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2020年01月 アーカイブ

2020年01月30日

離任と引っ越し

ようやく大阪での営巣が落ち着きました。

それにしても、周りがみんな大阪弁を喋っていて、「ノンネイティブスピーカーとして生活する」という体験を留学以来20年ぶりにしている、という実感が意外とでかいです。
イントネーションによって「よその人やな?」という顔をされることが時々あるのが気になるのと、「えっ今なんて?」と自分の喋りが聞き取ってもらえないことが結構ある。まあ後者はもともと弊管理人の喋りが聞き取りづらい上に、あまり日常会話に出てこない語彙を話し言葉で使う癖があるためかもしれん。

さようならから引っ越しまでは以下。

■21日は旧職場の人3人と最後の夕飯。神谷町にあるベラルーシ料理「ミンスクの台所」。
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このとき、部内の仕事が風雲急を告げていて、このお店を予約してくれた人がもろにその担当で、来れるかな、来れないかな、みたいな状況でした。結局遅れて来ることはできたのですが、その後がえらいことになっており、今(30日)もますますえらいことになっています。

■22日は弊管理人の最終出勤日で、夜勤に当たったため送り出される事態は避けられました。
机の上をきれいにして、午前2時前に一人で職場を後に。

■23日は転勤休を利用して最後の片付けと、区役所で転出届。
夕飯は呑み友と中野坂上で魚。

■24日は引っ越しです。
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アート引越センターから来たのはおねえさん1人とドライバーさんで、すっごい手際で大物を梱包して運び出して終了。そのまま新幹線で大阪に行きました。

■25日は朝から荷受け、ガス開栓、洗濯機搬入(東京の家はビルトインのドラム式だったのでハイアールのやっすいやつを購入した)、ネット開通、で、なんとか大物家具を配置し寝床だけ作って寝た。

■26日は大阪の前任者と会って引き継ぎ。そのあとニトリに行ったり片付けしたり。
27-29日を使ってだいたいの段ボールを開いた。

・結局、1LDKのリビングにベッドも机もテレビも入れて1部屋で暮らせるようにしてしまい、洋間は電子ピアノを置いただけ。あと、本やCDも段ボール箱も洋間に置いたままにして、必要が生じるまで箱から出さないことにした

・クローゼットが小さいため、「たぶん大阪在任中は着ない」と思った背広とバイク用のジャケットは箱詰め。普段着るもののバリエーションがものすごくないわりに、ほんとに服が多い。なぜなのだ

・東京で聞いていたラジオ番組のいくつかが大阪で放送されておらず、残念ながら聴取断念。あと、建物のせいなのか立地のせいなのか、感度がかなり悪いのが極めて不満

・ブルーレイ・HDDレコーダが電源を切っていても高周波の小さな音を発していることに気付き、寝るときうるさいのでコンセントを外すことにした。これでさらに東京では録画していたいくつかの番組を見なくなる

・一方、ベランダが広くて(たぶん面積にして東京の2倍以上)布団が干しやすいのと、風呂場に窓があるのはよい(←これはこの部屋に決めた要因の一つ)。カーテンは無精なので使い回してしまった

■29日はちょっと出掛けたくなって、仁徳天皇陵古墳と堺市博物館に行ってきました。
俯瞰して見られる高い建物がないんだけど、前方後円墳って形が分かんないと面白くないでしょう。観光地としてはガッカリだと思う。
ただ博物館は古墳群から行基から秀吉から、堺市の歴史的資源の豊富さが圧倒的でよかった。

■30日、ちょっと仕事めいた用事で阪大へ。
そのあと岡山に遊びに行こうとしたら、新大阪に地下鉄の御堂筋線で出るはずが、間違えて堺筋線に乗ってしまい、やる気が失せて、カレー食べて一杯飲んで帰ってきた

2020年01月19日

近美と、呑み友送別会

引っ越しが今週に迫りました。冷蔵庫の食品の処理をしつつ段ボールに囲まれて生活していると気分がどうも上向かないものです。

で、竹橋の東京国立近代美術館に行ってきました。目当ては「窓展」だったのですが、常設展の解説がなかなか面白くて、むしろそちらを楽しみました。ちょうど先日読んだ『現代美術史』にあったあった!こういうのだったのか!というワードや資料がちらほら。

ちょうどギャラリートークをやっていたので参加しました。講師は東京学芸大の名誉教授、増田金吾さん(美術教育史)。テーマは「児童画」。
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【児童画の歴史】

・明治~大正半ばまでは、図画の授業は「臨画」が中心。臨画とは手本を真似ること。漢字の「書き方」のように、線1本1本の順番と描く方向が指示された手本に従って絵画の技術を習得する、実用的で拘束性の強い授業だった。文化アイデンティティの確立を目指していた時期と軌を一にしていた

・これに対して、山本鼎はお手本を廃し、特に風景を見たまま写生させる「自由画教育」を推進。1919(大正8)年には長野の上田で最初の自由画展覧会。大正デモクラシーと新教育運動が背景。ただし、一人一人の個性を重視するため、教授の方法論は難しかった

・岸田劉生は1925年「図画教育論」で(1)自由画法(2)見学法=鑑賞教育(3)手法教授=技術指導(4)装飾法(バランスやリズム)―の方法論を示した。美的な面を重視し、臨画も一定認めた

・第二次大戦後、社会や教育界が抑圧から解放される。前衛が復活。1950年代には美術教育団体ができた。
(1)美術評論家の久保貞次郎、画家の北川民次ら幅広い立場の人たちが集まり、クリエイティブであることを重視する創造主義の「創造美育協会」
(2)戦前の「想画」(生活画)が源流とされ、風景の写生よりも実生活の細密な描写を重んずる生活主義の「新しい絵の会」
(3)造形を重視する造形主義の「造形教育センター」など

・児童画はGHQの中にあった民間情報教育局によるアメリカの児童画紹介、毎日・朝日が始めた児童画コンクールなどで隆盛。「アトリエ」など大人向け美術雑誌も児童画の発展を後押し

・「日本アンデパンダン展」では大人と子どもの作品が区別なく展示された。1950年代にはクロード岡本という天才少年が現れ、絵画教室に子どもを通わせる親が続出。児童画教育がテーマの開高健『裸の王様』が芥川賞、創美の映画「絵を描く子どもたち」が一般映画館で上映され、児童画ブームも。近美でも1954年に「世界の児童画」展。当時は「作品」扱いだった。現在は「資料」扱いになっているとのこと

・1960年代の教育法について質問したところ、創造主義は現在も生きている思想だとのお答えでした。元をたどると、絵についての直接の言及はないものの、ルソーやペスタロッチ、フレーベルなどまで戻る。ただし指導する立場を考えると、先生も創造的でないとできない立場ではある。教員養成ではこういう考え方があるとは紹介した上で、どれがいい/悪いという教え方はしていない、らしい

・終了後、立ち話で「子どもポスターコンクールとかってどういう視点で優劣つけるんですか」と聞いてみました。芸大の先生は(目を引く表現があるかといった)芸術的視点、学芸大の先生は(メッセージ性があるか、バランスはどうかといった)媒体としての成立性、教育的視点で見てしまうことが多いが、それぞれ、とのことでした。ちなみに講師の先生は美術館に収蔵されるときの扱いは「作品」ではなく「資料」でよいとの立場だそうです。スポーツにおける甲子園みたいね

・いろいろ聞きすぎて「あの、失礼ですがどういうバックグラウンドの方で?」と聞かれてしまいました。通りすがりのおじさんです。すみませんでした

【児童画と発達段階】

・ローウェンフェルドの分類を紹介された

(1)なぐりがき期(2-4歳。年齢は大体。以下同じ):手の運動の延長。ぶわーっと線が描かれているが何が描かれているか分からないような絵を描く時期

(2)前図式期(4-7歳):「図式」を獲得する前段階。何らかのイメージに基づいて形を描いていることは分かる。例えば「人」であることは分かる程度の形は描くが、色は白だったりと現実を反映していない。丸い頭からいきなり2本の足が生えている「頭足人」を描いたりする(←これは国を問わず子どもが描くらしい)。大切なものを大きく描く

(3)図式期(7-9歳):自分が知っているものを図式的に描く。人はみんな同じような形、顔はどの人物も同じような顔で描かれる。「空は上のほうにあり、青いもの」という概念に従って、画面上部に青い帯を描いたりする。「太陽は赤いもの」という概念を獲得すると太陽を赤い丸にする。手は「5本の指を持つ」という概念を表現するが、親指だけ方向が違うなどの現実を反映しない。見えないはずの木の根を描いたりする(レントゲン描法)

ここまでが「知っているものを描く」という段階。この後、「見えたものを描く」という転換が起きる。

(4)写実の芽生え期(9-11歳):「立体と平面が混ざったキュビズムのような構成」など図式期の名残がある時期だが、「俯瞰視点で描ける」「人や動物などのオブジェクトが奥行きを持って重なって描ける」といった写実性がみられる(図式期だと、例えば運動会の絵では多数の人間が並んで仰向けに倒れているような絵を描く)

(5)擬写実期(11-13歳):自然主義的態度。劇画の愛好。三次元表現の強化、遠近法の使用

(6)決定期(13-17歳)

・恐らく作文や音楽創作においても似たような発達段階分類の仕方があるのだろうと思いますが、先生は「多分あるけど知らない」とのことでした

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初めて触る分野だったので面白かったです。
窓展や、ちょっと離れたところにある工芸館も充実してました。

* * *

呑み友であり、この数年、休日に東京と近県のいろんな温泉に行きまくった30-40代の友達5人が新宿三丁目のトリキで送別会をやってくれました。といっても、いつも通りに喋りながらメシを食うだけなんですけど。

5人のうち誰が参加するかはそのたび変わりましたが、日曜の昼過ぎにLINEで「風呂行く?」「茶する?」「なんか食う?」から始まって深夜まで風呂とラーメンや焼肉に行くのが通例。まあよく喋った。何を喋ったか覚えてないくらいどーでもいいことばかりだったと思いますが、確か世界の出来事から老い、エロ、噂話などいろいろ。

これまでの「たぶん行ったきり、さようなら」な異動と違って、今回は元いた東京に戻ってくる可能性もあるのだけど、それでも今この時間、定例の呑みや風呂の記憶はどんどん遠くなっていくのかもしれない。40代というのも、「次会うときに今とあまり変わらずにいられるかどうか」という疑問を突きつけてくる年頃です。

ラストオーダー後にカメラを取り出そうとしたらあっさり散会してしまったので、できるだけ思い出せるよう、記して栞だけ挟んでおこう。きょう来てくれたのは、しんちゃん、ルパン、トンガちゃん、ひろちゃん、たかしくん。

* * *

新居でのガス、電気、水道開通、郵便物の転送はあっさりネットで手続きができました。いつからそうなん?
懸案だったネットは先週木曜の申込み時「2-3週間かかります」と言われて暫くネットなし生活か?と思っていたところ、きょう開通工事の調整をしたときに、荷受けの日に開通できることが分かりました。やった。

2020年01月12日

正月上旬

うっかりしてるうちに正月上旬も終わってしまいました。

元日が仕事だったので、2日から帰省。
新名所らしい「天竜峡大橋」に行ってきました。三遠南信道の下を歩けるんだって。
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天竜峡と飯田線が真上から見られるのはいいかも。
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母方の家にも行きました。あいかわらず伯母の料理は豪華。
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伯母77歳、祖母99歳。家はきれいにしてあってまだ大丈夫だなと思いました。
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父方の祖母のところに行ったら留守でした。2020年、田舎の施錠はこれくらい。
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父によると、祖父が亡くなってから山は荒れ気味だそうです。自然の力すごい。
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実家。久しぶりに食べ過ぎた帰省だったかも。晴れて暖かい年末年始でした。
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* * *

厄が明けた(節分まで説は認めない)ので友人らと高尾山にお札を返しに行きました。
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来年来られるか分からないので、今年は新しいお札は買いませんでした。
おみくじを初めて引いてみたら「吉」。大吉の次。まずまず。「始めは苦心するが後はよい。工夫して先手を打ってね」とのこと。うん、まずまず。

* * *

世の中が仕事始めになったのをとらえて、大阪の家を決めてきました。
大阪の支社にも顔を出しました。ここの評価について現役、経験者多数に聴取した結果はだいたい同じで、
(1)仕事は忙しい
(2)しかし若者とキャッキャやるのは楽しいといえば楽しい(本社は擦れたロートルばかりだから)
とのことです。(1)が嫌。渡された手引き書を見ると「これ20世紀?」みたいな旧態依然とした職場の香りが立ち上ってきてオエってなりました。
いうて弊管理人はアニキ体質ではないので(2)も別に救いではない。

* * *

見送りラッシュ?が続いておりまして、上司、旧知のおねえさま、旧知のおじさまと一緒に虎ノ門「つくね」。
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サラダ、焼き鳥、鍋のコース。うまぁ。最後のおじやとお新香に至るまでうまい。
旧知のおじさまは弊管理人が千葉で新人だった時に初めてついたおじさん職位(=つまり今の弊管理人の立場)で、あと1年半で定年だそうです。千葉に来たときのおじさまは今の弊管理人より2コくらい下だったんですけど。びびる。まじで。
初めて気付いたけど、弊管理人が大阪から帰ってくると(帰ってくるかは知らないが)おじさまは退役してるはず。というわけで、なんかおじさまの送別会っぽくなりました。

* * *

あと、元上司で今は総務にいるえらいひとにもおしゅしをご馳走になりました。いろいろお世話になったひとです。
「おじさん職位になるときの研修カリキュラムがめっちゃひどいので直して」と頼んでおきました。

* * *

一緒に仕事をしたことはないのだけど、社内でよく顔を合わせる多分えらくなるおにいさまからも「送別呑みを」とオファーをいただきましたが、さすがに体がきついので「お気持ちだけありがたく」。

* * *

インド帰りの同期からは「夕方1時間限定で立ち飲み」とのお話をいただいて、これは本当に1時間で終わらせられそうなのでOK。

* * *

家の地震・火災保険の解約手続きをしたら、返戻金が結構発生。
最初いくら払ったのか全然覚えてない。
あとは水道、ガス、電気、郵便の手続き、ネット申し込み(久しぶりながらたけーな)、洗濯機購入(今はビルトインなのです)など淡々とやってました。

2020年01月11日

シオラン

■大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに』星海社、2019年。

ルーマニアで生まれフランスで活動したペシミスト、シオランを紹介した本。タイトルが本意でないと著者が託ちているの、よくわかります。特に「あなた」を救うというような積極的な目的で書いてないんじゃないか。あと、買う側としても買いにくい、これは。買ったけど。

働く、人と付き合う、役割を引き受ける、生きている。すべてがダルく、面倒で、嫌で、倦んでいる。そういうネガティブな態度はしかし、かえって、支配/非支配の関係、周到な計画と準備を要する悪事の実行、あるいは蹴落とし苛み見得を張る社会関係といったものから自由でいることを可能にするようにも思われる。

自殺してしまいたい、と思うこともあるだろう。しかし逆に、「自殺しようと思えばしてしまえる」というカードを手にした、つまり自分の人生を自分の手中に取り戻したと思えれば、それを糧に生き続けることができるかもしれない。「あとは余生だ」と割り切って何でもできるようになるかもしれない。そもそも生まれないのが一番ではあるが(=反出生主義)、生まれてしまった以上、死は主権回復の道であり、苦しみからの解放である。死によって失うものを持たず、苦しみ、挫折ばかりだった「敗者」にとってはなおさらだ。

独断と視野狭窄と贔屓に陥らず、他者のあり方を認め、自分も自由でいる。それはぐったりし、無関心でいることによって可能になる。極限まで突き詰めれば、世の中や人生に対する嫌悪さえも消えて、「ただの無」に至るだろう。生まれずに無にとどまることができなかった、汚穢の中に生まれてしまった以上は、それが次善の策なのだ。

といいつつシオラン本人は自殺もせず、たくさんの本を売り、パートナーに寄生した上に不倫もして結構長生きした(まあ学者が自分の思想を体現するべきかというとそうでもないのだろうが)。おそらく似た性質をもつ誰もが、敗北や病気よって自分の存在にリアリティを感じ、人生を敵視するエネルギーによってかえって生き生きしてしまう。ペシミズムは運用してみると失敗する可能性がかなり高い思想のようだ。というか、ペシミストってハイスペだったり余裕があったりしないとやれないんじゃないかな。

もう21年前、留学中に受講した20th Century French Philosophyという授業で出てきたソシュール、フーコー、デリダなどいろんな人の中で、テイヤール・ド・シャルダンとシオランだけ「誰それ」って思ったんですよね。そのあと忘れていましたが、こんなだった。んで著者も大概。しかしたぶん、一緒にお茶しに行ったら午後いっぱい喋って過ごせる人のような気はする。

2020年01月01日

新年

年が明けて厄を抜けました。
大晦日は何年か(それこそ10年とかでは?)ぶりで東京にいたので、馴染みの飲み屋さんに行って年越しをしました。さっと行ってぱっと帰ろうと思っていたら、一見のインバウンドさんが振る舞い酒を始めて弊管理人も被弾し、結構酔って久しぶりにペラペラ喋るモードに入ってしまい、就寝が3時過ぎに。楽しかったので後悔はしてません。

一年の刑は元旦にありってことで元日から仕事。開いてるお店が少なかろうと、弁当を作って出勤しました。そして裂けるチーズ(スモーク)を肴にほろ酔いを飲んでしまいました。

* * *

■藤井啓祐『驚異の量子コンピュータ』岩波書店、2019年。

知識の乏しい人が「最近話題のアレってなんなん」というくらいの動機で読んでいい本ではなかった。いわばキーワード集だが、そうだとしても説明が足りないし、初出の部分でどう説明されていたかな、と戻って確認したくても索引がなくて不便。「当時」が多用されるものの、何年のことなのか分からない部分が多い。ただし情報は新しくてよい。

・最初のアイディア:ファインマン(量子系のシミュレーションには量子力学で動くコンピュータが必要)、ドイッチュ(量子版チューリングマシンの定式化)(p.39)
・確率振幅:重ね合わせの度合いを示す。確率より根本的な量(?)で、測定すると確率としての意味を持つようになる(p.46)
・エンタングルメント(EPR状態):局所性(ある所で起きたことが遠く離れた所の現象に影響を及ぼさない)と実在性(結果があらかじめ確定している)が成立しない
→これはアインシュタインが受け入れなかった。EPRのパラドクス(p.58)
→ベルの不等式:一見ランダムな測定結果があらかじめ未知の変数によって与えられていると仮定すると満たされる不等式。量子力学はこの不等式を満たさない
→これを実験的に検証したのがアスペ(1982)。ベルの不等式から派生したCHSH不等式が破れていることを実証した。ただし隠れた変数を完全に排除できてはいなかった
→最近(いつだよ)より精密な測定でベルの不等式・CHSH不等式の破れが検証されている
・量子テレポーテーション:もつれた双子粒子を分有して、片方に転送したい粒子をぶつける→もう片方に測定結果を伝える→量子状態が遠くに転送できる。測定するまで神様にも結果が分からない=盗聴不能な量子暗号
・量子ビット(pp.63-72)
 ・核スピン:IBMがやった最初の原理実証試験
 ・超電導:中村+蔡(1999)。磁束量子、トランズモン。グーグル、IBM、リゲッティなど
 ・イオントラップ:IonQ(米、モンローら)
 ・半導体:量子ドット
 ・光:カナダのXanadu
・可能性を打ち消したり、強めたりする操作で正答の可能性を高める
・アダマール、CNOT、位相回転演算を組み合わせることでどんな計算もできる
→ゲート型、あるいは回路型QC(p.85)
・ショアのアルゴリズム:素因数分解がQCで簡単に解けることを示す+チューリングマシンを超えるコンピュータが可能であることを示す(拡張チャーチ=チューリングのテーゼに対する反証)(p.90)
・デジタルコンピュータのエラー訂正
 ・ノイマンによる古典コンピュータの誤り耐性理論(1954)
  →現在のNAND多重化
 ・デジタルコンピュータでは閾値以下のノイズを0/1の離散的な値にまとめてしまえる
 ・デジタルだと1を111のように3ビットのコピーを使って表現し、ロバストにできる
 ・しかし量子ビットはコピーできない
・アナログビットの解決案
 ・ショア(1995):環境(ノイズの原因)より強いもつれをqbit同士で作ってしまう
 →エラーが起きるともつれが解消する
 →これを検出して元の情報を復元する(pp.101-102)
 ・閾値定理:ノイズが一定以下なら計算結果の精度はいくらでも上がる
 ・ラウッセンドルフ:誤り耐性一方向QC(pp.108-111)
・IBM Q(2016):5qbit
・NP問題:検算が簡単、P問題:正答を効率的に発見。P≠NPかは未解決問題(p.136)
・NISQ:数十~数百qbit。誤り訂正はない→計算ステップ数が限られる
 ・エネルギー計算やパラメータ更新などは古典が受け持つハイブリッドアルゴリズムで
 ・AI。藤井らの量子機械学習アルゴリズム(2018)
 *p.146の図28にまとめ
・汎用QCの用途
 ・原子レベルで設計した物質の物性を調べる。高温~常温超電導物質の探索など
 ・太陽電池、LED、人工光合成など量子効果が重要な材料
 ・触媒、創薬=原子、電子が集まった物質の性質や化学反応を知る。高精度シミュ
 ・仮想通貨、セキュリティ、量子重力理論の実験

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