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陛下たち

これ絶対4月までに読まなきゃ、と暫く前からアマゾンの「あとで買う」に入れていたのですが、会社の図書室にありましたっ

世襲の君主を戴くという、本質的に差別的な君主制という制度(そうでないのが共和制)が、なんで人間の平等を基礎にした民主制と両立するの?しかもわりと先進的な民主国家で?ということを考えた本。民主制の中に位置付きつつ国のアイデンティティを保証し、濃淡はあれど中立の調整権力という役目をうまく果たしているから、というのがまあ答えなんでしょうかね。それが21世紀にどうなるのかな、という疑問は開いたまま終わった。

統一感に欠けがちな論文集という体裁に警戒感ばりばりで読み始めましたが、のっけから面白く、えっ誰の本だっけ、あっ水島治郎さんなら面白いはずだ、と納得し、そして著者たちがお互いをちゃんと見ながら作ってくれたおかげで最後まで面白かった。

■水島治郎、君塚直隆編『現代世界の陛下たち―デモクラシーと王室・皇室』、ミネルヴァ書房、2018年。

・各国の君主制や天皇制が、グローバル化の中で共通の課題に直面しており、しかも君主たちは身の振り方についてお互いを参照している可能性が高い
・2016年の天皇「おことば」の前にはオランダ、ベルギー、スペインで退位が成功している。文言もオランダのベアトリクス女王の退位演説と似た箇所がある。ベアトリクスもビデオメッセージだった(cf.日本を扱った原論文は、「おことば」の明仁天皇と昭和天皇を対比し、「国体」とデモクラシーの両立、という点での連続性を見ている)
・イギリス、北欧、ベネルクスは先進的デモクラシー国家でありつつ、本来はデモクラシーの平等主義と相反するはずの立憲君主制を採用している。20世紀を生き残った君主制では、いずれも王室が民主主義、自由主義を積極的に受け入れ、時には擁護者として振る舞うことで国民の支持を調達してきた。「民主化への適応」の可否が王政の存否を決定づけた
・偏狭なナショナリズムから距離を置き、普遍的価値を体現する王室について、進歩派は概して肯定的、右派は不満を感じるという「ねじれ」が起きている。が、まさにこのねじれを生む中道路線が、結果的に「王室の姿勢に共感する進歩派」も「違和感がありつつ王政を否定しない右派」も巻き込んだ幅広い支持の源である

【現代世界の王室】
・2018年現在、世界の王室は28。エリザベス女王が君主を兼ねる英連邦王国を合わせると43カ国が君主制を採っている。これは国際社会では少数派
・だが、日本の天皇が総理や最高裁長官の任命権などを持っているように、各国それぞれ憲法に定められた力を持っている(例外はスウェーデン。ただし外国大使の接受など外交はする)
・国民1人当たりGDPの高い国に君主制がわりと多い。王様たちも富豪。ただしノブレス・オブリージュに従って戦時は戦場に赴き、平時は慈善事業。富と権力を過度に集中させ、デモクラシーや人権を軽視すると、軍部のクーデターや人民革命を招き、生き残りが難しいことが20世紀に示されている。これらの概念の故郷ではない中東であっても同じ

【各国事情】
・イギリス:権利章典で「王権と議会」による統治が明確化。産業革命後は中産階級も政治に参加、総力戦のWWI後には大衆民主政治が本格始動。ジョージ5世は「国父」かつ戦死者の「喪主」に。「公正中立」を貫き労働党政権ともうまくやった
・エリザベス2世は(1)コモンウェルス(旧植民地・自治領)(2)アメリカ(3)ヨーロッパ、といずれも繋がった外交の後見役。ダイアナ事故死以降、メディアと国民の目を意識した”見せる”活動へ転換した。国民の支持を必要とする君主制。また、成典憲法がない国での慣例、あるいは連続性と安定性の体現者としての君主
・君主制はデモクラシーと両立する限りでのみ存続する。代表例が、革命を経て議会政治を先駆的に発展させて高度な政治的成熟を実現したイギリス。君主の「機能的部分」を首相が受け持ち、君主は「尊厳的部分」を担った。貴族はブルジョワとの通婚が進み、議会では国王の暴政と対峙した
*対照的なのは、絶対王権の下で安定した議会制が発展せず、貴族も早くから解放された農民にとって憎悪の対象にしかならなかったフランス。人権、デモクラシーという「理念」に国家の一体性、継続性を担わせるのは結局大変だった。危機を乗り越えるべき強大な権力はそれを目指す政治家たちの闘争を招き、「調整する権力」が出てこない

・スペイン:国王が聖職者にも及ぶ絶対的な王権を及ぼす「国王教権主義」、カタルーニャやバスクの地域ナショナリズム。王朝の交代や外国出身の王など「祖国統一の象徴」にならない王室
・革命と反革命の19世紀、労働組合・軍・政府が対立した不安定な20世紀。内戦からフランコ独裁を経由し、「すべてのスペイン人の王」による君主制(not共和制)+民主制(not独裁制)へ。議会制君主制(1978憲法)。モロッコ、ラテンアメリカなどとの王室外交も。21世紀には王室が大衆化(ZARAやスキャンダル等々…)。しかしどの程度開かれるべきかは課題

・オランダ:安楽死、売春、同性婚の合法化など先端的な民主国家。社会の近代化、民主化を受け入れ、時に先導し高い支持を得る王室。20世紀にはナチ占領に対して英国から鼓舞するなど解放のシンボルに。3人の女王はいずれも生前退位。21世紀には移民・難民政策や反イスラムなどの課題があるが、グローバル人権主義に立った政治的主張がかえって支持を受けた

・ベルギー:1830オランダから独立。北部フランデレン(オランダ語)と南部ワロン(フランス語)の多言語国家で。分裂と対立をいつも内包してきたこともあり、各宗教や階級ごとの政党支配と、政党エリート間の妥協によって安定を維持する、特徴的な「合意型民主主義」が存在(即断即決の多数決型民主主義と対照的な、西欧小国特有の妥協政治)
・君主国に囲まれた状態でオランダからの独立を維持するため「君主国」を選択。憲法で国王を縛っている。が、不安定な国のため、秩序維持という現実的な理由で組閣の際に国王の介入(調整)が許容されている。特に言語に基づいた分裂の危機には、普段は共和制的な政治の中に突然、交渉仲介人として国王が召喚される。おそらく今後続くテロの時代にも

・タイ:大衆の国王敬愛と、それに基づく強大な政治的権威は、プミポン(ラーマ9世、在位1946-2016)の時代に定着したもの。サリット首相(1959就任)が王室・仏教伝統行事を復活させ、国王夫妻の外国訪問も推奨。1973年、学生デモへの発砲で首相を退陣させる政治介入が歓迎され、民主化とともに国王の政治的権威も高まった。クーデタが政権交代の手段として恒常化し、成功して国王が認めれば正統性を得られる。が、認められないと反逆罪
・上記のような政治介入歓迎の基盤は、1966からの数多の行幸(ただし日本と違い離宮滞在型)と民衆の奉迎体験、スピーチ、また国王映画(のちテレビ)を使ったメディア戦略で作られてきたのだろう
・で、現国王のラーマ10世はスキャンダル、SNS取り締まり、国王権限強化の試みなど、国父にはちょっと遠い

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2019年02月03日 23:50に投稿されたエントリーのページです。

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