煮込みと絡めた生パスタ。うま~
空っぽのグラスはフランチャコルタ(北イタリアの発泡ワイン)。

どういうわけか昼からすごく目まいがしていたのでさっさと寝ました。
特に具合は悪くないので、たぶん大晦日からの24時間勤務の疲れだと思います。

■3日

昼前にふと思い立って有馬温泉に行きました。阪急梅田から高速バスで1時間。近い。
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「康貴」という宿の日帰り入浴を利用しました。いいお湯でした。
こぢんまりしたお風呂で、入場制限をしていたせいで少し待ちましたが、館内で本を読みながら座っていられたので全然問題なし。それどころか入場を5人に絞ってくれていたおかげで芋洗いでなくて有り難かった。公共浴場の金の湯、銀の湯とも通りがかったら混んでいそうだったし、多分こちらで正解。
温泉街はぐるっと歩いて30分、帰りは西宮北口行きのバスが来たので飛び乗り、阪急夙川で降りて帰ってきました。バスと阪急を乗り換える必要があるものの、梅田からの高速バスが1400円したのにこのルートは800いくら。
ところで「夙」っていう字だけ見て労働者の街っぽいところなのかと思っていたら、むしろ高そうな住宅街でした。

梅田に戻ってにしやまさん。
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牡蠣の吟醸蒸しの残り汁で雑炊をしていただく傍ら、ハンバーグ(初めて見た)という、なんかもう夢。reverie。みたいな。なんで横文字使った。

* * *

■ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン(鬼界彰夫訳)『哲学探究』講談社、2020年。

野矢先生の手を借りて『論理哲学論考』を読んでから、後期ウィトゲンシュタインを読まないと収拾がつかない気分になり、しかし日本語訳は3種類だかあって、高いしどれがいいのかな、と迷いながら5年たったらお手頃な値段で新訳が出た!!!

大学時代に何度となく言語ゲームだとか独我論だとかアスペクト転換だとかざらざらした大地だとかのタームを聞いて、しかし肝心のこれを読んでなかったんですよね(恥)。でまあこういうふうに出てくるのか~と懐かしく思いながら読み進めていきました。500ページ。しかし論哲の解体と新境地の構築をする最初の1/3を過ぎると延々、これはどう?これは?という謎かけの山岳地帯が続いていてきつかった。

ということで、昨年末に出たウィトゲンシュタインの解説本を注文したので、これを頼りにもう一回、歩き直してみたいと思います。内容のことはそのときに。ただし、印象が新鮮ないまのうちに雑駁にメモっておく:

・意味とは使用のことだという気付きは、小学校教師として子どもがいろんなものを習得していく様子を見て得たんだろうな
・そうすると必然的に「生きた言葉」というのはがちっと意味が定まるものではない。「基礎付け」ではなく「ゆるさ」を許容したところはプラトン的じゃなくてアリストテレス的な感じがする
・そしていったん「世界との対応」という基礎から浮遊すると、言葉や思考、そして他者理解はどんどん足場を見いだせなくなっていって、ある種の障害のような状態になってくる
・しかしこの気付きによって、「言葉を操るAI」への道がひょっとして開けたのでは?
・あと、ここで終わらず「確実性の問題」を読まないといけない気がした

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