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2014年06月 アーカイブ

2014年06月29日

しらす丼

ひょんなことから鎌倉を歩くことになりました。
鶴岡八幡宮(定番ですな)、海蔵寺(ここは初めてだがとても雰囲気がよかった)から源氏山公園の山道を通って銭洗弁天で300円洗い、大仏をチラ見して長谷寺のあじさいを、と思ったら90分待ちだとかで断念(先にチケットを取って大仏でも見てくるのが正解)。
でもって江ノ電で江ノ島に出て、しらす丼を食いました。
梅雨の晴れ間ですっごい日差しがきつかったです。日陰は涼しくて風もあって快適だったけど。
有名店はまたしても90分待ちだったので、その近くの名前も覚えてないお店に入りましたが、まあ使ってるものが同じだろうから、そんなに差はないでしょうな。何にも期待してませんでしたが、どっこいすっごいうまかった
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これやで。一口目で気が遠くなった。
(※弊管理人は生ものが食べられないので釜揚げ。生を食べた同行者も似た反応でした)

あとはまあ、大仏周辺の写真。
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サロンパス常用の弊管理人は背中の四角も含めて猫背に親近感を覚える。
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手水そばの注意書き。飲酒をたしなめられた気分になる。
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この土産品が訴求すべき相手に届くのか、この時代感覚。
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きわめて繋がりが深いはずだが、なぜか違和感のある取り合わせ。

日焼け止め、腕に塗り忘れたー

* * *

夜は新小岩、八木屋。
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オーソドキシーを追究するということが、これ。あっさりラーメン650円。
タオルを頭に巻いて黒いTシャツを着たいかつい兄貴みたいのが作るラーメンに倦んだら。
チャーハンも例に漏れず、です。

* * *

とうとう休日のメールチェックをやめました。

2014年06月27日

アンコール・ワット

代々木のアンコール・ワット。
ランチを一度、試してみたくて。

とりあえず初めてなので、一番高いAセット(1280円)を頼みました。
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チキンサラダ、温かいフォー、ココナッツカレー、ごはん、それとかぼちゃケーキ。
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ゴマ団子が1個、おまけで付きました。
かぼちゃケーキは素朴な味でうまーい。ケーキというか、カボチャの煮物の中にプリンが詰まってる感じ。

サンルーム席みたいなところに座りました。
東南アジアはあまり行ったことないですが、なんかそれっぽさを感じさせる?味。
店員さんに愛想がないのもまた。

* * *

あっという間に夏至を通過。
このところちょっと夜更かしが過ぎ、それでも朝7時半には目が覚めてしまうので夕方つらめだったかも。
今日は夕方に2時間寝てしまいましたが、それでもまだ寝れそう。

社契約で住んでいる今の部屋、家賃補助が5年で満了するのに伴って個人契約に切り替えるよう会社から指示がありました。管理会社に手順を聞いたところ、単なる名義変更ではなく新規契約をすることになるらしい。
元々会社が契約している住宅にもかかわらず昨年、規定に従って2回目の更新をする時に更新料を自分で払った。本来なら2年住めるはずが、1年で強制的に解約となり、余計なコストを生じさせるのが納得いかんと散々厚生担当に文句を言いました(札幌支社にいたときの総務部長でよく知ってる人なので遠慮なく……)が「そういう規定」の一点張り。「不当な決まりは出るとこ出たら無効になる可能性ありますよ」「いい攻め方だねえ、うふふん」「でしょー?w」とかやってるうちに終了。バカ規定め。
賃貸と持ち家、それぞれメリットとデメリットがあるけど、店子はこういう時に弱い。4月にいい中古物件をタッチの差で持って行かれたのが、今更ながら悔しく思い出されます。

2014年06月22日

本を読む

弊管理人と本とのおつきあいを、自分用メモを兼ねて書いておきたいと思います。

【なぜ読むか、何を読むか】

弊管理人はもともと本を読む習慣はありませんでした。中学の時にはあまりに本を読まなすぎて国語の成績を下げられたほどです。親は結構活字を読む人なのですが、どうしたことでしょう。

それでもするっと大学に入りました。ところが、周囲の、特に東京の私立・中高一貫校から来たような同級生たちが、入学直後の自己紹介で「好きな作家はジェイムス・ジョイスです」「ポスト構造主義に興味があります」などと意味の分からないことを言っていたのに衝撃を受けました。

文献を読んで発表をする練習となる必修の授業でも
  せんせ「では感想をどうぞ」
  弊管理人「えっと、難しかったです……」
  せんせ「あ、はい。次の方」
  次の方「この議論にはマイノリティという視点が欠けていると思います。云々」
という教養とお作法の差を経験し、とりあえずいろんな本を手に取るようになりました。

しかしそれで最終的に追いついたかといえばそんなこともなく、放任気味な大学生活の中で勉強やアウトプットの仕方を習得せず、必読書とされるものをきちんと読まないままテキトーな卒論を書いて卒業してしまいました。
結果、不足感とか、やるべきことをやらないで通過してしまった後悔が残った。それが今に至るまでなんとなくページをめくっている動機かなと思っています(追記:動機「の一部」です、たぶん、反芻してみると)。でもま、それでも本好きというほどの読み方ではないんですけど。

在学中や就職してしばらくは、次の理由から、新書や新進の著者の本をよく読んでいました。
・新しい本は、古い本を踏まえて書いてあるのだから、新しい本のほうによりよいことが書いてあると思った
・概説書は、必読書を要約して書いてあるのだから、概説書を読むほうが効率がいいと思った

これはこれで速効性の利益はあったのですが、しかしどうも自分のものになってない感じもしていたように思います。特に日本語の本には碌な要約がなかった。

で、わりと最近になってやっと、古典は古典でちゃんと読もうという「忘れ物回収プロジェクト」を始めました。就職してから、何か情報を得るのに又聞きは危ない、本人に直接聞いたほうがいいという経験が重なったせいもあるのかも。何年続くか分かりませんが、
・特に分野を限らないで、ある本を読みながら「次はあれかな」と思った本を渡り歩いていく
・いい解説、いい訳、値段がお手頃、あたりをゆるく優先する
・でも偶然勧められた本やその時々に話題になった本との浮気を恥じない
・ついでに、ちょっと人に見せたい本棚を作るつもりで本を選ぶ
・焦らない、早く読むことを偉いと思わない
・ただし、一語一語にあまり拘泥せず、それなりのスピードで進むことも理解のためには大切
・どーしようもない本に当たってしまった時も、半分くらいまでは頑張ってページをめくる
というのを基本線にして進めています。

【本を1日どれくらいの時間、読むか】

生来まったく本の虫ではないので、手持ち無沙汰の時にしか読みません。
平日は通勤電車に乗っている間(20分×往復)が標準で、面白く読んでいる本なら仕事中にちょっとできた待機の間にも読みます。
休日はどこかに出掛けようと電車に乗った時に読みます。ただし初めての土地の場合は車窓の風景に見入ってしまうので読みません。電車以外ではあまり読みませんが、ときどき喫茶店に入って読むこともあります。

通勤電車のペースに慣れたせいか、1回読み始めて注意が持続するのは20分くらいです。
それ以上読む時間がある場合でも、ちょっとツイッターを見たりとか、別のことをしてから再開します。

読むのも結構遅いほうではないでしょうか。文庫本の場合、電車の片道20分で10~15ページくらいです。

【どうやって読むか】

弊管理人が本を読む機会は大抵メモが取りにくい(電車の中とか、ふとできた時間とか)ので、妥協して次のような手順を取るようになりました。ほんとはメモがいいんですけどね。

1 助走として、解説、あとがきを先に読む
2 本文を読み始める
3 この際、付箋を鋏で縦に3等分し、裏表紙の前のページにまとめて貼り付けておく
4 大切だと思ったところ、変だと思ったところに付箋を貼りながら読む(3、4は下の写真参照)
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5 頭の中にポンチ絵を描きながら読む。読み進めながらポンチ絵に修正を施す
6 解説、あとがきをもう一度読む。解説が役に立たない場合、手頃な解説書を別途1冊読む
7 弊サイトの管理画面を立ち上げる
8 ポストイットを貼った箇所に注意しながらを最初からもう一度ざっと読み、エントリを書く
9 書く内容は:本をどう理解したか(ポンチ絵を字にする)、どこが面白かったか、どこにイライラしたか、これまでに読んだ本と何か関連することがあったかどうか
10 本棚にしまって次の本を通勤カバンに入れる

この方法には、話の筋とその時の心境をざくっと掴み、それを記憶として固定し、後でもうちょっとちゃんと参照したくなった時に辿る、という作業がしやすい利点があるかなと思っています。
弊管理人は、1冊に深く関わるより、浅い読書を重ねながらイメージをだんだん濃くしていくタイプの理解をする癖があるようなので、こういうスタイルになったのかもしれません。1冊1冊について弊サイトに書きつける作業はインデックス作りのようなものと考えています。

ただし仕事用に読む本や書類はこの限りではありません。大抵の場合は厳密さとスピードが求められるので、頭の中ではなく、デスクでお絵描きし、シソーラスのようなものを作りながら読みます。あと、分かってる人と話して確認するという作業も結構やります。

弊管理人は「小説もビジネス書もほとんど読まない」「目的を持って読んでいない」「いつもぼっちで読んでいる」と、本とは結構特殊なつきあい方をしているので、誰かの役に立つとも思えませんが、一応こんなところです。ここ改善するといいよ、というような助言がありましたら是非教えて下さい。

* * *

2010年の終わりから3年半にわたって弊管理人のさまざまな悪事の片棒を担いできたiPod Touch、先週アスファルトに落とした際に画面にいっぱいひびが走ったのを機に引退となりました。実のところOSのアップデートが重なったせいか動作はかなり遅くなっていましたし、バッテリーもへたっていたので、いいきっかけだったのかもしれません。

後継は現行の第5世代iPod Touch。第6世代がもうすぐ出るんちゃうかという思いはありながらも、アップルのウェブストアで整備済み品(外装とバッテリーを交換した中古)が安く出ていたので買ってしまいました。深センから3日かけて来るのな。へー。
これで引き続き外でのメールもネットもiPodでできるので、ガラケーユーザーは当面継続です。iPodが軽い動作、ちゃんと1日もつバッテリーに変わって新たな悪事に手を染めることになりそうです。

* * *

夏至の土曜と今日は静かに過ごしました。
雨の朝だと明るくならないので長めに寝られていいっすね。

2014年06月17日

エピジェネ

■仲野徹『エピジェネティクス』岩波書店,2014年.

細胞核の中に入っているゲノムが1冊の本で、筋肉の章、神経の章、骨の章、……みたいに、いろんな情報が書かれたページからなっていると考えてみる。そうすると、生活史の場面場面に応じて、必要なページを読み、かつ読んではいけないページを読み飛ばすようなが機能が必要になる、それがエピジェネティクスと呼ばれているらしい。

代表的なものの一つは、DNAの糸をボビンにがっちり巻き付けて読み取りをできなくしてしまったり、逆にそれをほどいて読み取りを可能にしたりするような「ヒストン修飾」という仕組み。もう一つは、DNAそのものに「読み取り禁止」の目印が付いたり外れたりする「DNAメチル化」という仕組み。例えば小麦の春化、女王蜂と働き蜂の分化、プレーリーハタネズミの一夫一婦制に関与しているとのこと。
こうした仕組みが何かの弾みで乱れると、生命のマクロな営みに悪影響を与えることは容易に想像できます。がんや生活習慣病の研究でも、そうしたことが垣間見えているそうです。

読んでみて、病気や健康などに対する理解の解像度が上がったような気分になります。身体の状態は「遺伝的要因」と「環境要因」のブレンドでできていると考えられますが、おそらく「遺伝的要因」の中にも「DNA塩基配列や染色体の正常/異常」と「プログラムされたエピジェネティックな制御(ゲノム刷り込みとか)」があり、また「環境要因」の中にも「そのときどきの環境に対応したエピジェネティックな変化」と「環境が直接、体に与える影響(病原体の感染とか、事故とか)」の区別があるのかなと思いました。

しかし、説明してもらって色々分かってくるとそれ以上に分からないことが出てきます。弊管理人が最も気になったのは、遺伝子の発現を制御するエピジェネティクス、を、制御しているのは何なのか?ということ。出生から数十年先まで記憶されている、ものによっては(確実さは低いものの)世代を超えて伝わるというのも驚きですが、その情報は一体どこに書き込まれているのか。興味がそそられます。

「おおきく六つのカテゴリーに大別する」みたいなうっかり表現や、「染色体の不安定性」「クローニング」「高スループット型の次世代シーケンサー」などの一言説明を要する用語がいきなり出てくる箇所など、ちょっとした不満点もありますが、ブルーバックスで出てる類書よりも(岩波新書のせいか?)ぐっと親しみやすさに心を砕いてある印象です。ヒストン修飾やDNAメチル化の状態を調べる手法(と、その限界)も解説されていて参考になりました。

* * *

週末は久しぶりに徹夜飲み。
ちゃんぽんしたので頭にキてしまいました。

* * *

先週末から今週にかけて、仕事関係の重苦しい寄り合いがありました。
弊管理人は「なんか重苦しいですね」と思いながら内職してました。

2014年06月08日

エチカ

■スピノザ, B.『エチカ(上)(下)』(畠中尚志訳)岩波書店,1951年.

始めに置いた定義と公理に基づいて証明を重ね、神と精神の本質、そして倫理に至ろうという試み。1675年ごろには完成していたとされています。

全体は5部構成。

第1部ではまず、「神、すなわち自然」であること(汎神論)を導きます。
神は「永遠・無限の属性」が無限に集まってできており、あらゆるものの原因かつ唯一のもの、つまり「全体そのもの」だという。
自然の中にある何であっても神やその属性のある一様態といえ、それらはすべて「必然的=予定されたもの」なのだとする。逆に言うと、「偶然なもの」というのは存在しない。偶然と思えるものがあったとしても、それは、それについてわれわれがよく知らないからそう思えているだけなのだ。
つまり、自然には「原因」と「法則」があるだけで、「目的」というものはない(目的があるように見えたとしても、人間がそういう偏見を持っているというだけのこと)。人間も当然その一部なので、「自由」などというものはないことになります。

第2部では、身体と精神が人間という一つのものが持つ二つの側面だということを述べます。

第3部は、人間の感情についてのパート。喜び(自分がより大なる完全性へ向かっていることの自覚)、悲しみ(自分がより小なる完全性へ向かっていることの自覚)、欲望(自己保存への衝動)、という三つの要素のブレンドと状況との関係によって、希望、恐怖、好意、憤慨、ねたみ、謙遜、後悔といったさまざまな感情ができているということを証明していきます。

そして第4部から、ようやくエチカ(倫理学)の本筋に入ります。
人間は、身体の外側にあるいろいろなものから受ける刺激によって感情を喚起されますが、スピノザはそれを「受動的である」と表現します。移ろいやすい環境に自分の存在が支配されている状態、それはつまり「隷属的」なのだと否定的に評価します。
それに対して、妥当な観念や理性に基づく行動は「能動的」であるとして称揚します。人間はそれを通じて神(つまり自然)への認識や愛を深めるわけで、その活動こそが(意味づけをしなおされた)「自由」であり、辿り着いた認識が永遠・絶対の「善」ということになる。

それにしても、その理性はどういう作用をするんでしょうか?それは何より、各人が自身に内在する法則に従って自身の存在を維持しながら、より大なる完全性を目指すということです。
しかし、自分一人で遂行することはできません。外部(特に他人)の力を得なければならない。そこで理想的には、各人が「みんなの共通の利益」を目指すようになるだろうということが導かれる。各人が自分の利益のために行動するということが、全体のために行動するということと等しくなるということです。エゴイズムの総和として実現する、相互扶助や社会的な紐帯。さらに、そうした扶助をシステマティックに実現する手段として国家が有用であること、国家の法律に従うことが人をより自由にするということも帰結します。

しかし人間はどう頑張っても、ある程度は感情に翻弄され、他人との間に相互扶助ではなく対立的な関係を築いてしまいがちです。また「憐れみ」のような感情に従い、結果としては相互扶助が成立することもあるかもしれませんが、やはりそれでは不安定で、誤りさえ含みうる、頼りのない秩序に過ぎません。

では、どうやって感情を制御し、理性によるグリップを効かせていくのか。それを検討したのが最後の第5部です。その鍵は、人間自身と、人間を取り巻く自然を一歩一歩理解していくこと。それに基づいて、自分が何に従って行動しているかを知りながら行動すること。そうした営みが喜びや幸福をもたらすと主張する。またその喜びの源泉は神なので、そういう知的活動に勤しみ、神に関する認識を増していこうというドライブ、それが即ち「神に対する知的愛」なのだという。楽なことではないが、それが生成し滅びる運命にある人間の肉体の有限性を超えた、精神の永遠さへと至る営みなのです。たぶん。

始めにも書きましたが、証明問題を次々と解いていくような体裁の本です。副題も「幾何学的秩序によって証明された」です。しかし読んでいくとところどころ飛躍や無理があって、それこそ「幾何学的に証明された」というのはちょっとなあ……と感じずにはいられません。

それでも、この形式に対するこだわりは、読む側に強い印象を与えます。現存するあらゆる手を使っても直接観察することができない素粒子の性質を、手持ちの知識と数学を駆使しながら追い詰めていく理論物理の情熱を思わせます。そこから生活実感に反する知識が得られたとしても、「だって、計算していったら出てきちゃった結果だもん」と確信とともに主張することができるのも、こうした手法の利点かもしれない。

ところが、経験的な手法では追いつかない対象を捕まえるために用いた手法が、かえって神なしでも自然科学はできる、というメッセージを発しているようにも見えます。(自然に目的はない、というのは進化論を予言していますよね……)
スピノザは「無神論」だと非難されたこともあったようですが、確かに神が自然そのもの、全体そのものであって、そこに外部がないなら、それを神と呼ぶなら呼べばいいが、呼ばなくても別にいいですもんね。冷徹に、ひたすら分析するという態度を通じて国家の必要性も言えてしまったし、倫理的な生活とはどんなものなのかも描けてしまった(少なくとも著者の中ではちゃんとしたつながりを持って)。それならそれで、と言っているように聞こえたら、そりゃ怒る人は怒るわな、と思います。そのへんの議論は全くフォローしてないので解説書でも読まないといかんのですが。

『エチカ』は学生のころからずっと読まなと思っていた本。忘れ物回収プロジェクトの一環で読みました。ついでにこのあと、ちょうど先月に新しい訳が出たばかりの『神学・政治論』に進みたい感じが結構しますが、ちょっと優先すべき買い置きの本があるのでいったん寄り道します。

* * *

ところで先週末、1998年に出た『社会学文献事典』がおねだん4分の1くらいの縮刷版として再び発売されたというので弊管理人のTLが沸いていたため、いそいそと紀伊国屋に行ってめくってみました。
うーん手許にあると便利そうだけど、衝動買いするには衝動が足りないかなー、という感想。

独りぼっちで本を読む弊管理人が訳者解説などに期待するのは、内容のポイント、同じ著者が書いた関連文献との関係、当時その著者が戦った相手、現在に対して示唆するもの、を全てではなくていいのでできるだけカバーしてくれることです(余計なことですが、決して訳者や著者の苦労や身の上の話、楽屋ネタ、当該文献とは別に前提知識を必要とするような注釈、ではない)。それには文庫本で20~30ページは必要だと思っており、上記『事典』はちょっと食い足りないというか、使い道があまりはっきりイメージできなかった。ちょうど読んでいた『エチカ』の解説がかなり優秀だったことも響きました。

* * *

灼熱だった先週末とうって変わって、梅雨入りしたこの週末はずっと肌寒い雨降りでした。

新宿南口から徒歩5分くらい、「風雲児」のラーメン。
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列なしで座れてラッキー、と思った次の瞬間に店内を待ちの客が埋め尽くしました。
ラーメンはこってり目、でもしつこくない。中太麺も絶妙。うまい。並ばないなら食いたい。
あと、大将が妙に物腰柔らかいです。うるさい(元気のよすぎる)お店より好き。

ちなみに時々言わないといけない気がしますが、弊管理人はラーメンと天丼ばかり食べているわけではありません。

* * *

夏になると体がショートスリープモードに入って、だいたい6時間くらいの睡眠で朝、目覚めてしまいます。おそらく今住んでいる部屋に開口部が多いので、日が昇ると部屋がそれなりに明るくなってしまうためであろうと思っています。
先週、掛け布団をやめて毛布一枚で寝るようになった頃から特にはっきりそうなっていて、それは例年通りなのですが、先週はなぜか午後5時くらいに30分くらいデスクで居眠りする日が続きました。
ちょっとした午睡は体にもいいようなので、今年の夏は早寝早起き午後ちょっとう睡眠、くらいで行ってみようかな。

2014年06月01日

銀笹

真夏日の土曜出勤、上司が「外に出ていいから」と言うので昼飯に出掛けました。
銀座8丁目、というか弊管理人の心象地図では築地の外れ、「銀笹」。

塩ラーメンと鯛飯がいいようなので、頼みました。
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塩ラーメン850円、これはうまいわー。海老のつみれも叉焼も作り込まれていて、途中から薬味を入れて味を変えたりしながら、ちゃんと「一食いただいた」という実感が得られます。
写真にはうまく写っていませんが、葱ととてもよく合う麺、つゆです。歳のせいかもう一段薄味でもよかった気はしますが、十分許容範囲です。器もいいよね。
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鯛飯はそれだけでも上品な炊き込みご飯でいいんだけど、お店の勧めるとおりラーメンの汁をちょっとレンゲですくってかけると、鯛茶漬け風になって俄然味が豊かになります。

ちょっとした行列ができていましたが、おそらくタイミングの問題。わりとすぐ入れました。
平日はもっと厳しそう。

* * *

■グラムシ, A. 『新編 現代の君主』(上村忠男訳)筑摩書房, 2008年。

せっかくなら「サバルタン」の源流をちょっと見ておこうと思って当たってみたものの、問題意識が共有できなすぎて辛かった。現代の君主―一人ではない「政党」の形態を取る―の駆動原理と意義を考えたものと推察しますが、なんか日比谷公園の森の向こうからかすかに聞こえてくるアジテーションくらいにしか受け止められなかった。

知識をもって世の中に影響を与えたり与えようと思ったり与えうると思っている人ではないので(弊管理人の労働には多少そうせざるをえない面があるが、現段階で自己イメージ形成への貢献はほぼ0)、知識人発―知識人宛みたいなお話はもう当面いいかなと。

見回せば、目の前にいない他人のためにまでカッとなれるような暑苦しい人たちが弊管理人の周囲に結構いるため、敬意を表しつつ自分はもうしばらくコミットメントに欠けた姿勢を続けていていいんじゃないかしら。ということで、状況が変わったらお会いしましょう、どうもすんません、じゃまた。

* * *

MovableTypeの古いバージョンだとセキュリティ上危ないというニュースが回ってきたためアップデートを考えたのですが、最新バージョンにするには、月100円くらいで借りている今のサーバーをもっといい契約にしないといけないことが判明し、二度足を踏みつつ対策を考えています。絵日記だしねえ……

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