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2025年10月 アーカイブ

2025年10月25日

金婚式

母が生きていれば今日が両親の金婚式です。
とはいえ、父は「人は死ねばゴミ」と言いつつ今でも箪笥の上の小さい仏壇に小盛りのご飯をそなえているので、まあ事実上の金婚式といってよかろう。おめでと。

2025年10月19日

秋あるじゃん

二季化の議論などもある中、日中22度とかでなかなか快適、夜はしっかり涼しい日が続いており「秋あるじゃん」と思った週。天気はあまりよくなかったが眩しいのは嫌いなのでOK。

客人が甘いものを持って訪れ、3泊していった。
うち1日は中野の「高しな」で一緒に昼飯。おなかいっぱい。

週半ばに二度寝して計9時間半寝て寝不足回復運転みたいなことをした。
週末にかけても7時間くらい寝るようになってきた。日が短くなってきたせいだと思う。
寝具はじめ結構洗濯して冬の寝床を準備。

近所友2人と中野坂上の平田屋。マイルドに飲めば嗅覚はわりと大丈夫らしい。
毎朝、コーヒー豆を入れてある瓶のふたを開けては一喜一憂しています。

フロスを通したら歯の詰め物が取れたので歯医者。
ついでに11月に予約していた分のクリーニングをしてもらった。2000円。アメリカだと3万円です。助かる。
「フロスは勧めません。歯間ブラシだけ。フロスはいろいろ問題を起こす。もう古い」

* * *

金曜夜、地元駅を出たら野党の元厚労大臣がビラ配ってたので、そのままタウンミーティングに行ってみました。

区民会館の一室で、参加者ざっと30人。同じ党の区議と都議がちょっと挨拶して本人が国政報告。結構たっぷり質疑の時間をとって1時間半でフィニッシュです。
参加者は弊管理人が最若手くらい、つまり年配。マスク勢多し。左っぽいがそこまででもない感じ。「企業・団体献金問題は政治家のやりくりの問題ではない。規制や産業が歪んで皆さんの生活に直結する」という訴求はうまいと思った。そこから年金、病院の経営や医師の偏在など参加者の関心に話を持って行くわけですね。

しかし一方、「医療ベンチャーの育成が足りないんじゃないの」みたいな質問に肯定的に応えて「標準治療の偏重も、新しい医療技術によって既得権益を侵される企業・業界団体の頭の固さによるものである」みたいなちょっと陰謀論ぽい話に滑り落ちそうになった場面もあった。これが行き過ぎると、環境弁護士として出発し、企業と化学物質を敵として戦った末にああなっちゃった彼の国の厚生長官のようになるのかもしれない。

ともあれ「議員定数はもっと減らしてほしい」という投げかけに対しては「私は定数が減っても勝つ自信はあるし、地位に恋々とするものではないが、ほんとに減らすのがいいのか。他の先進国に比べて人口当たりの国会議員数は日本は実は少ない方」などと議論を投げ返すこともあり、わりと対話になっていた。野党代議士が地元とどうやってコミュニケーションとるのか、仕事抜きで時間かけて見たのは初めてかも。面白かったです。

* * *

今週あまり頑張らなかったがご褒美にシュークリーム。
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前にモンブランの基底部が融解していた店だが、シュークリームは普通においしかった。
あと最近ずっと気になってることだが、この大きさのものを載せるのにいい、直径12センチくらいの皿がうちにはない。次の旅行の目的にする。

そういえば、家に近いほうのバタークリームを売りにしているケーキ屋が閉店するとの告示があった。

そして金曜、土曜は遊ばず家にいた。土曜夜はうっかり仕事をした。うっかり。

うわあ来週は3回もシフトがある。自分で作ってるんだが。

2025年10月11日

豊作

このところ食べたもの。

東麻布、魚亀。
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DC時代の元上司、出身部では珍しくかなり出世したOB、弊管理人、という世代や職掌がばらばらの3人と共通の仕事先の計4人で行きました。
いろんなものがお高そうな地域にある居酒屋さんなのでめっちゃ高いんだろうと思ったら、魚づくしのコースで4000円ちょっと(飲み物別)だった。すご。

左がかった人の多い会社なのですが、弊管理人が「わたし結構保守だと思いますけど」と言ったらOBの顔が引きつった。いやあの、グローバルな価値も再分配も重要という考えなのですが、一方でコミュニティ大事だというのと、人間の予見・設計能力には根本的な疑念を持っている点で保守的だと思います。特に社会とか気候みたいな複雑なシステムについて、非常に大きな不確実性のある未来予測を本当かのように語っちゃだめでしょ、などと説明をする間もなくなんか議論がヒートアップした。

* * *

東中野、キャトルエピスハンバーグカレー。
地元民に教えてもらったお店です。平日休みの友人とともに訪問。
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カレーもハンバーグもめしもぬるかった。熱いものは熱いまま食べたいだろう普通。
生姜のきいたスープはうまかった。

* * *

過ぎたる土曜、国立天文台に独りでプラネタリウム見に行った帰りに調布、頑。のどぐろがどうのみたいなつけ麺。
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おいしかった。

* * *

このところ初めましての人に会うことが多く、研究職の人と北千住で飲み食いしながら5時間コースとか、人望爆発系の人をハブとした数十人の立食で喋りまくりとか、いろいろと楽しかったです。声かけて応じてくれるのも、声かけてもらえるのも僥倖。

* * *

嗅覚、今週やっと全快に近くなった感があった。
しかし金曜夜に飲み過ぎたら土曜はコーヒー豆に鼻をつけても何も匂わないくらい元に戻った。
どうもポリープがあってもともと鼻の状態がよくないところに、酒で血管がどうにかなると完全に機能が失われるようです。風呂に入ったら少し匂いが戻ってきた。機能喪失が可逆的なのはまだ助かるが、お酒とご飯を一緒に楽しめないのは大変不便なので、ちかぢかまた耳鼻科に行って相談してみよう。

* * *

今週前半は職場が大商いでした。
打って響く人は、専門外のことでも響く。
普段からアウトプットの少ない人は、鉄火場でもとろい。
頭のよさそうな人に頭がいいとできそうな仕事をアサインしたら正確に期待通りのものが送られてきた。
文字にしてみるとどれも当たり前だな。

量が質に転化するなら若いうちからむやみに手数を打たないとだめなんだけど、ワークライフバランスとハラスメントを盾(に見せかけた矛)としてゆるゆる生きてると、できる人とできない人の格差ばかり広がりつつ全体のレベルが落ちる。他部では50絡みのおじさん・おばさんウォリアーズががっつがつ仕事しているが、どうせこの人たちの引退と業界の終焉はだいたい一緒に来るだろうから、別に「後のことは知らん」でいいのかもしれない。

* * *

Xのコミュニティノートを仕事で扱ったのを機に、協力者登録してみた。
まだ公表されないコミュニティノートをレビューする仕事だが、多くは「匿名で自分は攻撃されずに相手をクサしたい」くらいなもので、片っ端から「不要」ボタンを押していたら弊管理人の評価が一向に上がらない。あと「注意が必要です」という定型句がうるさい。

2025年10月01日

20年たちました

2005年10月にこの日記を始めて、20年がたちました。ほんとは9月からちょっと書き始めてますが、ソフト・オープンのつもりだったので、10月が正式な開始と考えています。

「すべりどめblog」という変な名前について、そういえば今まで説明したことがなかったので、前史から書いておきます。

通っていた国立大附属中学の担任がやたら文章を書かせる人で、日記の提出が毎日の課題でありました。
これで変に癖がついてしまい、高校でもノートに日記を書き続けました。多くは学校や模試の成績、むかついたこととかの日常、あとイラストを付けたり。

大学に入って(1996)インターネットに初めて触れて、ウェブサイトを作る授業なんかを受けているうちにオンラインで日記を公開するようになりました。一部は弊日記の最古層に再掲しています。大学のサーバ、続いて契約していたプロバイダのサーバへ引っ越しながら卒業まで。
就活で今の会社に面接に行ったとき「へー、ホームページやってんの?」とちょっと食いつかれたことを覚えています。後から知ったことですが、当時社長がネットにはまっていたらしく、社報に「社長のホームページ」というコラムを持っていた。やっとwwwがおじさん界に知られ始めたころで、仕事での活用はまだまだです。今なら「へー、生成AIでコード書いてるの?」くらいか。

閑話休題、働き始めてからも場所を移してやっていたウェブ日記が弊日記の直接の前身です。

まず、既存のウェブサービスを使うと突然終了することがあるので、できるだけ安いサーバーを借りようとした。それで契約するときにドメイン名を付けないといけないことが分かり、前身日記のタイトルがswingby(宇宙機が天体の重力を使って軌道や速度を調節すること。「他人の力を借りて自分の方向を転換する」くらいの意味を込めていた気がする)だったことから、安直にそれの「B面」という意味で「sbb」にした。flop.jpというのはサーバー側が勝手に割り当てたものです。

しかし日記に名前をつける段になって、B面というのもちょっとあれだし、sbbというドメイン名はつけちゃったので、それに合うタイトルはないか……と考え始めたものの、結局はすぐに面倒になって「SuBeridome Blogとか?」なんていって適当に決めました。

昔はサブタイトルもあり、「記憶がすべり落ちる前に」とかなんとかしていたはず。要は備忘録だという意味ですが、これも当然タイトルから無理矢理ひねっただけです。

背景の画像は知床半島・ウトロの町です。海へ滑り落ちていくような地形かなとか、そんなあれ。これは始めてから数年たって追加したものです。始めたときはまだ北海道との縁がなかったので。

始めたときが28歳。いま48歳。よもや2025年が来るとは思わなかった。
弊日記は既に分厚いライフログ=備忘録になり、体の具合が悪くなると「前は何日間でどういう経過をたどったっけ」と調べ、友達に旅先やご飯屋を勧めようとすると「あれなんだっけ」と辿る。つれづれに、2000年代後半の変に自意識強そうな文章、2010年代半ばの、なんでこんな塞いでるんだろうと思うような文章を見返すことがある。まさにアウトソーシングされた脳です。第一には自分のために書いてるけど、少数の知り合いがヲチしていて近況報告にもなっているようです。

弊日記からは弊管理人の生活の50%くらいを占める重要な側面をほぼ省いてあります。あとは30%くらいを占める仕事のことも具体的には極力書かないようにしています(時々破る程度のゆるいルール)。その意味でも本当に事務的な備忘録・兼・近況報告。人が見て面白いかどうかは知らないが、自分にとっては役立ちます。いろんなところに記憶の釣り針が仕掛けてあって、そこにさしかかると「書いてない側面」のほうの記憶が海中から引き上げられるので。

先日、サーバの契約をもう3年延長しました。3年で4000円ちょっとだっけ。安い。引き続き書くと思います。では、子どももおらず、何を受け渡す相手もおらず、自分のためだけに生きている弊管理人は、死期が分かったとしても書くのかどうか。そこはこれからのこととして関心のあるポイントです。

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