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2015年11月 アーカイブ

2015年11月29日

ポランニーとか

■若森みどり『カール・ポランニーの経済学入門』平凡社,2015年.

行ってた学校によくポランニーに言及する先生がいたせいで「ポランニー読むべきかなー」と思った90年代末の学生時代には、どうもあまり著作へのアクセスがよくなくて(=高い&その辺にない)、何となくそのままになっていました。最近になって本が結構出ていますが、新訳の『大転換』は相変わらず高いし、文庫も含めてどれから手をつけていいか分からないし、とりあえず「自分では使わないけど、何を言った人かだけはぼやんと分かっておけばいいか」という低い志で手にとったのがこの本。新書なのに結構読むのに時間がかかりました。

人間の計画能力なんて当てにならんから、とにかく社会保障・民主主義・労働組合など、市場経済に対するあらゆる干渉を排除して、市場の自己調整機能にお任せしましょうという「経済的自由主義」でもなく、結局全てを経済問題にまとめてしまう「マルクス主義」でもない。経済を政治から切り離して考えず、民主的なコントロールの下に市場を置き、所得や余暇(政治参加する時間)や社会保障が行き渡らせた上で自由が可能になる「社会主義/よき産業社会」というべき別の道を、ポランニーは模索したということらしい。

『大転換』(1944)は、18世紀イギリスで生まれた資本主義=市場社会が、ドイツでファシズムを生むまでの過程を辿った作品だという。

生産用具の革新が、農村から切り離された人口の都市への流入と、都市スラムでの劣悪な生活と文化的破壊を招く。貧困大衆に対する賃金扶助としてスピーナムランド制(救貧法改革)が生まれたものの、これは福祉依存を生み、貧民を増やすものであるという反発に晒されることになった。救済は食糧生産の増加を上回る人口増加を招き、それが貧民の生活をかえって悪化させるほか、飢えへの恐れと働く意欲を失わせる、との批判を展開したマルサスがその代表格だ。逆に救済をやめれば、”自然法則に従って”事態は収拾に向かうという。教区における相互扶助の精神が消滅し、自己責任+自己調整的市場の思想が胚胎した。

一方オウエンは『新社会観』(1813-1816)で、貧困と犯罪の原因は「社会」にあると批判した。自由主義がいうように個人の責任なのでもなく、マルクス主義がいうように労働者搾取=経済の問題だけでもない。産業革命によって、労働の目的や倫理、文化・社会環境から労働者が切り離されたために起きているのだという。それなら、社会的保護を行う国家の機能はどうしても必要になるだろう。その上で初めて、人々が責任を持って社会を変えていく自由を行使できるようになるはずだ。

こうした相反する二つの思想から始まった潮流が、1914年の第一次世界大戦に至る80年の制度的なダイナミクスを形づくった。「競争的労働市場、金本位制、自由貿易」と「労働立法や農業関税、社会的保護・競争制限的制度」の間の緊張、それが二重運動と呼ばれる。20世紀前半にかけては、民主主義を後退させてまで国際金本位制を守ろうという努力がなされたにもかかわらず、第一次大戦後に通貨危機、恐慌、列強の金本位制離脱、ファシズム、ヴェルサイユ体制の瓦解へと展開していく様子が描かれていく。

経済的自由主義は「自然の流れに市場を任せることが自由と繁栄を保証するのだ」と吹聴しながら、いろいろなちょっかいを入れてくる政治から市場を独立させようとする。しかし、それは筋違いだというのがポランニーの立場のようだ。市場は労働・土地・貨幣という本来は商品でないものを商品として扱えるような制度を作り出し、それが強力に普及させられたからこそ成立している。つまり市場は自然に生まれたのではない。転倒した認識は、市場のためなら人々の生活や民主主義を制限してもいい、市場原理で実現できないことは仕方ない、というフィクションを生み、平和の行方を経済に委ねてしまう事態さえ招く。それでいて、市場原理を通じて害悪が生まれたとしても、それは干渉を生むような制度のせいだと言いつのって延命を図るのだ。本来、市場は社会に埋め込まれていなければならないのに――。

確かに干渉は全て悪、という原理はシンプルで分かりやすく、それだけに魅力のある考え方です。計画経済を目にして「人間のやることなんて不完全ですよ」と反発するリバタリアンな気持ちも分かります。ただ、好きに遊ぶには、安心して遊ぶためのフィールドとルールがなければならない。多くの文化を花開かせるためには、多文化主義そのものを侵そうとする動きには強硬に対抗しなければならない。そういう類の問題提起かな。ネオリベとかセーフティネットとかの言葉が流行ってから「そういえばポランニー」って思うまでに数年遅れたものの、ともかく折角の機会に危なっかしかった(そして実際破局に至ってしまった)昔のことを知っておくのも意義のあることだろうと思います。

* * *

そういえば仕事先に行ったり飲みに行ったりするときに歩きながらちょいちょい聞いている放送大学のラジオ科目ですが、2学期は今んとこ、この2番組が面白いです:
・日本の近現代('15)→今ある制度や習慣の源流がこんなとこだったの、という驚きが多い
・市民自治の知識と実践('15)→社会運動のコツ、みたいなお話が入ってて結構ツボです

2015年11月21日

顎割れる

大変くだらない事情により顎を家の床で打ち、1cmくらい割れました。
炒めていて破れたソーセージのように肉ごとぱくっといっていたので結構引きました。
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ぶつけた瞬間は歯を心配したのですが、そちらはどうも大丈夫らしく、しかし血がぼたぼた垂れてラグや椅子も汚れたので掃除して、とりあえずティッシュで押さえたまま開いてた近くの病院へ。
土曜日の午後、結構混んでるなあと思いながら1時間半くらい待っていました。
「縫います」ということで診察室のベッドで麻酔をして縫ってもらいました。
あと、怖いから一応ということで破傷風のワクチンも接種。家の中なんだけどな。
薬は抗菌薬の飲み薬と塗り薬、それから痛み止めを3日分。
診察と手術、予防接種で2千数百円、薬はすべてジェネリックにできて600円。皆保険て素晴らしいな。
シャワーは明日から浴びていいとのこと。あとは絆創膏を毎日換えるようにと。
他に異常がなければ1週間後に糸を抜いておしまいだそうです。
お酒飲めない。残念。
それにしても何があるかわからん。寝不足(忙しいのではなく、長く眠れない)が祟ったような気がする。
いてて。

* * *

それはそうと、今週は霞ヶ関での仕事のあと、同僚と虎ノ門のニルワナムのランチカレーバイキング(1200円)に行きました。
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盛りつけの才能がないので何となく汚いですが、かなりおいしかったです。
錦糸町にあったアキンボのマスターに、かなり前に教えていただいたまま行けないでいたお店です。
結構食べたので、夜までお腹が空きませんでした。

* * *

5月の健康診断でコレステロールが高かったことに発憤し、
・野菜>魚>鶏肉>赤肉
・走る
という2本柱でゆるーいダイエットをしていました。
秋の健診では、腹囲-4cm、体重-2kgとかなりいい感じ。
あとは血液検査値が少し改善しているといいのですが。

2015年11月17日

岐阜屋

新宿ひとりめし、腹の上の方がしくしくする。
食っておきたい気もするけど、麺は安直だし。
と、思って入ったのが思い出横丁の岐阜屋。
キクラゲと卵炒め、それから白飯の並。これで十分です。
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ジャンキーだけどニンニクがきいてておいしい。大衆中華屋のすみっこで一心にもぐもぐしてました。

* * *

土曜の夜は8つ下の友人とMKっていうところのしゃぶしゃぶ食べ放題に行きました。
学生でも行けるような価格帯で、肉はやばい感じのお品。
肉はちょっと食ってやめて、あとはつくねとか野菜を食べてました。
というか、肉はある程度おいしかったとしても、やっぱり野菜ばっかり食ったと思う。歳だ。

割り勘しちゃいました。
20代は年上にずいぶんおごってもらったので、バトンを渡すつもりで飯代なんて全然出しますけど、一人いくらが明確に分かるたべほだと、なんか変、という自分基準で。
あと、仮に出したときでも1000円はいただきます。「おごってもらった」と他で言われたら偉そうで恥ずかしいのと、出してもらった側の心の平安のため。施しは相手の自尊心を傷つけることもあろうという、これも他人に理解される必要はない自分基準。

* * *

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飲み過ぎで体が弱った週末の夜に食べに行くカレー屋「草枕」が8周年だとかで、チャイの素をいただいたので淹れてみました。
緑色の紙には「いつもカレーを食べてくれて顔を覚えられてしまったお得意様へ」と書いてあります。あとレシピ。そういえば店主氏がつつつと寄ってきてこれをくれたのでした。ぬう、面が割れていた。おめでとうございます。

2015年11月12日

海神

新宿駅東南口から至近、海神。
魚のアラを炊いたスープの塩です。
151112kaijin.jpg
それにしても新しいカメラ、とてもいい。
この絵を上げたくて日記を書いてしまうくらい。
仕事ではおじさんをいっぱい撮るのですが、おじさんでさえきれいに写ります。

味?うまいですよ。
スープも薬味も意外と主張強いです。

2015年11月07日

科学は誰のものか

■平川秀幸『科学は誰のものか』日本放送出版協会,2010年.

暫く前から職場に転がっていたのを、やっと手に取りました。
福島第1原発事故の半年前に出ていた本。
知っているからできる、というわけではないが、知らないよりはいい、かな。

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・科学イメージの転換:「夢と希望」から「問題」へ
  夢と希望:~1960年代。理工系、中央研究所ブーム、大阪万博
  ターニングポイント:70年代。核開発、公害・環境問題
  新しい文化:新しい社会運動、環境政策

・統治からガバナンスへ
  社会の複雑化により、政府だけでは問題に対処できなくなった
   ガバナンス=政府、NPO、企業、個人による水平的、分散的、協同的な舵取り
   ガバメント=政府による意思決定、利害調整
  →95年の「ボランティア元年」、情報公開、パブコメ、審議会への一般人参加

 (1)リスクコミュニケーション:行政、専門家、企業、市民による情報交換と信頼構築
  70年代米国に端緒。食品、環境中の化学物質リスクに関するデータ開示要求など
  当初は「説得」と「受容」を目指すものだった→80~90年代に対話、協働へ
 (2)参加型テクノロジーアセスメント:新技術の実用化に先立って、社会・環境影響を評価
  60~70年代当初は科学者や行政官に限定
  86年のデンマーク技術委員会(DBT)設置を契機に、市民参加型が開始
  →87年、DBTによるコンセンサス会議。他にも市民陪審、シナリオワークショップなど

・信頼の危機:96年、英国のBSE危機
  「人への感染リスクは極めて小さい」としていた89年のサウスウッド報告書が転覆
  折しも、欧州市場に米国のGMトマトピューレが登場、安全論争になっていた
  「将来のリスク」に対する懸念+政府、企業への不信が蔓延
  →欠如モデル(市民は正しい理解を欠いているから不安なのだ)が通用しなくなった
  →科学技術コミュニケーションも「統治」から「ガバナンス」へ(00~01年、英国)
  00年代前半の「サイエンスカフェ」普及。「公共圏」における相互学習へ

・日本では
  98、99年に「遺伝子治療」「情報化社会」でSTS研究者がコンセンサス会議
  00年は農水省がGM作物でコンセンサス会議
  01年~の第2期科学技術基本計画で双方向コミュニケーションの推進盛る
  *ただし、いまだに「一般を教育する」路線のコミュニケーションが主流

・公共的ガバナンスが必要な理由
  「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」が増えた
  (1)科学の不確実性の増大。例)人への感染を予見できずに起きたBSE危機
  (2)科学技術が利害関係や価値観対立と深く関わるようになったこと

・科学の完全無欠幻想と、そこに立った政策の失敗
  (1)地震予知研究。64年文部省測地学審議会によるブループリント、78年大震法
  →その後、研究するほど「分からない」ことが分かってきた
  →97年測地学審議会「予知の実用化は困難」。地震防災基本計画の大幅変更へ
  (2)水俣病。56年に公式確認。しかし原因をメチル水銀と特定し公害認定したのは68年
  ←チッソ「メカニズムを科学的に正確に証明せよ」(クロと実証せよ)
  →行政の意思決定のハードルが上がった

・不確実性を理解する前提として:科学の知識はどうやって生み出されるか
  仮説→実験、観測による検証→論文化→他の研究者による利用、再現
  実験室にあるのは「作動中の科学science in action」。何が正答か、まだ分からない
  最先端=その後修正される可能性があるということ
  正しいとされていることでも、原理的には修正可能性、可謬性がある

・不確実性には二つのタイプがある
  (1)知られている無知known unknowns。何が分かっていないかが分かっている
   例)温暖化におけるエアロゾルの影響など。でも幅を持たせた予測はできる
  (2)知られざる無知unknown unknowns。全くの想定外
   例)フロンによるオゾン層破壊

・なぜ不確実性があるのか?
  (1)対象の問題:振る舞いが「確率的」な場合や、構成する要素が多すぎる場合
  (2)知る側の問題:測定限界、検出限界。連続的なものの数値解析は近似にとどまる
  モデル(単純化)と現実とのずれ
  実験条件(理想化)と現実のずれ

・科学技術と社会のディープな関係
  科学は価値中立的、というわけではない。「使い方が悪いから害悪になった」?
  →科学の純潔主義は、公共的ガバナンスの射程を社会に限ってしまうことになる
  共生成co-production。影響を与えあっている
   ・公的研究費や企業の研究費は社会的目的達成型の研究を増加させる
   ・基礎研究も、応用を支える基礎と見なされる「運命」にある
  政策と技術はパッケージになっている
   ・アーキテクチャ(低所得者が使う路線バスが入れない街区、寝転べないベンチ)
   ・世界の実験室化(携帯を社会で機能させるためには、インフラも導入する必要)
  →よい科学技術とは何か?それは誰にとってよいのか?を考えるのがガバナンスの一歩
   例)緑の革命:帰結=飢餓輸出、高収量作物の栽培負担による離農増
   例)医薬品開発:熱帯病治療の遅れ、市場の失敗。国際連帯税導入の動き

・科学の不確実性とどう付き合うか:論争の視点
  何が論点か?→結局、科学的な側面より、社会的な側面が大きい
  調べる人でデータも変わる(干潟埋め立てに際してのアセスメント方法の違いなど)
  挙証責任は誰が負うか
  リスクを受け入れる基準をどこに置くか=どんな社会を望むかという価値観の違い
  「分析による麻痺」を避けるための「予防原則」
    批判(1)疑陽性による過剰規制(「健康な科学」からの批判)
    批判(2)別のリスクが発生する(副作用のため薬を規制すると病気が増えるなど)
  →どちらに転んでも多少の利益があるno regrets policyを目指すか

・市民参加:ゆるっと踏み出す
  身近な人に話してみる
  ネットでの情報発信と交換
  ガバナンスへの参加は一時的でも構わない
  お金で支援してみる
  調べてみる、問い合わせてみる、パブコメしてみる

・当事者として動く
  AIDSの臨床試験デザインの非人道性の告発
  非専門家によるcommunity based research→偽薬を使わない試験の実現
  非専門家も専門性を獲得できる。「よい科学」観に基づいてまとめ上げる専門性
  反対派ではなく「疑問派」というスタンス
  公共空間で多様な背景の人たちと接し「はっとする」ことの重要さ
  知ることを協働化する:市民と大学が協力して調査研究するサイエンスショップの試み
  社会関係資本としての知識:不得意を補い合う、生活知を織り込む、交流の場を作る

2015年11月01日

戸田山哲学入門

■戸田山和久『哲学入門』筑摩書房,2014年.

内容をざくっと言うなら日経サイトにあった森岡正博さんによる紹介以上に言うことはないので横着。

新書としてはかなり厚い400ページという分量や、哲学史っぽくない独特の体裁を含めて去年結構話題になっていたように思います。なんとなくその時に手に取っていなかったのをなんとなく手に取りました。とても面白かった。

意味とか情報とか自由とかといったものがどうやってモノだけの世界の中に書き込めるか/モノだけの世界の中に登場してきたのかを考えています。そしたら、ヒトの集合からなぜ社会ができるのかとか、そんな問題にも延ばしていけるのでしょうか。

* * *

やっぱりFacebookと仕事用Twitterアカウントを休日に覗くのはやめよう。

特にFBは今ひとつ使い方が定まらないSNSで、そりが合わないのかもしれん。

* * *

EQを測るサイトで10コの質問に答えたら、200点満点中40点だった(平均は90-100点だそう)。周囲の人の点数を見ると105、120、140。やばいのか。

と思っていたら「自分は60点だった」という自己申告に遭遇。
確かに100点超えの人たちよりは弊管理人に似てると思える人ではあった。

と思っていたらなんかいろんなバージョンのテストが見つかってどうでもよくなった。

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