◆アリストテレス(三浦洋訳)『政治学(上・下)』光文社、2023年
本文だけで上下合わせて900ページ、そこに親切な解説がついて読み通すのに結構時間がかかりましたが、せっかくなので上巻4時間半、下巻3時間半くらいかけてページをめくり直し、メモを作りました。弊管理人の目にとまったところだけ抜き出し、しかも異常なスピードで駆け抜けたため、正確性・妥当性には全く自信がありません。遙か下のほうに、後から「あれどこに書いてあったっけな」というのが分かる原メモみたいなものを付けて、とりあえず現時点でのざっくり理解と、思ったことを書き付けておきます。
著者はとにかく何でも分析ニキで、自然・人間・社会への関心の広さと観察眼は卓越しています。そして今の西側思想世界は、ニキが考えたことの深化や、それへの批判でできてるんだなと改めて思いました。
【第1巻】
国家は人が生きるために発生し、「善く生きる」ために存在している。家(男女、奴隷関係)→家が集まって村→村が集まって国家が発生する、という「自然過程」が説明される。とにかく社会関係も自然なものだと考えられ「自然は人間のためにある」とか「身体を使うことが最善であるような人は自然本性的に奴隷」「妻子は夫に支配されるべきもの」など現在の感覚からするとおいおいと思うことも多く、また極めて現状肯定的・運命論的だ。ニキの体系をどこまでつまみ食いしていいものかと悩むところではある。
一方で、分析対象を構成要素にまで分解して成り立ちを考える手つきは、デカルト以降の科学にも通じるところかなと思った。交換から貨幣が生まれ、そして自然でない利殖術・財テクの発生まで行ってしまうところからはマルクスと、ついでにカイヨワを思い起こしてしまった。
エピソードとしては「自然哲学者も本気になれば科学を使って金儲けができるが、そんなもん真剣にやるようなことではないのでやってないだけだ」ということを示すタレスの事例が面白かった。まあ国には金儲けの才覚を持った人も必要なんだけどな。
【第2巻】
先行研究のレビュー。主にはソクラテス、プラトン批判が続く。国家における「妻子の共有」や国家が一つになること、私有財産の否定といったものに対する反論。ここは個人的にあまり引っかからなかったが、多様性を認めたり(ただし女性を自由にするような国制を「有害」と言っており、現在の意味の「多様性」ではない。単にいろんな人がいる、くらいの意味)、善く生きるには先立つものが必要だ、という現実主義なところは面白いなと思った。カネがなければ「気前のよさ」という自由人の徳を発揮することができないんだよね。
そのあとには、別の人たちの国制論や、クレタ、ラケダイモン(=スパルタ)、カルタゴ、ソロンの国政運営の検討が続く。このあたりはさらっと。
【第3巻】
ここから有名な国制の分類に入る。
準備運動として、まず国を構成する「市民とは何か」を規定する。それは国の運営に関わる人たち、ということである(しかしそこには手を使って働く職人も子どもも含まれない)。国は生きるための相互扶助の場であるとともに、人のために善く生きること、「公共善」の追求の場であるとされる。サンデルがよく使う「公共善」がここで出てきた。
そして、最高権限を占めているのが1人か、少数か、多数か。また支配者のための悪い統治か、みんなのための正しい統治か、で6種類の国制が紹介される。
<正しい国制>
・支配者が1人:王制(世襲制/選出制)。支配の劣化が起きやすいのが難点
・支配者が少数者:貴族制(最善の人々アリストイ/最善の目的アリストンに由来)。これが最善の国制
・支配者が多数者:共和制(ポリーテイアー。戦士が最高権限を持つ。戦争の徳であれば多数者が極められるから)
<逸脱した国制>市民に共通の利益を目指していない国制
・支配者が1人:独裁制(単独者のための国制)
・支配者が少数者:寡頭制(富裕者のための国制)
・支配者が多数者:民主制(貧困者のための国制)。少数者のものを取り上げ、多数者に分配しようとする。多数者主権+個人の自由を特徴とする
なぜ支配者のための統治が悪のか。それは、市民と市民の間の関係が「主人と奴隷」のようになってしまい「自由な市民の共同体」という本来のあり方から逸脱するからだ。この、奴隷も女性も子どももいない「戦う男」だけの上澄みワールドだけ見ればの話しではあるが、今の「民主主義」の理念に近くなる。
あっと思ったのは、「悪い国制」の中で、少数者が支配する「寡頭制」と多数者が支配する「民主制」の違いに関する指摘だ。両者の違いは本質的には支配者の多寡ではなく「金持ちによる支配か、貧乏人による支配か」だという。バーニー・サンダースが「Oligarchyと闘う」と言っていたのは「金持ち支配じゃあかんやろ」という、古典を正しく踏まえたキャッチフレーズだったんだなあと。
そして、「対等な人を対等に扱う」という、単純な平等論とも格差肯定とも違う正義のあり方は、ロールズやノージックで再燃した「分配的正義」の源流だった。
あと、「傑出した個人」をどう扱うかがちょっとした難問として取り上げられているのも面白かった。自由で対等な市民同士の支配関係にとって、突出した人の存在はそぐわないので、陶片追放などで放逐されてしまうのが常だ。しかし、そういう人は最高指導者(王)になってしまうという手もあるのではないか。
【第4巻】
ここでは、とりあえず理想の国制は置いておいて、「現実的な最善の国制」という実用的な課題を考える。現実に多い国制は民主制と寡頭制なので、そのあたりが中心になる。やっていることの大半はおのおのの国制の細かな分析で、そこはまああまり深入りしない。
それぞれの国制をどう捉えるかは、解説(上巻p.596)のまとめが分かりやすい。
・貧困者が自由を尊重するのが「民主制」
・富裕者が富を尊重するのが「寡頭制」
・上記二つを混合したのが「共和制」(ラケダイモン人の国制が例。貧困者、富裕者の子どもがそれぞれ教育を受けられる点で民主制的、公職者がくじ引きではなく選出制な点で寡頭制的)
・そこに徳の尊重が加わると「貴族制」(いろんな人が「この国は自分にとって恩恵がある」と思えることで善い国制になる)
最善の国制はと言われれば貴族制である。が、現実はいろんな国にいろんな事情があるので、各国が置かれた状況の中で一番安定するものを選べばいいよ、というのも現実主義の考え方。
「中間層が厚いことが民主制の安定の要だ」という指摘には「へえ」と思った。中庸を好む立場からは当然といえば当然だが、中間層は陰謀の対象にも嫉妬の対象にもなりにくいという指摘は鋭い。また中間層は、寡頭制に傾きそうになったら貧困層に加勢して揺り戻し、極端な民主制=貧困者支配に向かいそうになったら富裕層に加勢して引き戻す「バランサー」となり、最悪の国制である独裁制の出現を防止するという役割を見いだしているのは面白い。
14章では、ものごとを決めるときに市民全員で決める(民主制的な決め方)か、あるいは一部の人に判断を委ねるか(寡頭制的な決め方)、この二つのブレンドによって生まれてくるいろんな「決め方のバリエーション」が扱われていた。今の民主主義と自由主義―多数者の決定と、専門知による決定―のバランス問題の胚胎だろうか。
【第5巻】
「現実的な最善国家」の話の続きで、「国家はどういうときに揺らぐのか、安定させるにはどうしたらいいか」というトピックが展開される。
ざくっと言うと、社会が不安定化する根本要因は、「対等な人を対等に扱う」という分配の鉄則を守らない、つまり利益や名誉を適切に分配しない時だ。
国制を安定させる方策は簡単で、上に述べた不安定化要因と逆のことをすればよい。
民主制の場合に必要なのは、「金持ちから取って貧乏人に配れ」という民衆指導者が出現し、貧困層と富裕層の対立が深まって国を不安定化するのを避けること。ある一人の突出した存在をつくらないこと。「富裕者から取って貧困者に配る」という対立的な方法ではなく、報酬つき公職を適切に分配することを通じて財産を平準化させること。汚職をしないこと。
なお、民主制をなぜ「悪い国制」のほうに分類するかについて、「民主制は多数者支配+個人の自由。だが自由奔放であることは欲望への隷属となるので低劣な生き方である」と説明しているのが面白かった。そうね、自由は節制という徳と衝突するね。
いろんな国制について上記のような分析と提言をしているが、独裁制についても「なぜ独裁制が揺らぐのか」「揺らがないためにどうすればいいか」という「独裁者に役立つ悪のマニュアル」を提示してしまっているのも興味深かった。
独裁制を安定化させる方策として(1)独裁を強める方向と(2)正しい国制である王制に近づける方向、の二つが提示されている。
(1:独裁を強める方向)では市民が集まる機会を減らし、監視状態に置き、密告を奨励する。階層を分断する。被支配者を貧困状態に置くことが具体策だ。つまり「被支配者が小さなことばかり意識するように仕向ける」「被支配者が互いに信頼しないようにする」「被支配者の行動力を殺ぐ」ということ。こわい。
(2:王制に近づける方向)は、公金について潔白でいること、畏敬の念を抱かせるよう威厳を持つこと、享楽を慎むこと、優れた人に名誉を与えることが具体策になる。
【第6巻】
民主制と寡頭制の特徴と、国を息長く存続させるための政策を深掘りする。
民主制の要は「自由」であり、自由は(1)分配が個々人の価値ではなく人の数に基づく(2)個人が望むように生きること、という二つの側面を持つ。
一般的には貧乏人が多数なので(1)の帰結として民主制は貧乏人による支配となり、卑しさ、貧困、低俗が特徴となる。これは寡頭制の逆となる。
また(2)からは「できるだけ他人に支配されたくない」ことに基づいた制度が帰結する。公職(≒行政)は全員参加のくじ引きで任期は短期間、再任は限定される形になる。裁判(司法)では全員が裁判員になる。民会(≒立法)が最高の権限を持ち、多数者の意見が正義とみなされる。まあ力づくで決めるよりはマシである(暴力で勝てる人は真理を顧みないから)。
上記のような分析を読んでううむと思いながら次の第7巻に進んでみたら「人々の同質性が高い社会では交代制で支配することが適切になる」という記述があった(下巻p.237)。国民に極端な所得格差がなく、身分や男女の差別が制度的に廃止され、一定水準の教育が行き渡ったような社会であれば、民主制は「正しい国制」となるのかもしれないな。
寡頭制は、公職に就く人の財産要件をうまく調整することでいい制度になる。重要な公職(上位職)には高いハードル、必要不可欠な公職(現場職)に低いハードルを課し、かつ公職参入者が非参入者よりちょっと多くなるくらいにすると安定するということだろう。なお門閥制は独裁に近い最悪の寡頭制とされている。
【第7巻】
ここからは、理想的な最善の国制に関する考察。
まず個人の「最善の生」あるいは「至福」って何だ、というところから話が始まる。「魂の善(徳)」である勇気、節制、正義、思慮が必要で、これによって「外的な善」である富、財貨、権力、名誉が獲得される。他に「身体の善」つまり健康も必要となる。
個人の善は国家の善につながるが、では個人としては政治に関与すべきか、それとも支配したりされたりする世界とは距離を取って哲学するべきか、という問いが次に出てくる。
著者の考えでは、「幸福」すなわち「善い実践」なので、政治をやるのが必ずしも低級なことだとは言えない。ただし観想とか思考はもっと直接的に幸福の実践となるので、哲学して生きることも大切だといえる。ちょっと分かりにくいが、解説(下巻p.422)によると、二つの生き方は相互排他的ではないということらしい。
次に、理想的な国はどんな構成か、に関する話が始まっていく。
キーワードは「自足」で、人口規模は国家がさまざまな機能を具えて自足できるために大きいほうがいいが、秩序が保てる程度が上限になる。言い換えると、だいたい国民がどんな人で構成されているかが把握できる程度。国土も同様に、国全体が想像できる程度の大きさがいい。
国の構成要素は食料/道具製作の技術/武器/財貨/祭祀/国家運営機構で、これらを市民で分担する。若い人は体力があるから戦士となり、老人は思慮があるから審議員や祭司をやるなど、年齢で役割を振られることになる。結局は全市民がライフステージに応じていろんな役割を担いながら国家運営に参画していく。全員参加なので、一人一人が優れていることが望ましい。国と個人がともに目指すところは「平和」と「閑暇」である。「知への愛、節制、正義」をもって、得られた平和と閑暇をうまく消費するのだ。
市民の条件は、まず自然本性として「知性と情」があることが必要(で、ギリシャ人はそれを具えていると自画自賛)。他に「習慣」と「理性」が必要とされ、これらは教育を通じて涵養される。【第8章】にかけて子作りの適齢期(女性18歳、男性37歳ごろだそう)、体力作り、子どもができたら何を食べさせるか、教育は何を教えるか、など、とにかくいろんなことを考えていく。スポーツと音楽は特に検討されるが、いずれも市民として必要ではあるが、やり過ぎてアスリートとかミュージシャンになることは推奨されない。いいところでやめて国家運営の教育に入ろうなということだろう。
—---------原メモ-----------
【第1巻】
家(男女、奴隷関係)→家が集まって村→村が集まって国家が発生する、という「自然過程」が説明される。とにかく社会関係も自然なものだと考えられ「自然は人間のためにある」とか「身体を使うことが最善であるような人は自然本性的に奴隷」「妻子は夫に支配されるべきもの」など現在の感覚からするとおいおいと思うことも多く、また極めて現状肯定的・運命論的だ。ニキの体系をどこまでつまみ食いしていいものかと悩むところではある。
一方で、分析対象を構成要素にまで分解して成り立ちを考える手つきは、デカルト以降の科学にも通じるところかなと思った。交換から貨幣が生まれ、そして自然でない利殖術・財テクの発生まで行ってしまうところからはマルクスと、ついでにカイヨワを思い起こしてしまった。
エピソードとしては「自然哲学者も本気になれば科学を使って金儲けができるが、そんなもん真剣にやるようなことではないのでやってないだけだ」ということを示すタレスの事例が面白かった。まあ国にはそういう才覚を持った人も必要なんだけどな。
・「生殖のために男女は対になる」(上26)「自然的に支配者になる性質の者」がいる(上28)
・男女、奴隷(家)→家の集合で村→村々から構成される国家(=究極の共同体であり、自然的な存在)。★生きるために発生し、善く生きるために存在している(上30-31)
・人間は自然本性的に国家を形成する動物である(上32)→自然本性的に国家に属しない人間は人間以下か人間を超えた存在
・[言葉による]善と悪、正義と不正などの共有が、家や国家を作り出すのである(上34)
・魂>身体。身体を使うことが最善であるような人間が自然本性的な奴隷と考えられ、そうした人たちは隷従することがその人たちのためにもなるし正しいことでもある(上50-55)
・奴隷は自分の仕事の知識を持っていることが必要。主人は命令方法を知っていればよく、自分は国家の運営や哲学をする。また奴隷獲得の知識は狩猟術のようなものである(上66-67)
・「自然は目的のないものを作ったり、無駄なものを作ったりしないのならば、必然的に、自然が作り出すもののすべては人間のためにあることになる」(上73)
・国内で足りないものを輸入するようになると、貨幣が発生する。物々交換でモノをいちいち持ち歩かないため。最初は一定の重さの鉄や銀。自分で計量していた時代から、刻印での代用へ(上79)→商業的売買術が生まれる。これは自然に基づかない。さらにカネがカネを生むという自然に反する金融術が派生する。これらは非難されるもの。一方、自然に基づくものは家庭生活の維持を追求する「家政術」で、こちらは賞賛される(上80-81、90-91)
・貧乏を非難され、天文学の知識を使ってオリーブビジネスを成功させてみせたタレスを引き合いに「哲学者にとって、望めば富裕になるのは容易だが、それは哲学者が真剣になって行う事柄ではない」(上97)まあ政府にはそういう専門家もいるもんだけどな(上98-99)
【第2巻】
先行研究のレビュー。主にはソクラテス、プラトン批判が続く。国家における「妻子の共有」や国家が一つになること、私有財産の否定といったものに対する反論。ここは個人的にあまり引っかからなかったが、多様性を認めたり(ただし女性を自由にするような国制を「有害」と言っており、現在の意味の「多様性」ではない。単にいろんな人がいる、くらいの意味)、善く生きるには先立つものが必要だ、という現実主義なところは面白いなと思った。カネがなければ「気前のよさ」という自由人の徳を発揮することができないんだよね。
そのあとには、別の人たちの国制論や、クレタ、ラケダイモン(=スパルタ)、カルタゴ、ソロンの国政運営の検討が続く。このあたりはさらっと。
・国家が必然的に多様性をはらんでいて、その度合いが高いほうが望ましい(上125)ハーモニーは単音では奏でられないよね(上148)
・「友愛があれば内乱を最小限まで抑えられるので、友愛こそが国家にとって最大の善だと私たちは考える」(上136)
・「所有の面では財産は私有にしつつ、使用の面では共有化するほうが善いことは明らかである」快の大きさにも私有は貢献する。適度に自分の財貨を愛するのは普通のことだし、財貨を私有していることで友達やお客さんに親切にすることもできる(上144-145)→「気前のよさ」という徳を実現できる(上146)。「節制を保ち、かつ、自由人らしい気前のよさを持って生きるのに適した量」の財産が必要(上162)
・プラトンの『法律』で望まれているのは、民主制と寡頭制の間に位置し、重装歩兵が支配層を構成する「共和制」。現実的な理想としてはいいが、最高の国制というのであれば不適切(上167-168)
【第3巻】
ここから有名な国制の分類に入る。
準備運動として、まず国を構成する「市民とは何か」を規定する。それは国の運営に関わる人たち、ということである(しかしそこには手を使って働く職人も子どもも含まれない)。国は生きるための相互扶助の場であるとともに、人のために善く生きること、「公共善」の追求の場であるとされる。サンデルがよく使う「公共善」がここで出てきた。
そして、最高権限を占めているのが1人か、少数か、多数か。また支配者のための悪い統治か、みんなのための正しい統治か、で6種類の国制が紹介される。
<正しい国制>
・支配者が1人:王制(世襲制/選出制)。支配の劣化が起きやすいのが難点
・支配者が少数者:貴族制(最善の人々アリストイ/最善の目的アリストンに由来)。これが最善の国制
・支配者が多数者:共和制(ポリーテイアー。戦士が最高権限を持つ。戦争の徳であれば多数者が極められるから)
<逸脱した国制>市民に共通の利益を目指していない国制
・支配者が1人:独裁制(単独者のための国制)
・支配者が少数者:寡頭制(富裕者のための国制)
・支配者が多数者:民主制(貧困者のための国制)。少数者のものを取り上げ、多数者に分配しようとする。多数者主権+個人の自由を特徴とする
なぜ支配者のための統治が悪のか。それは、市民と市民の間の関係が「主人と奴隷」のようになってしまい「自由な市民の共同体」という本来のあり方から逸脱するからだ。この、奴隷も女性も子どももいない「戦う男」だけの上澄みワールドだけ見ればの話しではあるが、今の「民主主義」の理念に近くなる。
あっと思ったのは、「悪い国制」の中で、少数者が支配する「寡頭制」と多数者が支配する「民主制」の違いに関する指摘だ。両者の違いは本質的には支配者の多寡ではなく「金持ちによる支配か、貧乏人による支配か」だという。バーニー・サンダースが「Oligarchyと闘う」と言っていたのは「金持ち支配じゃあかんやろ」という、古典を正しく踏まえたキャッチフレーズだったんだなあと。
そして、「対等な人を対等に扱う」という、単純な平等論とも格差肯定とも違う正義のあり方は、ロールズやノージックで再燃した「分配的正義」の源流だった。
あと、「傑出した個人」をどう扱うかがちょっとした難問として取り上げられているのも面白かった。自由で対等な市民同士の支配関係にとって、突出した人の存在はそぐわないので、陶片追放などで放逐されてしまうのが常だ。しかし、そういう人は最高指導者(王)になってしまうという手もあるのではないか。ニキはとにかくいろんなことを考えてしまう。
・市民とは「裁判の判決への参与と政治的な支配を行う公職への参与によって(規定される)」(上255)。あるいは「国家において共同の活動を行う人々」(上270)。実用的な定義としては、両親ともに市民である子(上260)となる
・国家とは「市民が自足した生活を送るのに十分なほどの集団になったもの、それが国家だということになる」(上258)が、国家の同一性は、同じ人々がそこに住んでいるかどうかではなく、国制によって担保される(上268-269)
・市民の仕事は「共同体を安全に保つ」ことなので、市民の仕事は必然的に国政に関係してくる。市民の徳は(いろんな人が国家を構成しているので)いろいろあるが、人間の徳は一つしかないので、両者は別ものである(上271-272)。支配者の徳に限っては「思慮深さ」であって人間の徳と一致する(上274)が、市民の徳は支配されることに関しても支配することに関しても知識があり、かつ実践できるということだといえる。具体的には節制、正義、勇気であり、奴隷の支配ではなく自由人の間の市民的支配(軍隊における指揮関係のようなもの)である(上278)
・職人や子どもは「不完全な市民」と位置づける(上283)
・貴族制=徳に応じて公職が与えられる国制。これに対して寡頭制=財産が公職参与の条件になる国制では、豊かな職人が市民になれる可能性がある(上284)
・国家は人間の自然本性から形成される。人は相互扶助の必要がない時でも、「ともに生きる」という欲求を持っている。このほかに、公共的に人のためになること「公共善」が人を集結させているのも事実である。こうした「立派に生きる」ことのほかに「単に生きる」ためにも人は集まる(上289-290)
・国家とは単に同じ国土を共有している共同体ではなく、単に不正行為の禁止を目的とする共同体(法共同体)でもなく、単に物資の交換を目的とする共同体(市場)でもなく、単に外的を防ぐ共同体(軍事同盟)でもない。★「完全に自足した生を実現するために、多くの家や一族が善く生きることを共有する共同体」である(上308-309)
・正しい国制は、人々のための公共善を目指している。誤った国制は、支配者自身のためだけになること(私利)を目指している。つまり、主人と奴隷のような国制であり、「自由人同士の共同体としての国家」から逸脱している(上293)
・国制の分類(上294ー)。最高権限の数と、公共善/私利によって分類できる。
<正しい国制>
1人:王制(世襲制/選出制、上352-)、支配の劣化が起きやすいのが難点
少数者:貴族制(最善の人々アリストイ/最善の目的アリストンに由来)。最善の国制(上462)
多数者:共和制(ポリーテイアー。戦士が最高権限を持つ。戦争の徳なら多数者が極められるから)
<逸脱した国制>市民に共通の利益を目指していない
1人:独裁制(単独者のための国制)
少数者:寡頭制(富裕者のための国制)。
多数者:民主制(貧困者のための国制)。少数者のものを取り上げ、多数者に分配する。多数者主権+個人の自由(下100-101)
・富裕者が少数なのが普通なのでこういう区別になるが、本質的なのは富の多寡なので、富裕者が多数で支配層を形成していても「寡頭制」と呼べばよい(上300)
・正義とは「対等な人を対等に扱う」ということだという点からは、「一律に平等に扱う」という民主制も、「単純に格差を是認する」寡頭制も否定される(上302-303)
・多数者の集合知が最善の少数者を上回るが、そういうことが起きない大衆というものもいる(上316)
・少数派支配の場合、公職という名誉に与れない者が多く出て社会が敵対的になる(上319)
大衆が有徳者より重要な問題を扱うことの問題
→公職によって財産要件を設けてはどうか(上324)
・公職を要求する根拠(上336ー)
生まれの善さ(名門)=一族の有徳性、郷里での尊敬、優れた人から優れた人が生まれる
富=国家の基盤となる土地持ちであること、信用性
徳=正義(徳)は共同体のためになるから
多数者であること=集合知
・ただし、傑出した1人かごく少数者がいた場合は国家から排除される→陶片追放(上344)
・人による支配よりも法律(=中庸)による支配のほうが望ましい(上374、378)
【第4巻】
ここでは、とりあえず理想の国制は置いておいて、「現実的な最善の国制」という実用的な課題を考える。やっていることの大半はおのおのの国制の細かな分析で、そこはまああまり深入りしない。
最善の国制はと言われれば貴族制である。が、現実はいろんな国にいろんな事情があるので、各国が置かれた状況の中で一番安定するものを選べばいいよ、というのも現実主義のニキっぽい考え方で好き。
「中間層が厚いことが民主制の安定の要だ」という指摘には「へえ」と思った。中庸を好むニキの立場からは当然といえば当然だが、中間層は陰謀の対象にも嫉妬の対象にもなりにくいという指摘は鋭い。また中間層は、寡頭制に傾きそうになったら貧困層に加勢して揺り戻し、極端な民主制=貧困者支配に向かいそうになったら富裕層に加勢して引き戻す「バランサー」となり、最悪の国制である独裁制の出現を防止するという役割を見いだしているのは面白い。
14章では、ものごとを決めるときに市民全員で決める(民主制的な決め方)か、あるいは一部の人に判断を委ねるか(寡頭制的な決め方)、この二つのブレンドによって生まれてくるいろんな「決め方のバリエーション」が扱われていた。今の民主主義と自由主義―多数者の決定と、専門知による決定―のバランス問題の胚胎だろうか。
・逸脱した国制の中でも独裁制は最悪。次は寡頭制。民主制は最も穏健(上402)
・富裕層(武器を持っている)―中間層―貧困層(農民、商人、職人)(上406ー)
・「国家共同体の場合も、中間の人々によって共同体の運営が担われるときに最善となることは明らかである」(上467)
・「中間的な国制だけが内紛と無縁」(上468)民主制は寡頭制より安定性が高く、より長く存続するが、その要因は中間の人々である
【第5巻】
「現実的な最善国家」の話の続きで、「国家はどういうときに揺らぐのか、安定させるにはどうしたらいいか」というトピックが展開される。
ざくっと言うと、社会が不安定化する根本要因は、「対等な人を対等に扱う」という分配の鉄則を守らない、つまり利益や名誉を適切に分配しない時だ。
国制を安定させる方策は簡単で、上に述べた不安定化要因と逆のことをすればよい。
民主制の場合に必要なのは、「金持ちから取って貧乏人に配れ」という民衆指導者が出現し、貧困層と富裕層の対立が深まって国を不安定化するのを避けること。ある一人の突出した存在をつくらないこと。「富裕者から取って貧困者に配る」という対立的な方法ではなく、報酬つき公職を適切に分配することを通じて財産を平準化させること。汚職をしないこと。
なお、ニキが民主制をなぜ「悪い国制」のほうに分類するかについて、「民主制は多数者支配+個人の自由。だが自由奔放であることは欲望への隷属となるので低劣な生き方である」と説明しているのが面白かった。そうね、自由は節制という徳と衝突するね。
いろんな国制について上記のような分析と提言をしているが、独裁制についても「なぜ独裁制が揺らぐのか」「揺らがないためにどうすればいいか」という「独裁者に役立つ悪のマニュアル」を提示してしまっているのも興味深かった。
独裁制を安定化させる方策として(1)独裁を強める方向と(2)正しい国制である王制に近づける方向、の二つが提示されている。
(1:独裁を強める方向)では市民が集まる機会を減らし、監視状態に置き、密告を奨励する。階層を分断する。被支配者を貧困状態に置くことが具体策だ。つまり「被支配者が小さなことばかり意識するように仕向ける」「被支配者が互いに信頼しないようにする」「被支配者の行動力を殺ぐ」ということ。こわい。
(2:王制に近づける方向)は、公金について潔白でいること、畏敬の念を抱かせるよう威厳を持つこと、享楽を慎むこと、優れた人に名誉を与えることが具体策になる。
・「総じて内乱というものは、平等を求めて起こされるのである」(下24)
・目的は「利益や名誉」である(下29)
・その発端は、ある一定の人たちの力が強大になったこと/自分が罰せられるのではと感じたこと/偶然―などなど。(下32ー37)小さな諍いから火がつくこともある。対処には初動が大事(下45)
・民主制の場合は、民衆指導者の扇動によって資産家が団結するようなこともある(下54-55)
・民主制のもとで出てきた将軍経験のある民衆指導者が独裁者になったのが古い時代の独裁制。今は弁論術の発達によって演説能力のある者が民衆指導者になる。軍事の経験がないので独裁者にならない。また昔は重要職が少数者に担われていたので独裁者が出現しやすかった。国の規模も大きくなかった(下56-57)。民衆指導者は富裕層と戦い、結果として国家を分断する(下98-99)
・寡頭制においても支配層から「扇動家」が出現する。支配層の内部に対する扇動と、支配層外に対する扇動がある(下62-63)
・適切に混合された国制においては、とりわけ小さな法律違反に対して警戒策を施す必要がある。小さいことの総和が国制崩壊の始まりになる(下82)。安定性の低い国制でも、支配層がその外部の人たちを正当に扱い、その中の指導者を国制の中に導き入れると安定する。また公職内部では平等に接し合っている場合に安定する(下84-85)
・どんな国制でも、ある一人の個人を過度に巨大な存在にしないこと。名誉も大きなものを短期間より、小さな名誉を長期間与えること(下88-89)
・なによりも、公職者が利益をむさぼることがないようにする(下90)。それが制度的に確立できると、民主制と貴族制が同時に存在できる(下91)
・民主制では富裕者の財産を再分配しないこと、寡頭制では貧困者への報酬つき公職分配を手厚くして財産を平準化させること(下92-93)
・最高位の公職者は、国制への好意、能力、徳を備えていること(下94)
・民主制は多数者支配+個人の自由。だがこれは欲望への隷属となるので低劣な生き方である(下100-102)
・エウリピデスにしてみれば、自分の口臭についてデカムニコスが何か語ったことに腹を立てていたのである(下116)
・単独者支配制:王制の存続策は、王の権限を及ぶ範囲を小さくして専制支配から遠ざかること。これにより被支配者からねたまれなくなる(下128)。独裁制の場合は独裁を強めて市民が集まる機会を減らし、監視状態に置き、通報者を作ること、階層を分断すること、被支配者を貧困状態に置くこと。まとめると(1)被支配者が小さなことばかり意識するように仕向けること(2)被支配者が互いに信頼しないようにすること(3)支配者の行動力を殺ぐこと(下129-136)。逆に王制に近づけるという安定策もある。公金について潔白でいること、威厳(畏敬の念を抱かせる)があること、享楽を慎むこと、優れた人に名誉を与えること
【第6巻】
民主制と寡頭制の特徴と、国を息長く存続させるための政策を深掘りする。
民主制の要は「自由」であり、自由は(1)分配が個々人の価値ではなく人の数に基づく(2)個人が望むように生きること、という二つの側面を持つ。
一般的には貧乏人が多数なので(1)の帰結として民主制は貧乏人による支配となり、卑しさ、貧困、低俗が特徴となる。これは寡頭制の逆となる。
また(2)からは「できるだけ他人に支配されたくない」ことに基づいた制度が帰結する。公職(≒行政)は全員参加のくじ引きで任期は短期間、再任は限定される形になる。裁判(司法)では全員が裁判員になる。民会(≒立法)が最高の権限を持ち、多数者の意見が正義とみなされる。まあ力づくで決めるよりはマシである(暴力で勝てる人は真理を顧みないから)。
上記のような分析を読んでううむと思いながら次の第7巻に進んでみたら「人々の同質性が高い社会では交代制で支配することが適切になる」という記述があった(下巻p.237)。国民に極端な所得格差がなく、身分や男女の差別が制度的に廃止され、一定水準の教育が行き渡ったような社会であれば、民主制は「正しい国制」となるのかもしれないな。
寡頭制は、公職に就く人の財産要件をうまく調整することでいい制度になる。重要な公職(上位職)には高いハードル、必要不可欠な公職(現場職)に低いハードルを課し、かつ公職参入者が非参入者よりちょっと多くなるくらいにすると安定するということだろう。なお門閥制は独裁に近い最悪の寡頭制とされている。
・民主制の前提は「自由」であり、その側面は
(1)被支配と支配が交代制であること。民主制的な正義は「一人には一つを(多人数には多くのものを)」であり、個人の価値に応じた配分ではない(下166-167)
→寡頭制と反対に、生まれの卑しさ、貧困、低俗が(支配者となる多数派の)特徴になる
(2)個人が望むように生きること。できれば誰にも支配されたくないし、それが無理なら交代できるようにしてほしいということ
・公職者:全員が全員を支配する。公職はくじ引き、または再任を極めて限定する。任期は短くする
・裁判:全員が裁判員になり、大半の重要案件を裁判員が担当する
・民会:万事あるいは重要なことについて最高の権限を持ち、公職の権限を制限する(下168-169)
・多数者の意見=正義になる。が、こうした平等や正義によって真理に到達するほうが、力に頼るよりもやりやすい。力を持っている人たちはそういうことに頓着しないため(下174-175)
・国制を存続させる法、極度の貧困をなくすための国家剰余金の分配が必要(下186-191)
・最も適切な寡頭制は、公職に就く際の財産要件を、高いものと低いものの2つ設けて、高いほうを重要な公職、低いものを必要不可欠な公職(市場、港湾、農地、出納、法執行などの担当者)に割り振る。かつ、公職に参入する人の総数が、しない人の総数を少し上回るようにする。なお門閥制は最悪の寡頭制で、独裁に近くなる(下192-193)
【第7巻】
ここから、理想的な最善の国制に関する考察が始まる。
まず個人の「最善の生」あるいは「至福」って何だ、というところから話が始まる。「魂の善(徳)」である勇気、節制、正義、思慮が必要で、これによって「外的な善」である富、財貨、権力、名誉が獲得される。他に「身体の善」つまり健康も必要となる。
個人の善は国家の善につながるが、では個人としては政治に関与すべきか、それとも支配したりされたりする世界とは距離を取って哲学するべきか、という問いが次に出てくる。ニキの考えでは、幸福すなわち善い実践なので、政治をやるのが必ずしも低級なことだとは言えない。ただし観想とか思考はもっと直接的に幸福の実践なので、哲学して生きることも政治と同等以上に大切だとみているようだ。
ここから、理想的な国はどんな構成か、各論が始まっていく。キーワードは「自足」で、人口規模は国家がさまざまな機能を具えて自足できるために大きいほうがいいが、秩序が保てる程度が上限になる。言い換えると、だいたい国民がどんな人で構成されているかが把握できる程度だという。国土も同様に、国全体が想像できる程度がいい。「ほどほど」好きのニキが言いそうなことである。
国の構成要素は食料/道具製作の技術/武器/財貨/祭祀/国家運営機構で、これらを市民で分担する。若い人は体力があるから戦士となり、老人は思慮があるから審議員や祭司をやるなど、年齢で役割を振られることになる。結局は全市民がライフステージに応じていろんな役割を担いながら国家運営に参画していく。全員参加なので、一人一人が優れていることが望ましい。国と個人がともに目指すところは「平和」と「閑暇」である。「知への愛、節制、正義」をもって平和と閑暇をうまく消費するのだ。
市民の条件は、まず自然本性として「知性と情」があることが必要で、ギリシャ人はそれを具えていると自画自賛する。他に「習慣」と「理性」が必要とされ、これらは教育を通じて涵養される。【第8章】にかけて子作りの適齢期(女性18歳、男性37歳ごろだそう)、体力作り、子どもができたら何を食べさせるか、教育は何を教えるか、など、とにかくいろんなことを考えていく。スポーツと音楽は特に検討されるが、いずれも市民として必要ではあるが、やり過ぎてアスリートとかミュージシャンになることは推奨されない。卑しいから。いいところでやめて国家運営の教育に入ろうなということだ。
・まず最初に「最善の生(至福)」とは何かから考えていく(下214-220)。次の三つが必要である。
(1)外的な善:富、財貨、権力、名誉。ほどほどに。この獲得は徳によって可能になる。運が作用する
(2)身体の善:健康
(3)魂の善(=徳):勇気、節制、正義、思慮。運と無関係。あるほどよい
・国家の幸福は、上記のような個人の幸福と同じものである(下222)
→最善の国制は、その国家で誰もが最善・至福の生き方ができるもの(下224)
→では、最善とはどういう生き方か?政治をやる(公職に就く)ことか、哲学をやる(自由人として生きる)ことか(下234)
・幸福とは実践なので、他者を支配する活動をする(政治をする)ことより、しないことのほうが賞賛されるべきだというわけでもない(下235-236)。幸福とは善い実践だといえる
・一方で、外部と関わらない観想や思考こそがはるかに実践的である。幸福はそれ自体が目的だから(下239)
・人々の同質性が高い社会では交代制で支配することが適切(下237)
・人口は自足できるために多いほうがいいが、多すぎると秩序を保てない(下245)。上限は、社会の人口構成が把握できる程度である(下249)
・国土も自足できる程度であることが必要(下250)。攻められにくく出て行きやすいこと、全体が把握できる程度であること(下251)
・市民:ギリシャ人すごい(下261)知性と情があることで有徳な立法者に導かれる
・国家の必要な要素:食料/道具製作の技術/武器/財貨/祭祀/国家運営機構(下270)
・これらの分担が国制を決める。全員が参与するか(民主制)、一部か(寡頭制)(下272-273)
・年齢に応じた割り振り。体力のある若い人/思慮のある老いた人への戦士/審議員の割り振り(下275)。祭司は老いた市民に(下276)
・国家を優れたものにするのは人間の知識と選択。国家の運営に参与する市民が優れていることによる。私たちの考える国家では全市民が参与するので、一人一人が優れていることが望ましい(下302)
その要因は自然本性(知性と情)/習慣(教育による)/理性(教育による)(下304)
・全市民が交代で、支配する側にもされる側にも参与しなければならない(下307)。そうしないと、体制変革を望む非支配者側にみんながつくから(下308)
・立法者が取り組むべきなのは、平和と余裕を目指した制度の構築である(下314、319)=個人にとっても国家にとっても必要。閑暇を過ごすためには知への愛、節制、正義が必要となる(下322)
・教育(下320)、子づくりの年齢、女性18歳、男性37歳(下328、331)、体を鍛える程度(下333)、子どもに食べさせるもの(下338)
【第8巻】