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帰省

世間の連休後半、ようやく連休になったので帰省しました。

父と中津川インター近く「ちこり村」で野菜ビュッフェ。
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昼は11時から。9時にはEPARKで順番待ちをしないと入れないくらい混んでました。
もやしのメーカーがやってる施設のせいか、色合いは全体的に緑と茶色。チコリ推しですが他の野菜もいろいろ。味もちゃんと変化がつけてあってよい。写真のような列が5列くらいある。1580円。いいんじゃない、いいんじゃない?

でもって多治見に行ってモザイクタイルミュージアムに寄りました。
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一つの目的はこの建物だったんですけど。「屋上になんか生えてる使いづらそうな建物はだいたい藤森照信」と言い放った父、正解。どこで覚えた。

おじさん2人でモザイク制作体験。ちっちゃいタイルのパーツを好きなだけもらってきて、フォトフレームだのハンガーだのにボンドで貼り付けていくものです。
意外と難しい。意外とかわいい色使いをする父(上)と、はみ出しまくる弊管理人のひどいセンス(下)。ちなみに弊管理人は、たべほの盛り付けもこんな感じになります。
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最上階も大穴があいていて変な造り。
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風呂桶とか流し台とか。そういえば本家(1960年代初頭築)の流し台や風呂場ってタイル張りだったぞ。トイレはどうだったかなあ。
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多治見は美濃焼からの流れでモザイクタイル生産で日本一だそうです。
タイルっぽいものの普及の最初は鎌倉時代に入ってきた床材「敷瓦」ですが、木造家屋の水回りや壁を覆う今のタイルの始まりは幕末に西洋文化とともに輸入されたもの。「衛生思想」にそぐう白を基調としたものだったようです。また洋館建築に使われ、装飾的になったものも。
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太平洋戦争中は「非国策品」とされて物品税(奢侈税)が課され、戦後はGHQ施設の需要、アジア輸出で栄えたものの相変わらず物品税は最高50%、廃止運動が実ったのは1959年とのこと。60年代には貿易摩擦により北米向け輸出を自主規制し廃業も相次いだそうです。
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広い2階を家具屋のショールームみたいにしちゃっているなど、展示で見るべきものは思ったほど多くなく、もう一つかな。でも建築込みで面白かったです。父も「意外とよかった」との評でした。

ついでに磯崎新の「セラミックパークMINO」も。
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でっかい施設で、これは茶室周辺です。ダムみたい。

あとは永保寺と
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道の駅どんぶり会館。
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どんぶり推し推しで、中の食堂ではどんぶりソフト400円(+フルーツソース80円)。器がもらえます。
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味はなんてことない。働いてる人もダラダラしていますが、田舎の職業意識ってこれくらいかなと思うのでまあいいです。

家に戻って、松川町の「EAT」でソースカツ丼食べました。
帰省のたびに行きますが、いつも実家でいっぱい食べて行くのでお腹があまり空いてない状態で食べることが多いところです。しかし今回は昼がほぼ野菜だったので腹が減っていて、こんなにおいしかったっけと思いながらいただきました。罰当たり。

* * *

あとは定点観測案件で、父実家。
独居の祖母は畑で草刈りをしていました。弊管理人らが行くと家に戻ってお茶を入れてくれました。写真中央ちょっと右下に写っているのが家に降りていく後ろ姿。
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桜は食用に出荷するはずのものですが、祖母はもう自分では摘めないので満開にさせてしまったとのこと。
ちょうど叔父(父の実弟)も来て、庭先でタケノコを茹でるところ。
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父方は男3人兄弟で、長男は独身、次男(父)は婿養子に出ており、写真の叔父が継いでます。父は「もう口は出さないし実家に行く回数も減らす」と言いつつ結構祖母の面倒を見ている様子。耳の遠い祖母と喋ってるうちに怒鳴り声になっていって実際に怒り出すのがどうしちゃったのという感じ。

* * *

父の寄りつかなくなった母方実家。
98歳の祖母には大きな変化はなし。面倒をみている伯母によると、時々失敗するがトイレはできており、外面がいいので外泊も「手がかからない」と歓迎されているそう。
伯母の手料理は健在です。
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「もうすぐ喜寿よ」という伯母に、特急に乗るため40キロ弱離れた岡谷駅まで車で送ってもらってしまいました。もともと運転が好きな伯母ではありますが、口ぶりを聞いていると運転してちょっと遠くへ行くのが気分転換になる様子。祖母をデイケアに預けて松本まで行って買い物とランチして帰ってきたとか、永平寺まで友達と車で写真を撮りに行ってきたとか。

和菓子屋のいとこが「配達途中に寄った」と言って会いに来てくれました。
何年ぶり?いとこが中学に上がる時から覚えているので、50歳とか信じられない。

レビー小体型認知症を長く患っている叔父(母の妹の旦那)は胃瘻造設し生きながらえているとのこと。2つ下のいとこが結婚していたことを今頃知った。ここの家はいろいろ大変らしい。

妹は今回すれ違いで会いませんでしたが、去年の夏くらいに正社員として就職した会社がわりとホワイトだとかいって続いている様子。よいよい。年俸制で給料が少ないということでしたが、手取りを父から聞いたら暮らせないような額ではなかったのでこちらは心配なし。

* * *

そういえば前回の出勤時、札幌時代の同僚(歳は1こ上だが社歴は下)が肝臓がんになって手術で取れたというのを、同じく札幌時代の同僚から聞いて聞いてひゃーーってなった。

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2019年05月05日 08:23に投稿されたエントリーのページです。

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