■オーウェン・ジョーンズ(依田卓巳訳)『チャヴ―弱者を敵視する社会』海と月社、2017年
公営住宅に住んでいて暴力的、10代で妊娠し、人種差別主義者でアルコール依存の労働者階級の若者。憎悪を込めて彼らを指す「チャヴ(Chavs)」は、もともとはロマの言葉で「子ども」を指す「チャヴィ」からきた言葉だが、Council Housed And Violentの略語だ、なんてデマもある。
イギリスにおいて「階級」はなくなった、とたびたび主張されてきた。だが、そう考えてはいけない。いまでも極めて不平等な社会だし、近年その度合いは強くなっている。「階級の政治」から「アイデンティティの政治」への転回を経た世の中で、黒人や同性愛者を揶揄すれば相当な批判を受けるが、白人労働者階級は心置きなくクサせる。人種としてはマジョリティだし、”階級は存在しない”以上、彼らが苦境にあるのは彼ら自身の「向上心の欠如」によるものだということになる。こうしてアンダードッグは自分を責め続けるよう仕向けられる。
チャヴ・ヘイトの起源は1980年代のサッチャー時代に遡る。サッチャーは「階級は社会を分断する共産主義者の考え方だ」と切り捨て、集団ベースの問題解決ではなく、個々人の自助努力を称揚した。為替管理の緩和とポンド上昇によって金融業を繁栄させ、そのかわりに輸出が生命線だった製造業と工業労働者コミュニティを破壊、労働組合をこてんぱんに叩いた。結果、肉体的にはきついが、それなりの払いと安定があって誇りをもてる働き口が激減し、ただでさえ少ない雇用はスーパーやコールセンターに集約されていった。その帰結は大量失業、貧困、住宅事情の悪化、犯罪、薬物中毒、そして「嘲られる労働者階級」の誕生である。
ただ実際には、サッチャーの保守党は階級区分に深く根ざした政党であり、その政治は階級闘争そのものだったことを忘れてはならない。それは、パブリックスクール出身の中流階級が、自らの富と権力を固めるために仕掛けた、「上からの階級闘争」であった。目指したのは階級の解体ではなく、階級を見えなくすることだったのだ。
不思議なのは、多くの労働者を敵視した保守党がなぜ支持され続けたのかだ。からくりの一つは、労働者階級の中で「頑張れば上に行ける」と思う層と思わない層の間に亀裂を入れ、前者を取り込んだこと。もう一つは、対抗すべき労働党の意気消沈と弱体化だった。以来、福祉依存の敵視と公共サービスの削減、不平等の容認と低所得者により打撃の大きな税制の導入、果てはサッカーのチケット値上げによる低所得者の締め出しまで行われ、ポスト・サッチャーの時代にもプロジェクトは順調に完成へ向かう。貧困は社会問題ではなく、個人の資質の問題になっていった。
中流出身の議員や報道関係者、右派評論家らは労働者階級を理解する動機と視点を欠き、テレビや新聞は暴力や無気力の極端な例を全体状況のように描いて容赦なく労働者階級を貶める。労働党=ニュー・レイバーまでもが「向上心のある労働者」に焦点を当てる。ブレアが「能力主義(メリトクラシー)」を押し出し「いまやわれわれはみな中流階級だ」と言い放つに及んで、「チャヴ」の代弁者は消滅した。
その空白を埋めたのが、人種差別的なイギリス国民党(BNP)である。白人労働者階級はネグレクトされた民族的マイノリティだ、という多文化主義のハッキング。そして「チャヴは愚かだからBNPを支持する」――人種差別を否定するリベラルな価値観から、さらなるバッシングが噴出するとは!その一方で不十分な雇用、不十分な住居という社会問題の責めは社会の支配階層ではなく、移民に帰せられていくのだ。
2011年に書かれた本ですが、16年のBrexitもこの流れで理解できるんじゃないでしょうか。排除の社会学・応用編、あるいはポピュリズムの政治学。さてイギリスのケーススタディはどこの国まで敷衍できるかな。