■信原幸弘(編)『ワードマップ 心の哲学』新曜社, 2017年.
18年も前の留学時代に「心の哲学」を覗き見したとき、なんか小難しいけどこれ必要なのかな……と思ったまま遠ざかっていました。しかしその後、認知科学が発展し、ディープラーニングが興隆して、今ここすっごい面白いんじゃないかと思っていたところに、丁度良く見取り図が出たので買ってみました。いつだって自然科学の参照なしに人文学なんてできなかったと思うけれど、その結びつきが特に強まる時期に来たとも感じます。次のような項目に特に興味を持ちました。
・物と心は一つなのか二つなのか、脳がどうやって心を生むのか。
・「わたし」は(どのような意味で)存在するのか。
・美醜に関する経験の本質的特徴とは何か。利益と無関係であること?驚嘆で構成されること?……
・「心」と「世界」の境界はどこにあるのか。ノートに書き留めたメモ(つまり脳の外に固定された記憶)は拡張された心とはいえないか?慣習やルールなど「社会」とのかかわりにまで拡張することはできないか?
・精神疾患と身体疾患はどう違うのか。物理的治療と心理的治療とはどんな関係にあるのだろうか?(=心身問題の再燃!)精神医学におけるEBM、VBM、NBMとは?
・「依存状態」では何が起きているのか。対象を獲得することを繰り返すと、慣れてしまって快感は減り、気持ちは離れていくはずなのに、なぜ身体が対象をますます求めるのか?
・心はコンピュータで再現できるのか、コンピュータで超えることができるのか?
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関連で、この夏聞いた放送大学のラジオ科目「比較認知科学」(今年改訂されたものらしい)が出色でした。比較は文化間比較ではなく、ヒトとサル、ハト、ネズミなど動物との比較です。実験によって明らかになってきた、動物の色や形の認識、記憶、感情、メタ認知などが人間とどう同じでどう違うのか。これを聞くと世界の見え方がちょっと変わってきます。
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メンタルがやばげな妹からLINEで差し迫ったメッセージが来て、仕事が特に忙しい時期に入っていた弊管理人は、メッセージの影響で一時期結構やられました。やばい人に対して無視や停止要求をすることもできないので、仕事中はLINEを見ないことにして、終わったら気合いを入れて、まとまった時間、相手をしていました。
やりとりしていて気付いた特徴ですが、
(1)自分を環境から攻撃を受ける被害者の立場に置き(「かかってる医者が自分の大変さを理解してくれない、仕事がの負担が重い、騒音など住環境が悪い」)
(2)しかし自分も責め(「弱い自分が厭になる」)
(3)防衛的で変わろうとしない(アドバイスしても「もう十分やってる」、金銭的援助などを申し出ると「迷惑かけたくないから援助は求めない」)
ので、非常に対処しにくい。
一度とっくりとやりとりをして、どうも「隣戸の生活音や、他人が自分に良い感情を抱いていないのではないかなど、外部に対して過敏になっており、それが社会生活をストレスフルにしている」という整理にまでは辿り着きました。今後の方向性としては、恐らくかなり根本的な問題である「感覚の過敏さ」(あるいは「不安」)を薬でコントロールすることを第一に目指すことを提案しました。長くかかっているらしい医者が合ってないので、医者を変えるのがいいのではとも。
しかし、「感覚の過敏さ」にも原因があるはずです。それが引き起こす社会生活のストレスがさらに感覚過敏の一因になるという、ネガティブなループを作ってしまっているようでもあります。薬を使ってループを切断する試みが成功しなければ、次に考えるのは社会生活からいったん退避することでしょう。田舎に戻ることが手段かもしれませんが、田舎の父に負担がいくのでできれば避けたいところではあります。
また、社会生活のストレスもさることながら、それとは別のもっと深いところに、「感覚の過敏さ」を引き起こしている原因があるのかもしれません。思いつくのは家族との死別や大学中退前後のゴタゴタですが、これは精神療法で何とかしていく類のものではないかと推測します。ただし弊管理人(そして弊管理人がこの件について見解を聞いてみた人)は、妹は「もともとそういう体質の人」である可能性が高く、狙えるところはせいぜい「緩和」までだろうとも思っています。
長いこと交渉の薄い妹なので弊管理人が持っている情報は少なく、対処方法を考えるために来歴と現状を聞き取っていると非常に疲れるし、愚痴り返すと状況が悪化するため愚痴れず、ストレスも大きいです。「こういうストレス構造になっている」と説明しても、それを自力で解決しようという意思や行動にはつながらないかもしれない。ただ「うんうん大変やね」と聞くくらいの対処しかないようでもありますが、やばい人は「この人は話を聞いてくれる」と思うとその人にばかり話すので負担が集中するんですよね。近日、弊管理人の仕事が落ち着いたところで面談をすることになっており、またおなかがしくしくしそうです。