« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »

2006年09月 アーカイブ

2006年09月30日

Sleipnir


タブブラウザ Sleipnir 公式ページ(上級者向け)

遅まきながら、ブラウザをFirefoxからSleipnirに変更してみました。

■よかった
・Firefoxが使っている描画エンジンGeckoでは見られないサイトがなくなった。デファクトスタンダードのIEエンジンを使っているため。しかもGeckoにもワンクリックで切り替えられる。
・ホント嫌になるほど仕込まれている「新しいウインドウを開く」にハマることがなくなった。全てタブで開いてくれるため。
・いろいろカスタマイズできる。まだあんまりやってないけど。
・プロキシの使い分けがすごく簡単。社貸与のノートPCはLANに繋いだり外で繋いだりするので楽でいい。

■ちょい不満
・なんとなく表示でまごつく局面がある気がする
・「お気に入り」に入っているURLのアタマについているはずの小さいアイコンが表示されないのはなぜ?

「上級者向け」とありますが、いじりたい人にはいじり甲斐がある、そうでもない人はそれなりにいじれる、という意味で、おじいちゃん級の初心者でない限りは使ってよかったと思えるブラウザではないかと思いますです。

*2006.10.15追記

なんか動作が滞るのと、タブの扱いや検索などが馴染まないのでFirefoxに戻しました

2006年09月27日

瑣末で気になること

安倍晋三内閣の発足で、昨日はずいぶんテレビで安倍節を聞いたのですが、この人やたら「しっかり」って言うのね。むちゃくちゃ気になります(と、これを読んだ人もこれから気になりだす危険性が高いのだどうだ思い知ったか)。
どれくらい気になるかというと、食事してるとき、ひとがものを噛む音くらい気になります。

「しっかり」がこんなに多用された文章を見るのってたぶん小学校のころの文集くらい。この言葉は
(1)敢えて使わなくてもよい[例:しっかり進めていく→進めていく でOK]
(2)曖昧[和英辞書にやたら沢山の訳例が載ってる]
(3)音に勢いがある
という、けむに巻く語。だからこの政権はあいまいな言葉で実態を隠蔽しながら国を右旋回に導く危ない政権だとか言う気はありませんけど、特に話し言葉の中では割り切れない印象でいいイメージ持たれないと思うのでやめたほうがいいし、個人的にも気になるからやめてほしいなあと思ったのでありました。

2006年09月21日

アシリチェプノミ

060918ainu.jpg
アイヌの「新しい鮭を迎える儀式」アシリチェプノミを見てきました。これについては素人の私の解説よりもこちらを参照。

天候はあいにくの雨。

2006年09月17日

『整体入門』

■野口晴哉『整体入門』ちくま文庫、2002年。

そういや、〈身体〉ブームっていつの間に去ったのかね。

2004年4月、朝日新聞で見田宗介が「私の野口晴哉」という連載をやったことがありまして、そのときに「誰それ?」と興味を持ってから本を買うまで2年半経ってしまいました。
身体の探求のひとつとしてどうぞ。
そのあと何か読みたいと思ったら、南鄕継正『武道の理論』なんていかがかしら。

2006年09月16日

『丸山眞男』

■苅部直『丸山眞男―リベラリストの肖像』岩波新書、2006年。

大学5年目の2000年、『日本政治思想史研究』を取り上げた授業の中で姜尚中が「丸山眞男という人は、とてもtimidな[憶病な]人だったのではないか」と評していたのがなぜか心に残ってます。

で、この苅部本。仕事解説というよりは評伝、伝記的な読み物として面白く読めました。
戦時体制、学生運動、戦後民主主義へのバックラッシュ、など時代や思想の左右を問わず吹き出す抑圧に対して、普遍的な価値としての自由を対置する―優秀だが辛辣で鼻持ちならない(※)―知識人というイメージ。けれどもそれは戦中に投獄された際、抑圧に屈したというものすごく個人的な原体験に裏打ちされている。この人のもともとの志向は社会の改良ではなく、顔の見える範囲の人たちと心安い関係を結ぶにはどうしたらいいのか、といったミクロなものだったんじゃないかしらん、と思いました。

※三島由紀夫と林房雄が対談の中で丸山を批判したのに対する切り返し「事実上黙殺するだけじゃなくて、軽蔑をもって黙殺すると公言します」はいつか使ってみたいフレーズですな(笑

2006年09月09日

3泊4日ツーリング

20060906sango.jpg
4、5、6、7日と、関東からやってきたバイクの人たち3人とツーリングにいってきました。
彼らは1日に仕事が終わったあと北上を始めて、2日に函館、3日には札幌に到達。
4日からの4日間で富良野・美瑛→宗谷岬→オホーツク沿岸→知床→帯広→札幌と、1500kmほど走りました。夜な夜な宴会、そして食いまくり(腹回りが……)。楽しかった。
写真はオホーツク沿岸、能取湖の珊瑚草(アッケシソウ)。

2006年09月02日

高僧が斬る自殺

気の重い仕事を抜けて紀伊国屋に行くと、新書のコーナーにやけに「自殺」という言葉がタイトルに入ってる本が沢山並べてあってますます気が重くなった次第ですが。

それはいいとして、3年ほど前、ダライ・ラマが日本に来たときに仕事で面会したことを思い出しまして。まあ自分は握手してあいさつして、あとは聞いていただけですが、別の人が雑談の中で「日本では今、年に3万人もの人たちが自殺をしておりまして」と話すと、爺様はカッカッカと哄笑し「日本人は元気過ぎるのだなあ」とひと言、そして次の話題に移ってしまったのでした。

当時は、チベット紛争で夥しい人たちの死に接してきた爺様にとってはたいしたことではないのか、それとも別に輪廻のサイクルに乗っかって別のところで生まれ変わるからたいしたことではないのか、なんて思っていましたが、それは別に「元気である」こととは関係ない。今日は紀伊国屋の新書コーナーでなんでだろうかと考えてました。

自分の生に意味とか意義とかを見いださない人は敢えて生きる必要も感じないのでしょうが、それは裏返せば敢えて死ぬ必要も感じない、今生きているから生き続けるというエネルギーと振幅の小さい人なんだと思います。
反対に、生に執着があって、ことあるごとに意味や意義を追いながら生きている人は、その意義が失われたときに、まさにそれまで蓄えていた位置エネルギーの高さによって自死まで落下してしまうということなんじゃないでしょうか。

どっちが良いとか悪いとかではない、が。成長の時代の勢いをいま持て余している人だけじゃなくて、シニシズムのあとに来たベッタベタのイデオロギーを生きている人も危なくねえか、とか思うのであります。まあこれは余計なこと。

About 2006年09月

2006年09月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2006年08月です。

次のアーカイブは2006年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35