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浅学なりのものの言い方

つまりひとの考えの引用とか、しなければいいんじゃないかと思うわけ。
ルソーがどーたら、ベルグソンがこーたら、論語に曰くなんたら。
アンガージュマンだとか、エピステーメーだとか、解釈学的うんたらとか。
どれ一つとっても専門家がいるわけで、不用意に聞きかじったようなことを言うのは「君ぃ、それは誤用ですよ」とかつっこまれるための的を準備しとるようなもんであります。

コメント (2)

e-com:

それは○○がすでに××という形で言ってるよ!と言ってくるヤツへの切り替えし方法は、考えておいた方がいいかと。

(閑話休題)
誰に向かって何のために書くのかしりませんが、やはり車輪を二度発明してもしょうがないのと一緒で、次の段階として、自分の考えと「えらい人」の考えの距離を測る作業は必要だと思うけど、いかに?

逆から言えば、えらい人の言葉(だけじゃなくて先行研究なども)と自分の考えの微細な差異を詰めずに「引用」をすると、「誤用」として責められるというか。

私の感覚では、研究者の適性は、この距離を自覚して、かつその気持ち悪さ(←自分の思考の深まりで敵の見え方が変わるので終わりがない)から逃げない能力みたいのが必要条件。距離を言語化することは、十分条件。(注:十分条件までいったら「一流」。)その過程で実際に「引用」かどうかは別の問題。
ま、実際のところ、「誤用」レベルでもまかり通りますが。

管理人:

>誰に向かって何のために書くのかしりませんが

そら社交でしょ~。ものの「言い方」だし。

>それは○○がすでに××という形で言ってるよ!

たぶんそれ、ありがたく拝聴しちゃうと思う。

で、閑話。
なんか二つ下の学年のデブ茶髪眼鏡の子(お名前失念)たちが学生室で「○○が××って言ってる、って自説を裏付けるために引用するのって、なんか違うよな~」って話してた!とか留学中のわたくしにメールくれたのはもう8年も前だったか(遠い目

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2007年05月24日 01:01に投稿されたエントリーのページです。

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