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2006年10月 アーカイブ

2006年10月31日

ウイーン

職場の空調が変わって乾燥度が猛烈にアップ、風邪引きが続出するなかで「こんな職場にはおれん」と飛び出したのが14時、しかし行くあてもなく。

タワレコでメトネルのCD (Medtner: The Three Piano Concertos, etc. - Madge, BIS-CD-1258) を衝動買いしたあと、ふらり足は狸小路へ。

061031wienne.jpg

狸小路7丁目にある名曲喫茶(というジャンルなのだそうだ)「ウイーン」に入る。喫茶店ではまずアイスコーシー(500円)を頼むワタクシですが品切れだとのことでレモンジュースに。妊婦か。

店内にはいつもより多め?の先客4人。壁面にしつらえられた大きなスピーカーからは音楽が流れてます。ガサガサと音を出すのも憚られるなか、資料読み。今日はホロヴィッツ(たぶん)のスクリャービン、リスト、それからなんかオケの曲になっちゃったのでいつしかウトウト。

座席はおおかたスピーカーに向いていて、各々本を読んだり目を閉じて聴き入ったりしていました。こんどは「これかけて下さい」ってCD差し出してみようかな。

ええ明日は頑張ります、明日は。

2006年10月28日

カーテンコールのあとで

■スタニスラフ・ブーニン『カーテンコールのあとで』主婦と生活社、1990年。

stage6でブーニンの演奏するショパンのピアノ協奏曲の映像を見つけてから(キーワードpianoとかで検索してみて下さい)ヘビロー中なのですが、それこそ恥ずかしながら映像ではほとんど見たことのなかったブーニンの演奏がCDの印象よりよほど派手でベッタベタだったことに驚き、そういや全然この人のこと知らなかったわいなとこの本を手にした次第。

生い立ちから音楽学校、音楽院、ロン=ティボーとショパンコンクールでの優勝など人生のかどかどでソヴィエト・ロシア体制の暗部に触れ、とうとう果たした母親と一緒の国外演奏会の機会をとらえ西ドイツで間一髪の亡命を達成するまで。最後にはNHKがやったコンクールの特集番組でブームとなった日本に一章を割いていて、ひいきっぷりも垣間見える。個人史の視点から構成された”政治”はかなり引き込まれるドキュメンタリーになってます。

有名人から身の回りまで、スゴイ人たちを見るにつけ「なんでアンタそんな人になれたの?」っていうことに関心のある自分は、他人が切り取った「伝記」よりも、自分のことをよく知っている人が書いた「自伝」が好きなんです。

自分が小学生のころに有名になった人なので、まだ40歳てのはなんだか変な感じ。読売が夏にインタビュー行ってます。これもまた率直な語りでいいですね。

2006年10月22日

絶対音感

ネットに落ちているテストをいろいろやってみましたが、次の2つがまあお勧め。

(1)♪相対音感/絶対音感テスト
(2)音感テスト

両方とも相対音感(移動ドの音階が分かる。ハ長調のレをニ長調のドと認識できる)と絶対音感(固定ドの音階がわかる。ニ長調のドを聴いてハ長調のレと認識できる)の両方を試せます。

(1)のほうは12音(ド、ド#、レ、……、ラ#、シ)しか出てこないが、テスト形式を工夫してあり、難しい。
(2)は絶対音感のハイクラスが特徴で、1Hz未満の音の違いが聞き分けられるかテストされます。

やってみたところ、自分は相対音感はあるみたいですが、絶対音感に関しては中途半端なよう。つまり(2)の絶対音感・ハイクラスはほとんど聞き分けられませんでした。

しかしながら、自分のように「12音のうちどの音かは聞き分けられる(が、1Hz未満の微細な違いは分からない)」というタイプの絶対音感といわれるものは、要は440HzのA(「ラ」の音)がどんな音かを記憶していて、それとの距離で音を識別している気がする。つまりこれも相対音感の一種なんじゃないかしら。っていうか結局、(Aの音を正確に覚えているという)記憶力の問題なんじゃないかしら。

自分の場合は6つになるちょっと前からピアノを習い始めて、小学校の終わりくらいからは楽典をちょこっと習う中で聴音(先生が弾く和音やメロディを楽譜に書き起こす作業)の練習をやっていたというプロセスで育った音感だとは思いますが、これを絶対音感と呼ぶのはちょっと気が引けるな。多くの人が修得できるもので、なんか「絶対音感」という言葉がまとう天才っぽいイメージと違う(笑)。

ピアノという、自分でチューニングをやる必要のない楽器で育ったことも、12音以外の音に鈍感になった原因かも、と思います。弦楽器のように低い音から高い音まで連続している楽器をやっていたら、また感受性が違ったのかもしれません。

2006年10月14日

○なると

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なると@小樽。
若鶏の半身をそのまま揚げたんだって!味付けは塩と胡椒だけらしい。写真の定食は1000円です。
最初は「ん?かなり薄味?」と思ったものの、食べきるころにはちょうどいいかな、というくらいの塩気を感じるようになってました。食べる作業からして和製ケンタッキーという感じ。お腹一杯。

寿司やラーメン、チャーハンその他いろんなメニューがあります。
一緒に行った小樽出身の方は「玉子巻き+若鶏」を頼んでました。鶏は手で食うのでこの組み合わせのほうが食べやすいそうで。あと彼の耳打ちによると「ラーメンも実はうまい」とのこと。次だな。

2006年10月09日

連休の終わりに(※)

不思議なことに、コミュニケーション不全が起きた場合、ほぼ100%の確率で自分に非がある[と感じる]のだ。
というわけで特にハタチを大きく超えてからだが、「知人」以上のレベルで近しく関わる人たちにかんして、愚痴を言うことがあまりなかったりする[気がする]。
なぜか「それ違うんじゃねえか」と思ったことは、詰めてみるとほぼすべて自分の側の情報・経験不足あるいは単純ミスからくる思い違いだ。

客観的に自分が相当アホなのか、自分自身の心の中の何らかのメカニズムによって「私が相当アホ」という以外の部分が無意識的に捨象されているのかはよくわからない。が、まあとにかくここのところ「どうもいつも自分が悪いなあ」と思うことが多い。

正確に言うと、こういうとき愚痴は「言わない」のではなく「言えない」わけだ。別に悪くないと思っている他人をあしざまに言うのは自分に対する欺瞞だし、自分が悪いことを滔々と誰かに話しても救われないからだ。

そんな、はけ口のないストレスに対するマネージメントの一番は、ストレス源と向き合うことではなく、体調が整ったり、単純に時間とともにそのストレス源以外の情報が次々と飛び込んでくること。具体的な処方箋は「とりあえず寝る」と「仕事する」。

「論理の世界の中でとにかく何とかすること」というルールが予めあるようなゲーム(机に就いての論争などですかね)でなければ、案外「寝る」「食う」「遊ぶ」など「外にある手段を使っての対処」が有効なことって多いと思う次第。

というわけでおやすみなさい。今週も頑張りましょう。

※ちなみにワタクシに連休はありませんでした(笑泣)

◎望羊蹄

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洞爺湖畔にあるレストラン「望羊蹄(ぼうようてい)」。
けっこう有名店らしいが愛想も雰囲気もよくてオススメです。
写真はハンバーグステーキセット(2000円)と鮭サラダ(800円)。結構いいお値段しますが価値あり。味は正統派。ハンバーグソースもぜんぶ肉で掬っていただきたい感じ。
ほかにもポークチャップ(写真奥にあるやつ、セット2200円)だのオムライスだの、食べてみたい洋食メニューがたくさんです。

2006年10月08日

『ミグ25事件』

■原田暻『ドキュメント ミグ25事件』航空新聞社、1978年。
(↑あきら、は日へんに景です念のため)

1976年9月、ソ連(当時)から当時最新鋭の戦闘機ミグ25が函館空港に着陸し、パイロットがそのまま米国に亡命したという事件(ベレンコ中尉亡命事件)、そのドキュメントです。著者は読売新聞記者。
冷戦下のことですから、まず領空侵犯ばかりか着陸までされてしまった、米軍が機体の調査に加わった、ソ連との関係が緊張した、など当時は大騒ぎになったようで、その内幕を実に克明に描いています。自分は仕事に関連するので読んだのですが、特別の関心がないとちょっと眠たいかも。
この事件は本来の手続きを無視した現場の判断で出動が行われていたことなど(下記文献)から、いまでも自衛隊の正史には登場しないそうです。ベレンコ氏は現在もアメリカに住んでいて、航空ショーのプロデュースなどをやっているもよう(30周年を機に制作されたSTVの特集でやっていた)。

(参考)大小田八尋『ミグ25事件の真相:闇に葬られた防衛出動』学習研究社(学研M文庫)、2001年

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