« 正月上旬 | メイン | 離任と引っ越し »

近美と、呑み友送別会

引っ越しが今週に迫りました。冷蔵庫の食品の処理をしつつ段ボールに囲まれて生活していると気分がどうも上向かないものです。

で、竹橋の東京国立近代美術館に行ってきました。目当ては「窓展」だったのですが、常設展の解説がなかなか面白くて、むしろそちらを楽しみました。ちょうど先日読んだ『現代美術史』にあったあった!こういうのだったのか!というワードや資料がちらほら。

ちょうどギャラリートークをやっていたので参加しました。講師は東京学芸大の名誉教授、増田金吾さん(美術教育史)。テーマは「児童画」。
200119kodomo.JPG

【児童画の歴史】

・明治~大正半ばまでは、図画の授業は「臨画」が中心。臨画とは手本を真似ること。漢字の「書き方」のように、線1本1本の順番と描く方向が指示された手本に従って絵画の技術を習得する、実用的で拘束性の強い授業だった。文化アイデンティティの確立を目指していた時期と軌を一にしていた

・これに対して、山本鼎はお手本を廃し、特に風景を見たまま写生させる「自由画教育」を推進。1919(大正8)年には長野の上田で最初の自由画展覧会。大正デモクラシーと新教育運動が背景。ただし、一人一人の個性を重視するため、教授の方法論は難しかった

・岸田劉生は1925年「図画教育論」で(1)自由画法(2)見学法=鑑賞教育(3)手法教授=技術指導(4)装飾法(バランスやリズム)―の方法論を示した。美的な面を重視し、臨画も一定認めた

・第二次大戦後、社会や教育界が抑圧から解放される。前衛が復活。1950年代には美術教育団体ができた。
(1)美術評論家の久保貞次郎、画家の北川民次ら幅広い立場の人たちが集まり、クリエイティブであることを重視する創造主義の「創造美育協会」
(2)戦前の「想画」(生活画)が源流とされ、風景の写生よりも実生活の細密な描写を重んずる生活主義の「新しい絵の会」
(3)造形を重視する造形主義の「造形教育センター」など

・児童画はGHQの中にあった民間情報教育局によるアメリカの児童画紹介、毎日・朝日が始めた児童画コンクールなどで隆盛。「アトリエ」など大人向け美術雑誌も児童画の発展を後押し

・「日本アンデパンダン展」では大人と子どもの作品が区別なく展示された。1950年代にはクロード岡本という天才少年が現れ、絵画教室に子どもを通わせる親が続出。児童画教育がテーマの開高健『裸の王様』が芥川賞、創美の映画「絵を描く子どもたち」が一般映画館で上映され、児童画ブームも。近美でも1954年に「世界の児童画」展。当時は「作品」扱いだった。現在は「資料」扱いになっているとのこと

・1960年代の教育法について質問したところ、創造主義は現在も生きている思想だとのお答えでした。元をたどると、絵についての直接の言及はないものの、ルソーやペスタロッチ、フレーベルなどまで戻る。ただし指導する立場を考えると、先生も創造的でないとできない立場ではある。教員養成ではこういう考え方があるとは紹介した上で、どれがいい/悪いという教え方はしていない、らしい

・終了後、立ち話で「子どもポスターコンクールとかってどういう視点で優劣つけるんですか」と聞いてみました。芸大の先生は(目を引く表現があるかといった)芸術的視点、学芸大の先生は(メッセージ性があるか、バランスはどうかといった)媒体としての成立性、教育的視点で見てしまうことが多いが、それぞれ、とのことでした。ちなみに講師の先生は美術館に収蔵されるときの扱いは「作品」ではなく「資料」でよいとの立場だそうです。スポーツにおける甲子園みたいね

・いろいろ聞きすぎて「あの、失礼ですがどういうバックグラウンドの方で?」と聞かれてしまいました。通りすがりのおじさんです。すみませんでした

【児童画と発達段階】

・ローウェンフェルドの分類を紹介された

(1)なぐりがき期(2-4歳。年齢は大体。以下同じ):手の運動の延長。ぶわーっと線が描かれているが何が描かれているか分からないような絵を描く時期

(2)前図式期(4-7歳):「図式」を獲得する前段階。何らかのイメージに基づいて形を描いていることは分かる。例えば「人」であることは分かる程度の形は描くが、色は白だったりと現実を反映していない。丸い頭からいきなり2本の足が生えている「頭足人」を描いたりする(←これは国を問わず子どもが描くらしい)。大切なものを大きく描く

(3)図式期(7-9歳):自分が知っているものを図式的に描く。人はみんな同じような形、顔はどの人物も同じような顔で描かれる。「空は上のほうにあり、青いもの」という概念に従って、画面上部に青い帯を描いたりする。「太陽は赤いもの」という概念を獲得すると太陽を赤い丸にする。手は「5本の指を持つ」という概念を表現するが、親指だけ方向が違うなどの現実を反映しない。見えないはずの木の根を描いたりする(レントゲン描法)

ここまでが「知っているものを描く」という段階。この後、「見えたものを描く」という転換が起きる。

(4)写実の芽生え期(9-11歳):「立体と平面が混ざったキュビズムのような構成」など図式期の名残がある時期だが、「俯瞰視点で描ける」「人や動物などのオブジェクトが奥行きを持って重なって描ける」といった写実性がみられる(図式期だと、例えば運動会の絵では多数の人間が並んで仰向けに倒れているような絵を描く)

(5)擬写実期(11-13歳):自然主義的態度。劇画の愛好。三次元表現の強化、遠近法の使用

(6)決定期(13-17歳)

・恐らく作文や音楽創作においても似たような発達段階分類の仕方があるのだろうと思いますが、先生は「多分あるけど知らない」とのことでした

200119kinbi.JPG
初めて触る分野だったので面白かったです。
窓展や、ちょっと離れたところにある工芸館も充実してました。

* * *

呑み友であり、この数年、休日に東京と近県のいろんな温泉に行きまくった30-40代の友達5人が新宿三丁目のトリキで送別会をやってくれました。といっても、いつも通りに喋りながらメシを食うだけなんですけど。

5人のうち誰が参加するかはそのたび変わりましたが、日曜の昼過ぎにLINEで「風呂行く?」「茶する?」「なんか食う?」から始まって深夜まで風呂とラーメンや焼肉に行くのが通例。まあよく喋った。何を喋ったか覚えてないくらいどーでもいいことばかりだったと思いますが、確か世界の出来事から老い、エロ、噂話などいろいろ。

これまでの「たぶん行ったきり、さようなら」な異動と違って、今回は元いた東京に戻ってくる可能性もあるのだけど、それでも今この時間、定例の呑みや風呂の記憶はどんどん遠くなっていくのかもしれない。40代というのも、「次会うときに今とあまり変わらずにいられるかどうか」という疑問を突きつけてくる年頃です。

ラストオーダー後にカメラを取り出そうとしたらあっさり散会してしまったので、できるだけ思い出せるよう、記して栞だけ挟んでおこう。きょう来てくれたのは、しんちゃん、ルパン、トンガちゃん、ひろちゃん、たかしくん。

* * *

新居でのガス、電気、水道開通、郵便物の転送はあっさりネットで手続きができました。いつからそうなん?
懸案だったネットは先週木曜の申込み時「2-3週間かかります」と言われて暫くネットなし生活か?と思っていたところ、きょう開通工事の調整をしたときに、荷受けの日に開通できることが分かりました。やった。

About

2020年01月19日 23:25に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「正月上旬」です。

次の投稿は「離任と引っ越し」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35