後期近代の眩暈
■ジョック・ヤング(木下ちがや他訳)『後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ』青土社、2008年。
Young, Jock. The Vertigo of Late Modernity, London: SAGE Publications, 2007.
まえに読んだ『排除型社会』の続編。9.11以降に書かれた続編であれば絶対に読んでおかなければならないと思って手に取りました。
前著の訳はすごく読みやすくてよかったんですけど、こっちは(拙劣ではないだけいいけど)固いなー。
犯罪、アンダークラス、テロ、セレブ、新しいメディア。全球を覆い尽くすまでにその触手を伸ばし、世界のすみずみまで飲み込みながら、その中から次々と”異分子”を同定して排除する。そういう「強迫的に包摂と排除を繰り返す」運動のことを「過剰包摂」と訳したようなのですが、まさにその様子を一言で表すキーワードbulimiaは、そのまま「(強迫的に食っては吐く)過食症」と訳すのが一番分かりやすかったんじゃないかなあ。
で、そこに潜むのは「われわれ」と「かれら」を分かとうとする衝動であって、その衝動の背景にあるのは経済・だけでなく・アイデンティティの流動化と不安定化だー、みたいな図式はとてもわかりやすい。
でも個人的には、この本の見どころは、図式の目新しさとかではなくて、随所にちりばめられた社会批評の多彩さではないかしらと思うのであります。いかに「われわれ」と「かれら」が似ているか、近接し・混ざりあっているか、”問題”の帰責先を構造ではなくて個人に指定してしまっているか、などについての事例を重ね、ボリュームのあるミルクレープを作り上げているのだと思います。(ドトールのミルクレープ、食いてーなー)