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美しさの一例

ひとの行為が美しいと思うことは時々あるのですが、それを言葉にすることはあまりありませんでした。
今日は久しぶりに暖かい日で、自転車で通勤したり出先を回ったりしながら、なんだかアタマのこわばりも少し緩んでいろいろと考え事をしていました(危ない)。

店で何かを買うとき、食堂で何かを食べるとき、営業を受けるとき、店員とか回ってきた人に横柄に接しないということが美しい、と自分が考えていることに気づきました。

今暮らしている社会は、力関係として買う人(選んであげる)>売る人(選んでもらう)であるケースが多いのではないかと思います。たぶん、チョイスがいろいろ生まれるほど物が豊かにあるからだと思うのです。が、そのほかにも、本当は買う人だって店から出入り禁止になれば買いたいものが買えないはずなのにそういう売る人の実力行使の選択肢がないことになっていたり、買う人が気に入らないことがあったからといって悪評を立てたとして大都市ではそんなに効果的に広まったりしないのにあえて売る人が折れてまでトラブルを回避しようとしたり―、そんな考えてみればちょっと変な諸条件が揃って買う人が強い力関係が現出しているように見えます。

ともあれ、そこで買う人の立場に立ったとき、つまり強い立場に立ったときでも、売る人をことさらに困らせたり乱暴な言葉遣いで命じたりしない、ということは、なぜ美しいのだろうか?

ひとつは、自分が横暴できるすべてのチャンスを貪り利用しなくてもやっていけるという余裕を感じさせる、ということかもしれない(なんか進化生物学っぽい)。

もうひとつは、自分が売る人であったかもしれない、売る人になる局面があるということが想像できるという聡さではないかと思います。つまりいつ起こるかもしれない(そして現に別の局面では起きている場合もある)買う人→売る人に立場が転換したとき、自分がどうしてほしいか考えることができるということとも言い直せるかもしれません。

これにはひとつ見えにくい前提があって、それは自分が何事かをすることと、他人が何事かをすることを同列に考えられるということが必要なのだと思います。
つまり、自分が売る人の時は他人から横柄に扱われるのは嫌だが、自分が買う人の時は横柄にするのに全く呵責がない、というようには考えず、自分がしてほしいように他人を扱う、という無根拠な信念を持っていることです。自分だけが特別だという考え方に立っていれば、上のように自分が売る人であったかもしれない、売る人になる局面があると想像できたとしても、それが自分の振る舞いを変えるきっかけにはなりえないからです。

「自分だけが特別」があまりに普及するとそもそもルールが立ち行かなくなるはずなので、好ましい立場は「自分がしてほしいように他人を扱う」ということになります。が、実際のところ「自分だけが特別」はあまり増えすぎなければ黙認されるので、こそっと「自分だけが特別」を選択して「自分がしてほしいように他人を扱う」の人たちにただ乗りすることもできるでしょう。
そんな「自分だけが特別」を選択しない人は、ただ乗りしない方向に情操教育を受けているわけで、そういう人とつきあったときに自分がただ乗りされないという安心感も、上記の聡さに加わるのだと思います。

そんなわけで、そうしたもろもろの正の評価が「美しい」に結実しているのではないかと思いました。

閑話。
最近どういうわけか(歳だからだ)学生~勤めたてくらいの若い人たち何人かと接する機会があって、しかしその中にも何でも人任せのクソガキと周囲に気を使える子がいて、この差はなんで出てくるんだろうなあ、なんて思ったことからこんなことを考え始めてしまいました。どうも人に選んでもらう経験の多寡ではないか(いわゆる学生気分というのは消費者気分なんではないか)と思ったのですが。まあ考えはだいぶ遠くまで行っちゃいましたけど。

閑話休題とともに終了。夜中に書いた文章はくどくて長いなあ。

コメント (4)

e-com:

横柄かどうかとは違うところで、美しくなれない自分がいたりするわけで、すみませんすみませんと思うのですが。
逆転可能性なんか微塵も感じてなくても、客として最高に美しい気遣いをして選んでいく人はいるわけで、私はそういう人を見ると美しい(洗練されている)と思う。
(営業電話を丁寧に断ったらガチャン!=選ばれないとわかったら気遣いゼロ、とかも許せない。)

管理人:

> 横柄かどうかとは違うところで、美しくなれない自分がいたりするわけで

へえそうなの?かなり意外。エレガントではなくともポイントは外さないイメージですけどね(笑)。つうかどういうところで美しくないのかわかんないけど。

ところで書きながら、強い+聡い+適切に育った=美しい、でいいのか?と大変疑問に思ってたんだな実は。なんか気持ち悪いジャンプがあるんだよね、直感的に(それ言うと台無しなんだがw)

e-com:

なんかねー。逆に買い物する人に徹しきれなくて、半端に気をつかってスマートじゃなくなる感じが嫌。
文化資本の問題に回収するのもいやなんだけど、なんかがある。
逆方向から考えて、どっちもジャンプを感じていると見た。

管理人:

今日は夜の仕事があるから昼過ぎから出ようと思っていたら夜の仕事のアポイントを忘れていたことが判明、ただの遅刻になった。あべし

あー、スマートさね。これはちょっと毛色が違うねー。

> 逆方向から考えて、どっちもジャンプを感じていると見た。

正しいw

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2008年12月10日 00:02に投稿されたエントリーのページです。

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