TOEFL(6)かなしいとき
そういやこの間、あるお呼ばれで行った先にボブ・サップみたいなアメ人さんがいて、最初むこうが英語で話しかけてきたもんだからこちらも英語でしどろもどろで話してたら、流暢な日本語で「あ、日本語でいいっすよ」と言われてちょいショックですた。アー
こんなもんですw
« 2006年02月 | メイン | 2006年04月 »
そういやこの間、あるお呼ばれで行った先にボブ・サップみたいなアメ人さんがいて、最初むこうが英語で話しかけてきたもんだからこちらも英語でしどろもどろで話してたら、流暢な日本語で「あ、日本語でいいっすよ」と言われてちょいショックですた。アー
こんなもんですw
結果出ました。
listening 26
structure 25 (writing 4.0)
reading 30
-------------
total 270 (=PBT 637)
ハーバードのビジネススクールの足切りが267未満というから、まあ一応恥ずかしくないスコアがとれた(※)ということで、遺憾な点はあるにせよ、ひとまずTOEFLは区切りにします。得点の賞味期限は2年だそうなので、そのころまだ気力があったら勉強するとしましょう。
ええと、structureのセクションを左右するwriting=作文のスコア4.0というのは予想通り極めて凡庸でした。「内容や間違いはともかく、段落分けして一定の分量(300wordsくらいあるといいらしい)は何か書いてありますな」というくらいのレベルが4.0。たぶん少し練習すれば5.0くらいはいったのでしょう。まあ時間配分とか考えずに最後の1秒まで使ってるようではダメすね。
前回受験の8年前(大学3年)にはCBTがなかったので換算した数字でいくと、得点は580→637。さてこの上がり幅は何によってもたらされたのか。
身も蓋もないが1年間の留学。英語使わないとメシ食えない、英語の本読んで英語でエッセイ書かないと単位もらえない環境。そのもとでいろんな学問分野の用語や、日常会話の表現に曝されること。あとはTOEFL固有の形式に慣れるために、問題集を使って多少のテクニックを仕入れるくらいでしょうか(これについては(4)参照。あの文献で尽きると思う)。
「留学するためにTOEFL受けるのに。転倒しとるやんけ」と言われそうですが……でもですね、基本的に「学士」「修士」「博士」だけの日本の大学と違って、海外の大学には例えばgraduate diplomaなど、上記3つの中間に位置する、半年や1年で取得できる学位があります。自分の場合は大学に在学したまま交換留学の制度を使って1年海外の大学で過ごしましたが、そうでない人は(勤め人でさえなければ)、550もあれば十分入れるこうしたコースに参加するのは決して遠回りではないと思います。英語力も上がるし、TOEFLでよく扱われる英語圏の大学の制度にも親しめるし(まあこっちは副次的な効果)。
ま、そんなわけで終了。参考になれば幸いです。
------------
※ただし、ざっと見たところアメリカの一部、オーストラリア、イギリスの主要校は、大学院入学のrequirementとしてCBTトータルで250点、ただしwriting section 5.0を挙げているので、4.0の自分は資格なしっつうことになります。
英国および旧植民地では英語力の指標としてIELTSがメジャーであり、これが話す/聞く/読む/書くを総合的に試すテストであることから「アメリカの試験=TOEFLもまあ認めるけどIELTSに準じて書く力もちゃんと見ますからね」という意思表示なんでしょう。
あと言うまでもないことですが、大学院進学の要件において英語てのは一部でしかありませんので。(06.4.3追記)
■村山真維、濱野亮『法社会学』有斐閣、2003年。
警察や検察や裁判所や弁護士によって法が運用されるときには、必ずしも書かれていることが必要十分に実現されているわけではない。法の執行をするわけではないけれど法の枠内で仕事をする行政機関についても、それは同じこと。
実際は人的資源や時間の制約があるせいで、それぞれの機関が裁量を発揮して法を動員しなくてもいい解決の仕方(微罪処分、起訴猶予、行政指導、それとか単なるアドバイスなどなど)を用いているのでそうなるのですが、ではそれが
(1)日本ではどれくらい行われているのか、それはなぜか
(2)外国ではどうなっているのか
(3)どう変容してきたのか/していくのか
といったところを考えようとすると、法という一連の決まりの整合性や中身を考える「法学」の外に出て、「社会」(社会って何よ、というのはまた別の大問題ですがぁぁ)と法との関係を考えるこういう学問になるんですかな。
本自体はまあ普通に教科書です。
夕方から出掛けようかと思ったけど、雨もようなのでやめて家でメシ。
遅くに出掛けた近くのスーパーで、鶏肉が半額になっていたのでドンブリで簡単に。
同量の味醂、醤油、オイスターソースに砂糖をちょっとだけ加えて作ったタレに肉を漬け込んでおいて、葱といっしょにフライパンで焼いてご飯にのせるだけ。
うちの米は、実家で農家から直接買っている合鴨米です。ちょっと前から5分付きで食ってますが、覿面に腸に効いてます(実例は汚いので割愛)。
東京の本社で会議。ここ1年の各地方職場の仕事っぷりを報告する場なんですが、自分はタイピングが早いからということで書記として参加。会議進行と同時に議事録ができていく!とアナログな人たちに騒がれてしまい、同席したヤング(死語)たちの手前、非常に恥ずかしい。
5月に北海道への異動が決まりましたので、これまでの変則的な受け持ちからは外れて、報告にあったような、日々工夫と地道な努力が必要な仕事に戻ることになります。といっても社内的には「いいなあ」とか「どうしてお前ばっかりそんな……」とやっかみを言われるほど楽しい職場らしいのですね。適度に頑張りつつ楽しもうと思います。
で、会議後は苦手な寿司で飲み会。最近飲みが込んでます。
■ハリー・G・フランクファート(山形浩生・訳)『ウンコな議論』筑摩書房、2006年。
ウンコな議論とは何か。On Bullshitが原題で、それをキャッチーながらもイメージのわかない「ウンコ(な)議論」と訳してしまったので分かりにくいが、要は「その場しのぎのテキトーな議論」で、「その真偽なんて別に気にせず口にされる」(この点で、「偽であることを知っていて言う」という「嘘」というものと区別される)ようなものですかね。そういう定義づけを延々やっているのが本文です。まあ「ウンコな議論」のウンコな例を挙げれば、首相の国会答弁なんかかしら。
で、だからどうだというと「ウンコな議論が蔓延しててムカつくんだコノヤロー」でありましょう。そんなこと本文には書いてないけど、きっとそうです。
というわけでこの本をひとことで表すと「知的怠慢批判」。
気をつけなければいけないのは、「知的怠慢批判」もコピーを繰り返すうちにそれ自体が知的怠慢=ウンコ議論になるということで、こういうのはタイミングとプレゼンテーションを仕方をよく計って出すのが肝要であります。
訳者による本文とほぼ同量の解説によれば、悪しき相対主義や反知性主義、つまり「ああも言えるしこうも言える。あれもこれもつきつめていってもキリがないもんだから真面目に真実を追求したってしょうがないやね」という1970年代の空気に倦んだ著者が、当時は匿名の怪文書として発表したのがこのOn Bullshitだそうです。おおもとの問題意識が正しいとしても、それが知的怠慢の言い訳として使われる状況にイライラしている様子が本文の最後にちょこっと書かれています。
紀伊国屋に平積みになっていたこの本のタイトルを見て手にはとってみたものの、なんとなく1365円出して買うのはやめていたところ、一昨日、後輩君の机上の本立てにしっかり収まっているのを発見したので借りて読んだのでありました。読後感は「買わなくて正解」。つまんないという意味ではありま千円。
そうこうしているうちに受験日が来てしまいまして。
机に就いてのテストなんてホント久しぶりです。最後の試験は6年前の入社試験。TOEFLそのものは8年前。……は、8年!?ま、いいんですけど……年取ったなあ……
以下、8年前にはなかったコンピューターを使ったTOEFL(CBTという)初受験まで。
・朝飯はしっかり食うのだ
・CBSのニュースをダウンロードして持っていって、会場への移動中にちょっと聞いて耳慣らし
・茅場町の会場に着いたらパスポートを提出して本人確認
・「ここで見た問題を公表しません」などの同意書を書く
・パスポート以外のものをロッカーにしまって一人ずつ呼び出しを待つ
・呼ばれたらwebcamで顔写真撮影
・サインと入室時刻を書類に記して試験部屋に入室
・自習室みたいに個人個人区切られたスペースのひとつをあてがわれ、あとは机の上に置かれたPCと対話です。様子はまったくもって、主催側が作っている練習兼模擬試験ソフトpowerprepそのもの。
・聴解→文法→読解→作文の順番。サクサクやって約3時間。
・最後にスコア表示と、スコアの送り先の大学など(自分は別に留学用に受けているわけではないのでこれは入力しない)を指定してオシマイ。
スコアの構成は
(1)聴解(30点満点)
(2)文法+作文(合わせて30点満点)
(3)読解(30点満点)
で、これの加重平均(1から3まで足して3で割る)×10がトータルのスコアです。出願の目安になるのはアメリカの大学で213点、大学院で250点くらいですかね。
で、今日の結果。
(1)26
(2)12-28
(3)30
トータル227-280
幅があるのは、作文の採点はコンピュータではできないからです。正式なスコアは2週間ほどで郵送されてくるとのこと。作文0点なら(2)は12点でトータル227点、満点なら(2)は28点でトータル280点になるということですね。
正直いって聴解がこれだけ取れるとは思わなかった(=まぐれ)し、読解は満点だった(=偶然にして問題文にほとんど理系の話題が出なかった)のも意外。
非常にうかつだったのは作文を一度も練習しないまま本番に突っ込んだため、時間ギリギリでなんとか完成させて、読み直しチェックをしている最中に時間切れとなった点。というわけで不整合な点とか文法ミスなんかも多く残ってそうだし、分量もちょっと足りなそう……まあ最終的なスコアはあまり期待せずに待つことにします。アーア
今回使った本。
・聴解:「TOEFL TESTリスニング完全攻略」(語研)。分量、内容とも本番をよく解析して作ってます。いい本だと思います。駆け足で一通りやっただけで、本当は紹介されているイディオムを覚えたり、できなかった問題をもう一度やったりという勉強が必要だったんでしょうが時間が足りなかったのが残念。難易度は本番より少ぅしだけ高い気がしました。
・文法:「TOEFL TEST620点 実践型文法完全制覇マニュアル」(アスカ)。出るとこだけ集めました、という問題集。これも一通りやっただけ。でも評判通りよくできてます。速成用に持ってこいかな。この本が「英文法」を網羅できてるか不安なら高校受験用の厚い文法参考書をいっこやっても身にはなると思いますが、時間との兼ね合いが課題(無駄かも)。
・読解:対策やりませんでした。あえていえば「TOEFLテスト 英単語3800」(旺文社)。これも評判のいい本みたいです。確かにものすごく網羅的で、これをちゃんとやれば恐いもんなしだと思う……けど今回は半分もマスターできなかった……TOEFLは各学問分野の知識があると楽なので、自分のように哲学、社会学、経済学なんかをうわべだけにせよ(^^;)習った人間の場合は物理、生物、化学方面のボキャブラリをこの本でたたき込むという使い方ができそう。
・作文:「TOEFLテスト必修ライティング攻略ゼミ」(LONGMAN)。これも評判を見て買ったものの、覚えることの多さに圧倒されてほとんど手つけず。というわけで近所の図書館で見つけた「TOEFL TESTパーフェクトストラテジー」(旺文社)をざっと読んでオシマイ。ほんとはもっとちゃんと戦略立ててやらないとだめです。
というわけで参考書選びは正解だったと思う。問題はそれをさらっとなでて終わっちゃったことですのう。
久しぶりに3時間集中したらどっと疲れました。とりあえず今日のことは忘れて過ごしたいと思いますけど、あんまりスコア悪かったらすかさず次の受験を予約してしまう気がする。今日思い出したけど、ムキになる性格だったのだ。
バイクの友達3人がうちに遊びにきました。
1人の用事が終わるのを待って出たそうで到着は未明の1時!そこから6時半まで酒飲みながら喋って、朝の光を避けるドラキュラ伯爵のように眠りにつき、13時に起きて近所の回転寿司で昼飯、さらに18時過ぎまでうちで喋って帰っていきました。うーん楽しかった。
妻子なし・恋人もなしの30代(自分だけ20代)は休日にするべき家族サービスや恋人接待なんてものはありませんから、まるで下宿生活の学生のようにお互いを訪ねたり思い思いの場所に出掛けたりして過ごすわけです。
そういうわれわれにとってはバイクはほんとにいい趣味だと思うんです。
4輪と違って、雨に弱く積載量も少なく危険もあり洗車だ整備だと手間とお金のかかる趣味ですが、そういうマイナーな趣味を持っている人たちの間の連帯感があるのか、人と人を結びつける効能を持っている。
非婚の人々の、永遠に続くかと思ってしまうほど長いadolescenceは――貴重ではあるけれども――一緒に過ごす人もなく・否応なく時間を奪い取っていくほど仕事が密でもなければ結構暇。その隙から暗闇に落ちてしまわないよう自分を繋ぎ止めていてくれるこの趣味と、同好の友達に感謝するのであります。
■3歳のころ、うちの車のシガーライターに指を突っ込んで火傷して、医者に行って帰ってきてもヒリヒリしていて泣いていたその傍らで、やれやれ一仕事だったと両親が出前の寿司を食っていたのが記憶にある最初の寿司の記憶。そのせいか否かは分からないものの、これまで一度も刺身をうまいと思ったことはない。ただ不思議と寿司飯+火の通ったネタは大好きで、連れ立って寿司屋に行っては割り勘負けするという歴史を経て来ております。
ところがひとつだけ例外があって、むかし地元の「かっぱ寿司」で好んで食べていたのが「うずら」。うずらの生卵が載った軍艦巻き。いちど食中毒を出したか何かでなくなってから20年以上食べていない気がします。あまりに安直な寿司で今食べてもうまいと思うかどうか分かりません。世界(生活世界)が今よりもずっと狭くて温かかったころの想い出。
everytime I eat Sushi, it reminds me of the sour memory when I was three...
■中学1年のころ読み始め、新刊が出るたびに買っていた、秋月達郎『パンゲア三国志』っつう小説がありましてね。2年くらいかけて10巻近く出たあとパッタリ出なくなってしまったんですが、そういえばどうなったんだろうと検索をかけてみたところ、作者の野郎はぬけぬけとホームページなど持ち、未完のシリーズをこれまたぬけぬけと「作品リスト」に載っけたうえに、さらにぬけぬけと別の長編を書いたりしておるのですね(それが完結したかどうかは知らんわ、もう)。しかもネットでは最悪の三国志パロディとして紹介されている始末。まあ当時は本家の三国志の筋をまったく知らずに読んでいたため、そのムチャクチャさには気付かなかったのですが。
美樹本晴彦が挿絵を描いていてそれが美麗だったとか、むやみに難しい漢字を覚えられたとか、一応のメリット(?)はありましたけどね。ふと昔に戻った一瞬でした。
■永谷園の(←ここ重要)焼肉ふりかけ。
当然のように焼肉「の、タレ」の味がするわけですが。ごはんにかけて暫く置くとふりかけが溶けてきて、まさにタレぶっかけたご飯のようになるのがなんとなく楽しかった。弁当の日だったりすると特によく溶けておるのですね^^
これもいつの間にかなくなっちゃったな。「味ぶし」「鮭っこ」など姉妹品は少し大人の味だった気がする。