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2005年10月 アーカイブ

2005年10月31日

帰省3日目(最終日)

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実家の実家へ。母と祖父の墓参りをしてから、精養軒(長野県駒ケ根市中央6-12)の出前カツカレーで昼食。今は祖母がひとりで暮らすこの家にもっともっと人が住んでいたころ、思い出せないくらい昔から、盆暮れに親戚が集まったときにとっていたのがこのカツカレーです。名物のソースかつ丼もうまいです。

母親が亡くなったときに抱いた、「こんな思いをするならこの先家族など増やすまい」という思いは3年近く経つ今でも続いていますが、しかしそれを、家族が再び増えることを期待している人たちの前で言うのもまた酷なことなので、今は曖昧な笑顔でかわすばかりです。

折しも先週、一緒にツーリングに行った面々も全員が結婚しない20-40代でしたが、そのなかのお一人が「自分は多趣味を[結婚しない]理由にしている」と話していたのを聞いて、うまいなあと思いました。ダイビングとかバイクとか、確かに時間とお金のかかる趣味のある方です。もう少し時間が経ったらそれ、使わせていただこうかな。

首都高が混んでいたおかげで1時間ほどロスして、5時間ちょいのドライブで帰還です。
米とか下着とかを持たされて帰ってくるあたりが田舎者っぽいね。

2005年10月30日

帰省2日目

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帰省の目的はスーツの採寸です。
前回、採寸したのは確か5年前。もろもろの事情で(笑)だいぶサイズアップしたという実感はありましたが、さて。

…B102,W80,H98

ウエストがだいぶ豪華になってました。胸囲もけっこう伸びていたはず(前回値確認しなかった)、尻は少しだけ。うーん、野郎のスリーサイズのスタンダードなんて知りませんが(あるんか)、これだけ見ると単にデブになったとしかいいようがない…

手順としては、ずらっと並んだ生地から気に入ったものを手に取って受け付けをし、採寸したらお金を払って約1カ月後に出来上がったスーツが届くのを待つというもの。街の仕立屋でこれだけやると10万くらいかかるはずですが、地元の生協が半年に一度くらいやるオーダー会なので4分の1ほどで済むというもの。
かなり深い茶色のものをひとつ、それからほとんど黒の紺系の地に少し細かいチェックが入ったものをひとつ頼んで帰ってまいりました。

2005年10月29日

帰省1日目

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20時に仕事が終わってから帰省の途に就きました。
東関道→首都高→中央道で都合5時間近くの道のりです。

4週続けて雨の土曜日。夜になっても降ったり止んだりの中でしたが、首都高に入ると全く雨に降られることなく走れました。
四輪も二輪もそうですが、長い時間の運転がそんなに苦にならないほうです。いろいろ考える時間に充てられるからかな。
郷里に近づくにつれて、普段は考えなくていいこととか、考えないようにしていることが頭の中に去来してくる。それはそれで辛いことではありますが、こういう時間も必要なのかなと思ったりもします(まあ、今のところはその余の生活に比較的余裕があるからでしょう)。

なんだか昨日から風邪っぽかったので、薬を飲んだりのど飴をなめたりしてやり過ごしてきました。昨日は21時半くらいには就寝。今朝は8時半起きで、さらに職場でも少し仮眠を取れたということは思いのほか身体にキてたんでしょうか。

2005年10月27日

匿名と実名。報道をめぐる古くて新しい問題。

犯罪被害者対策で、内閣府が犯罪被害者等基本計画案(骨子)というのを作っていま議論が進んでいるところです。

このところ報道各社がこの中の「警察による被害者の実名/匿名発表について」の項目を削除するようキャンペーンを張っているんですね。

計画案には、警察発表については「個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」と書いてあります。これだけだとよく分からないんですが、要は「実名発表を原則とはしない」というふうに言えば分かりやすいでしょうか。

■背景:匿名/実名と取材現場の関係

警察の記者クラブに加盟している社には、事件や事故があると警察から紙媒体(手渡しだったりFAX送信だったりする)による発表があります。これには大体、発生場所、日時、当事者(加害者・被害者)の住所・氏名・年齢・職業と、出来事の概要が書いてありますが、本当にざっくりとしたことしか書いてないので、記者は紙を受け取ると警察に電話をしていろいろと質問して記事を書くわけです。

その結果、ちょっと複雑だとか猟奇的だとか色っぽいとか子供が関わるとかいったニュースが大きくなる要素が見つかって、現場に行って細かく情報を集める必要があることが分かると、記者は社やクラブを出て現場や関係者への聞き込みをすることになるんですね。

報道機関の立場からすると、匿名発表をされると、その人の名前はもちろん、住所や職業も伏せられることになるので(住所を発表するとせっかく名前を伏せても住宅地図や現場で割り出されるから)、まずこの聞き込みの作業が極めてやりにくくなる。
情報を一義的に管理するのが警察なので、偶然読者から情報提供があったとか、知り合い関係をたどって割り出せたとか、そういうことがないと、知り合いの警察官に頼んでヒントを貰ったりとか、面倒で不確実情報も混ざるような作業をやることになっちゃう。だから報道は匿名発表に反対するわけです。

一方で、どうしてそもそも実名発表に疑問が投げかけられたかといえば、名前をはじめとする個人情報を報道機関が一斉に知ることで取材が殺到し、ただでさえ犯罪によって精神的ショックを受けている人たちの家の前が中継車やカメラマンでごった返したり、人となりや「ガンクビ」(=顔写真)集めのために記者が近所で自分たちのことを聞いて回ったりといったひどい状況に追い込まれることが多いからでしょう。

計画案どおりに「匿名/実名の判断は警察がその都度判断する」ようになると、やはり匿名発表は増えるでしょう。報道に流す発表文を作るときに、警察はまず被害者に「あなたの名前を公表していいですか」と聞くことがルーティン化する。おそらく「いやです」と言う人がほとんどになる。そうすると「被害者の匿名希望により匿名発表とします」という判断をせざるをえなくなる。これを押し切って発表すると警察自身が被害者から責められることになって面倒だからですね。

■「匿名反対」の論理はやっぱり弱い

さて。
日本新聞協会は計画案に反対する意見書を出しました。以下転載。

  犯罪被害者等基本計画案(骨子)に対する意見書

 警察による被害者の実名発表、匿名発表について、「個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」としている、Ⅱの第2の2「安全の確保」中の(2)のエ項に、日本新聞協会は反対し、削除を求める。被害者は実名で発表されなければならない、とわれわれは考えるからである。

 実名のない被害者は、その存在さえ容易には確認できず、本人や周辺からの取材もできない。確認できない事柄を無責任に報道することはできない。われわれが実名発表を求める理由はここに尽きる。事件や事故を正確に、客観的に取材、検証し、報道するために、実名は欠かせないのである。

 発表された被害者の実名をそのまま報道するかどうか、これはまたまったく別の問題である。被害者の安全にかかわる場合はもちろん、プライバシー侵害や何らかの二次被害のおそれがある場合は、当然、匿名で報道する。被害者から要望があれば被害者と誠実に話し合い、警察が被害者の声を仲介する場合は警察と真摯(しんし)に協議する。

 被害者の実名は、この社会で現に起きた事実の核をなす情報である。それを国民に知らせるか知らせないか、警察に最終判断を任せていいのだろうか。われわれは、警察に限らず行政当局が、国民にかかわる情報を、随意にコントロールする社会に不安を覚える。

 事件・事故の報道は、広く社会全体でその悲しみや怒りを共有し、社会が一体となって背景にある原因を考え、再発防止、根絶に向け取り組むために必要なものだと信じる。その使命を果たすために、報道に起因する諸問題については、報道機関が自主的、自律的に判断し、結果の責任もまた正面から引き受ける。われわれは、これまでもそうあろうと努めてきたし、今後もさらに努力を重ねたいと考えている。

 犯罪被害者等基本計画は、被害者に対する主として行政の対応を網羅したものと、われわれは理解している。しかし、事件・事故の発表という行為は、一方にマスコミという当事者があり、行政だけでは完結しない。さらに、被害者対策と国民の知る権利という異なる公益にまたがる問題でもある。この項目が行政の犯罪被害者対策という文脈で一方的に取り上げられていることに、強い違和感がある。

 実名・匿名発表については、これまでもわれわれは警察と何年にもわたり議論を重ねており、今後も協議を続けたいと考えている。この際、基本計画からはこの項目を削除し、そうした場に論議を委ねるよう求める。

しかしどうにも新聞協会の側に分が悪い。

まず「実名発表と実名報道は別。実名報道するかどうかは報道側に任せるべき」というんですが…
確かに実名発表と実名報道は別です。実名で報道機関に発表されても、報道機関が匿名で報道することは論理的にはあるでしょう。しかし、

(1)現状で報道機関の多くは実名報道を原則としているので、実名発表と実名報道は事実上ほぼイコールです。原則を外れる判断=匿名とする判断には相当の根拠付けがいりますが、原則に沿った判断=実名とする判断には熟考はいりません(だって原則なんだから)。報道機関の側としては「原則匿名」をまず掲げない限り「実名発表と実名報道は別」というのはちょっと詐欺くさい。

(1’)あと、上の意見書には「実名発表」と「実名報道」の間にある「実名に基づいた取材」自体が引き起こす迷惑(上で述べたような)というのに言及がないですね。

(2)そもそも報道に任せてきたことで弊害が出ているために、こんな項目が必要になっているのだから、報道機関側は「いや、自分たちを信じて任せろ」と言うだけでは何も主張したことにならない。

また、匿名では当事者へのアクセスが制限されてしまい、事実確認ができない。「確認できない事柄を無責任に報道することはできない」というんですが、一方で事件報道では被疑者の供述は警察が発表する”間接情報”を、弁護士に確認することなどほとんどないまま鵜呑みにして「容疑を認めているという」と書いたりしている、この不均衡がある以上、説得力はないですね。

実名がないと、「記事の事実性(=ほんとなんですよ、この話!という説得力)」が失せるというのもどうか。(そもそも「事実性」みたいな検証も反証もできない概念は使わないほうがいいと思う。けどまあそれは不問にしたとしても、)記事で大切なのは個人名なのか、それとも事件の流れを詳細に書くことなのか。性犯罪などは実名で報道するかわりに被害者に配慮してレイプの事実をものすごくぼかして書くのと、被害者に配慮して匿名にした上で鬼畜のような犯罪事実を書くのと、どっちが「事実性」とか「社会に対する訴求力」を保っているかを考えてみるといいと思う。

ずっと議論されてきたこの実名/匿名の問題ですが、確かに最近の各紙は、問題の残る取材・報道のあとは、有識者を入れて取材過程の検証をしたりといったことに紙面を割くなどだいぶ改善する姿勢を見せていますね。そんな流れの中で、今回の計画案で改善への努力を水の泡にされたくない、というのは分かります。が、逆にこういう計画案が出てきた時点で負けている、という見方もできるのかな。

全体として、今回新聞協会が出した意見書は、社員教育で記者たちの使命感を鼓舞するための内向きな論理ばかりが書いてあって、現状に不満を持っている一般の人たちを説得するような外向きの論理を全然提示していない印象を受けました。たぶん現場を離れた「編集幹部」たちは本気で「報道被害者」=会社秩序の外の人たちと向き合って、それでも実名報道がいいんだと説得する機会などほとんどないからなんじゃないかな。

「他社が報道してるのにどうしてうちはやらないんだ」的な横並び主義とか、「現場にニュース判断なんか求めてない。デスクが言ったことをちゃんとやれ」的なガチガチ上意下達型の組織をどうにかしないと、たとえ今回この項目が削除されたとしても、早晩同じことの繰り返しになるだろうと思います。

■でも「匿名」ではコストもかかることは承知しないと

さて一方で、百害あっても一利あったりもするのが報道。
システムを大きく変えるような大事故(日航機、福知山線事故など…)があったとき、その何周年などの節目で「人」に焦点を当てた記事を出し続けることで教訓を思い出させ続けるということは報道ができる貢献のひとつでしょう。
それから、警察や検察が被害者に不当な扱いをしたりした場合(長野の連続殺人で被害者家族が疑いをかけられたときなど…)に、警察や検察が隠したがるような事実を被害者から直接聞いて問題点をえぐり出すこともできるでしょう。

匿名発表が主流になれば、こうした被害者たちへのアクセスを前提とした記事というのは圧倒的に書きにくくなるわけだから、被害者たちが何か社会に対して投げかけたいことがあった時は、自らネットで発信したり、自分から報道機関に投書したりといった能動性を発揮しないといけないことになります。

報道機関から自分たちの領域に踏み込まれるリスクはカットできても、今度は自分たちから声を上げるというコストを引き受けざるを得ないことになる。匿名社会に必然的についてくるコストなんだと思います。気の強い人はそれでもそのコストを払うでしょう、しかしそうでない人の泣き寝入りも相当発生するでしょうが。
(「匿名社会」一般でも、名簿を作らないとか公的機関が照会に応じないとか、いろんな面倒=コストが増大するんですが、それは応用問題なので割愛…)

それでも匿名化の流れがいい、ということを社会の成員の多くが思うなら、もう報道機関は社会を啓蒙するとか説得するとかいう傲慢はやめて、一緒にその流れに乗ったほうがいいのかもしれない。

誰でもアクセスできるネット上の情報の蓄積が今はあって、ひとたび個人情報が報道で流れると、それがネットで晒されたり、あることないこと書かれて「こんな奴は被害に逢って当然」みたいなことを書かれたりする。公開された被害者の情報がさらに犯罪に利用される。そういう技術と社会の変容もよく考慮して議論を組み立てないとだめだろうなあ、と思います。

あーあ、長くてわけわかんなくなった…

2005年10月26日

谷川温泉

会社関係の集まりがあって、25日から1泊で群馬県の谷川温泉に行って来ました。
上野から上越新幹線に乗って「上毛高原」駅で下車。そこから水上温泉駅まで連絡バスに乗って20分、さらにタクシーで10分で到着です。
なんかついこの間の週末もこの手前まで来た覚えがあるんだが…
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今年は暖かくて朝晩の気温が下がらないせいか、山の色もまだ地味めな感じで、紅葉の盛りまでにはあと1週間くらいは待たなければならないのかなという感じ。谷川岳も雪が積もっている様子はありません。何日か前には少し雪が降ったようですが、日中にはもう解けて無くなってしまっていた様子。

山に囲まれて育った(盆地育ち。山育ちではないw)せいか、山が視界に入っているとどういうわけか落ち着くものです。

2005年10月23日

長野ツーリング(2日目)

明けて22日。心配された雨は朝までに止んでいましたが、北上すると雨雲がありそうなので南下しビーナスラインを目指すことになりました。朝飯もかなりのボリュームです。豚の角煮、ベーコンエッグのチーズ載せ、味付けのり、わかさぎの甘露煮、ごはん等々。新米がおいしくておかわりしてしまいました。宿の若旦那以下みんな太めなのがわかる気がするなあ…。
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飯山を通って長野市に出て、途中のセルフスタンドで給油。道端の林檎並木はもう実が赤くなっていました。どんどん天気は回復して青空が広がります。
須坂のコンビニで一息入れてから菅平、上田を抜けて美ヶ原へ。

ぐんぐん高度を上げていきます。道が狭くて観光バスとカーブで鉢合わせるとぶつかりそうになるほど。
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頂上近くにある白樺の林の中で写真タイムです。
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ちょっと上がると高原美術館。遙か松本盆地まで見通せる眺望に息をのみました。
ビーナスラインは見張らしもよく快適な山道。紅葉もきれいです。遙か向こうにはうっすら雪をいただいた富士山も見えました。
17時。昼飯は長門町の「利休庵」。ここの名物はうずたかくそそり立ったかき揚げ天や、爆盛の天丼。
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…ですが自分は黒天せいろ。黒天は、そば粉で揚げたてんぷらです。山菜や海老はからっと揚がっていて食感サクサク。手打ちのそばもなかなかでした。
日没。諏訪市に出て甲州街道から中央道へ。八ケ岳PAでちょっと休んだあと、談合坂SAまで一気走り。みんなでひとしきり喋ったあと、21時には解散。ここから150kmで自宅。23時すぎに帰り着きました。

寝床にばったり倒れ込んで就寝。

翌日は朝からばたばた仕事して、帰り道にスーパーで買い物しているときにふと、「バイクや仲間との出会いがなかったら、人生はどれだけ退屈だっただろう」としみじみ感じました。
20代、30代、40代の、過ごしてきた人生も職業も違う人たちが色恋とかいろいろ面倒なこと抜きでバイクという一つの趣味でつながって一緒に旅し、飲み会をやって大騒ぎできるってとても素敵なことです。照れくさいので言葉にはしないけど、ありがとうありがとうと念波を送るばかりです。

2005年10月22日

長野ツーリング(1日目)

22日(土)、23日(日)と長野県方面にツーリングに行ってきました。いつものメンバー13人で、ほとんどが30代半ば以降の人たちです。

05:45、自宅出発。成田から利根川沿いに柏まで出て、常磐道→外環道→関越道、で集合場所の関越道高坂SAには10分前の07:50到着。
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前の週末が土日とも雨降りだったせいか、車もバイクも多いですね。でもなんか空模様が怪しい…

榛名湖で一休み。
昼飯は川原湯温泉で岩魚の塩焼き、黍ご飯と煮込みうどん。旬のキノコの香りが。もう何年かするとダムの底に沈んでしまうんだそうです。
志賀・草津道路へ。雨が本格的に降ってきました。途中の渋峠(2172m)の気温は摂氏1度!
奥志賀林道に入り、夕暮れの山麓を野沢温泉へ。山道には霧。ヘルメットのシールドは閉めておくと曇るので全開。雨があられに変わって鼻から下にバシバシ当たって痛い。だいぶ高度が落ちてきたころ、村の明かりがはるか下のほうに見えた。「わあああ文明の光!」と走りながら感動。寒さも少し和らいで宿まで一気走り。
宿は街なかにある「ペンション魚安」。同じ建物の中でスーパーもやっているところです。宿の人の愛想がすごくいいのと、ご飯がおいしいので大満足でした。
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夕飯はステーキ、刺身、カニ、フカヒレ、つぶ貝、サザエのワサビ和え、野沢菜ごはん、野沢菜の漬物、フルーツ。すごい!
宿の近くにある公共温泉に行きました。無料!硫黄の匂いの強い温泉で、外はかなり寒かったのに宿までの帰路は体がぽかぽかしてました。
夜はみんなで宴会。酒は入りましたがまるで修学旅行のように楽しく騒ぎました。

2005年10月20日

ピアノを見る視点

もうクソ眠い思いをしながらもあいかわらずショパンコンクールの実況中継を見てるわけです。今週は週末にバイク仲間とツーリングに行くので早寝早起きの生活を送る予定だったのに…。まあいいや。

昨日から本選が行われていて、特に今日はイム・ドンヒョク(韓国、1984-)が出ているので一度は見ておかねばならないというわけで、こんな時間まで起きているわけです。
以前、彼がN響と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をNHKで見て、こいつぁすげえと思って以来注目してました。若いんだけど何か既に雰囲気を纏っているのと、技巧系のピアニストの中でも頭一つ抜けているので、CDで聴くよりも映像で楽しむべき人なのではないかと思います。

といって特に彼の場合は表情豊かなので、
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こんなアングルのショットでも全く飽きさせません。情感こめるところなんか梅干し食いましたか、みたいな皺とか、ほとんどオルガスムみたいな表情を見せてくれます。
NHKなんかはこの、ピアノのフタの方向からピアニストの正面を捉えるカットを多用するんだけど、これは手もとが全く見えないので、普通は手もとが気になる人(多くはピアノ弾き)から歓迎されないはず。恍惚の表情が画になると思ってるとしたらNHKのスイッチャーはよほど音楽の素養がない。

んじゃあ、どこのアングルがいいかというと
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これですね。やや背後で斜め上からのショット。右手と左手がかぶらずに見られるのと、鍵盤のフタの表面がツルツルしているおかげで左右の手の鏡像まで見えるのがよい。練習室なんかでひとが弾いているのを見守る視点ともいえる。
さらに本選のカメラワークでは
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こういうアングルもあります。これは実際会場にいる、S席(あるのかどうか知らないけど)に座っている人の視点に近いですね。ステージ下から見上げるアングル。これも実はけっこう指の動きが見える好位置といえましょう。動きよりも音を楽しみたい人はもうちょっとステージ向かって右寄りのほうに行くんでしょうけど。

さて、本選に出場した12人のうち、協奏曲の1番を選んだのが10人、2番が2人。抑揚がより豊かな1番がコンサート向きだということなのかもしれませんが、イムは2番を選んでました。
100のテクニックを持っている人が100要求される曲を弾くのと、150のテクニックを持っている人が100要求される曲を弾くのでは安定感と、当然見ているほうの安心感が違います。さすが別格扱いのピアニストだけあって(というかロン・ティボーで優勝しておきながらこの上何で称号が欲しいのかしらん)出てきてから引っ込むまでが堂に入ってましたです。はい。

2005年10月16日

明けて日曜日

雨。寝坊。昼過ぎまで朝刊とってくるの忘れてた。最近新聞おもしろくないので…
職場で主要な新聞は全部とっているので、ほぼ毎日目を通してますが(「読んでる」というほど一生懸命目を通してない)、紙面と会社のカラー含めこんな印象↓

■朝日:中央省庁・ただし左。ニュースは俺が決めるという独特のプライドがしつこいが、方向性はともかく優秀な記者は優秀。紙面はまさにメリハリで、大きい(と朝日が思った)ニュースは大展開、ほかはつきあい程度。特集・文化・国際面はけっこう面白いと思う。チラシ多いのはさすが。求人情報充実。ネット中心に展開する会員制の「アスパラクラブ」の今後に注目。

■毎日:自営業。社是ってのがなさそうなので、ニュース判断で「おや?」という時もあるが、個々の記者のポテンシャルは高いと思う。給料安いせいか会社のために仕事してる感じがないのはさすが。遺跡捏造のスクープは、つまんない事件の抜き合いに汲々とする業界に喝を入れたはず(別にそれで業界が変わったわけではなさそうだけど)。署名記事のリーダー。営業しとるんかしら。

■読売:軍隊。他社が書いた記事はほぼカバーするので網羅性が高い。事件・事故に強い→当局との関係が深い→右寄りということかなあ。制度(マクロ)からものを語る傾向が強い気がする。この点個人(ミクロ)をフィーチャーする他の新聞とずいぶん違う。記者が多いので瞬発力あり。チラシ多い。広告多い。拡張員は怖い。

■東京(中日):野次馬。なんといっても特報面の高出力。何かあった次の日には裏読みした特集(浅く広く!)を載せてくるのがすごい。この2面だけ週刊誌。あとはサンデー版の折り込み特集。教材に使えそうなビジュアルのうまさあり。逆に言うと他は特に読むべきところなし。実は朝日より左かもと思ってます。安い。

■産経:おっさん。暇なら朝日と併読すると楽しいと思う。オピニオン紙だけあって、生ニュースでは実現しない抜きネタも掲載する(笑)。低価格設定とか、朝刊紙化とか、ネット配信といった、営業面で見るべきものが多い。警察、自衛隊、拉致、東アジア外交に興味があれば。現場記者はふつうの人。

■日経:専門家。経済はもちろん、産業に繋がる学問(法学、経済学、工学あたりかしらん)にも力が入ってる。経済関係の面以外はスペースが限られているので、淡々と必要なことだけだが、実はこれが一番親切なのでは。「うちはまず日経にリークすることになっている」という企業もあるらしい。

新聞は何見ても書いてることは一緒なんていうけど、結構違うもんです。テレビやネットに押されて斜陽産業になってしまいましたが、どうやって生き残りを図っていくんでしょうか。

2005年10月15日

普通の土曜日

■昼過ぎに食材を買い込んだのに、午後はウダウダしてるうちに晩くなって腹が減ってきたので、近所のサイゼリヤへ行ってしまいました。
いつものように冷たいパンプキンスープとハッシュドビーフ(だっけか)。注文してから、今日届いたETCカードの説明書を読もうと思って懐から取り出して目を落としたとたんに料理が2品とも運ばれてきて笑った。
当然レンジで温めただけなんだろうけど、ターメリックライスなんてもう平べったい直方体の塊なの。ほぐさないと自然に盛った形にならない。こういう気取らないところが憎めないのであった。648円。

■帰ってきて、目下2次予選が進んでいる「第15回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール」のストリーミング放送をPCで見てたら、辻井伸行さん(1988-)の演奏を放送中。全盲のピアニストとして既に名も売れステージも数多くこなしている人ですが、とても正確な演奏をしていました。客席の拍手が鳴りやまずに4回も手を引かれて舞台に戻って頭を下げていました。
目が見えないのにスゴイ、という評価の是非についてはもう古い議論なのでしょうが、まああまり深く考えずに

(1)審査員は、コンクールの審査基準に「ピアニストが盲目の場合の優遇措置」なんてない(だろう)から、「盲目なのに巧く弾けた」ってことで加点しちゃダメ(「音楽性を競う」という明確な目的と評価方法が用意された・公的な場での作法)
(2)一方で聴衆が「盲目なのにすごいなあ」と盲目分の下駄を履かせて感動するのは勝手(個人の内面の自由)

という二本立ての、当たり前っちゃ当たり前の姿勢でいけばいいんでねえかと思います(こういうのがフェアな態度として受け入れられていたからこそ前回2000年のコンクールでは同じく全盲の梯剛之さんが(1)2次予選で落選しながらも、(2)”ワルシャワ市長”賞をとったんだと考えたらだめかしら)。

こういう考え方の足下がグラッと揺らぐのは、(1)について「コンクールの審査基準に『ピアニストが盲目の場合の優遇措置』を盛り込むかどうか」が問題になるような局面が来たときかな。

・盲目であることは明らかにピアノ演奏には不利(音がポンポン跳ぶ場合、厳しい)なので、その分の下駄を履かせてもいいという考え方もあるでしょう(「下駄をどうやって数値化するか、とか、足に障碍があってペダルが踏めない人がエントリーしたらどうするか、という別の問題がでてきちゃうけど)
・一方で、「コンクール入賞→名声→その後の営業(コンサートとか教職)にプラス」というコンクールの機能面を考えると、盲目のピアニストは既に独自の市場を持っている点でそうでない人より有利なので、特にコンクールで優遇する必要なし、という考え方もあるでしょう(話がコンクールの外に出ちゃっていいのか、という別の問題がでてきちゃうけど)

個人的には、ものごとの決まりはシンプルなほうがいいと思うので、下駄は不要と思ってます。

■あとひとつ、何かクッダラナイことを書こうと思ってたんだけど、上のことを無い頭で考えてるうちにどっか流れていっちゃいました。

2005年10月14日

マナーとその周辺

仕事終わってから、いろいろとモヤモヤしたままプールへ。
長距離泳ぐ人たちはひとつのコースを右側通行で回遊するんですが、

・明らかに遅いオッサンが、自分がコースの端に着く直前に出発する(すぐ追いついちゃってペースが乱れる)
・コースの端でストレッチする(ターンの時に邪魔)
・自分のすぐ後ろにつく(ターンの時に危ない)
・平泳ぎのキックが異様に横に広がる(蹴られそう)
・クラゲ並みに遅い(遅い人用コースに行ってくれないかな)

といった迷惑行為がなぜか今日は集中してて、リフレッシュするはずがだいぶイライラしてしまいました。
別にどこに書いてあるわけでもない「マナー」の部類ですが、水泳教室などでちゃんと先生について習ったことがなければ気付かないことかもしれませんね。

敬語の使い方くらいは学校で教えてくれますが、年上の人と乾杯するときに自分のグラスのほうが上にあって気を悪くされたりといった経験をしてみると「どっかに使い勝手のいいマナー本ないかのう」と思います。
人生の達人たちは「それは気遣いの問題で、できる奴はどんな場面でも応用できるんだ」といった何の解決にもならないアドバイスを下さるのでしょうが、まあそれでは救いがない。「マニュアル人間」が批判されますが、普遍的な知性なり行動文法については、身につけるのに試行錯誤しても効率が悪いだけなので、先人の智慧を書き残しておくことは大いに必要なんですよ、やっぱり。

と、周回数を数える(400mくらい一気泳ぎしようとすると、時々「今250m!」などと思い出さないと途中でわかんなくなるので)傍らそんなことを考えていて、泳ぎ終わってみたら案外リフレッシュしてました。
アタマの中の靄を吹き払うのにアタマの中で工夫しててもだめですね。

2005年10月12日

針路

夕飯は和食のコースでごっつぁんでした。エライ人と一緒だったから写真は撮れず。

全国異動のある会社に勤めていて、1カ所あたり2-3年が相場のところ、自分は年度末がくると今の職場に丸3年になるので、今日は上司から「どこへ行きたいんだ」と聴かれてしまいました。
東京か、札幌。
東京だといろいろ便利だから。
札幌はまあ楽しそう。たとえ叶わなくても、忙しくてギスギスしてて毎年何人かはアタマがおかしくなる大阪とか名古屋とかに行かないために、希望地のベクトルだけでも北に向けておくため。
なんとなく南より北に惹かれるというのもある。

明日は休みのはずだったのが、忙しい他職場のカバーを振られて終日勤務になりました。くっそ、たかがサラリーマンがそんなに働いてどうすんだよう(というのは働いてから言うものだ、とつっこまれる前につっこんどく)。

2005年10月10日

散財の効用(2)

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新宿のOSHMAN'SでCHUMSというメーカーの帽子と、CHAMPIONのフルジップパーカを買ってしまいました。

帽子はなんとなくいつも買ってしまうんだけど、実はあまりかぶらない(笑)。バイクに乗るときにヘルメットで変なふうにぺったんこになった髪の毛を隠すくらいです。

パーカはワンポイントだけのすごくシンプルなやつですが、暖かいので関東なら一冬着られるかも。

結局8、9、10の3連休は全て出勤になってしまったので、金曜日を休みにして買い物に行ってきたのが効きました。寒いのでさっそくパーカ着て近所を歩いてます。

★今日の悟り★
まあしかし、究極の服飾は生身の身体で、「何を着るか」ではなく「誰が着るか」なのでありましょう。

○オムライス再挑戦

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前に作ったときに、ちょっとケチャップが多すぎてご飯がべちゃっとしてしまったので、今回は少なめにしたら、ポロポロな感じで非常にうまかったです。具はハムでも味が出るけど、ソーセージもなかなか歯触りがいいですね。
たいめいけん」のようにボリュームのある卵焼きはプロに任せるとして、自分で作るなら卵1個で作る薄焼きのほうが扱いやすいことが分かりました。

つけあわせはほうれん草のソテー。マーガリンを引いておいて炒め、塩・胡椒加えるだけです。一束でも食えるくらいのかさになります。

失敗は上にかけるソースがちょっと水っぽかったこと。ケチャップ+中濃ソース+残り物の白ワインで作ってみたけど、ワインがちょっと多かったかも。75点。

2005年10月08日

散財の効用(1)

タワレコでCD3枚。

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■Concertos from Spain (DECCA 476 2971)
Alicia de Larrocha (p)
London Philharmonic Orchestra, Royal Philharmonic Orchestra

ラローチャのピアノで聴く、スペイン出身の作曲家たちのピアノ協奏曲集。
個人的には、モンサルヴァーチェ(Xavier Montsalvatge, 1912-2002)の「ピアノと管弦楽のための短い協奏曲」(Concerto Breve for Piano & Orchestra, 1953. breveの訳はこれでいいんだろうか?)がなかなかいいなあと思いました。

この人の名前を知ったのは恥ずかしながら今日初めて。ライナーノートによれば「生涯バルセロナとのつながりを保ち続け」「フランスの作曲家、ストラヴィンスキー、のちには西インド諸島やアフリカの音楽にも惹かれた」人だということです。確かに民族的な匂いとか愁いを帯びつつ、ポピュラーっぽい旋律も顔を覗かせたりもする、肉厚な曲だと思います。あと、ラローチャのピアノも体重が乗ってるのに綺麗でいいですね。1977年録音。持っておくと楽しい一枚。

ほかに買ったのは
■The Romantic Piano Concerto -38 (hyperion CDA67508)
Xaver Scharwenka "Piano Concerto No.1"
Anton Rubinstein "Piano Concerto No.4"
Marc-Andre Hamelin (p)
Michael Stern (cond.), BBC Scottish S.O.

録音のやり方のせいかどうか知りませんが、アムランのピアノってコロコロよく転がるんだけど何かキラキラしないんだよね。曲は技巧系の弩・ロマンです、ハイ。またそのうち聴きましょ。これは好みで。

■Tchaikovsky "Piano Concerto No.1" (OTAKEN)
Vladimir Horowitz (p)
George Szell (cond.), N.Y. Philharmonic S.O.

ホロヴィッツのチャイコフスキー、ピアノ協奏曲・爆演版(1953)。ノイズ少なくて音質はいいです。ただ客席の咳がちょっと以上に気になります(1月のライヴだから風邪っぴきがいたのか)。演奏はアスリート的!六大学野球の応援ブラバンみたいな(笑)。オケもよくついていっているのう、と感心。でも緩徐楽章もなかなか雰囲気ありますよ。
フィナーレではもう客席が耐えられなくて「あ、あっ、イく!」みたいな感じで、最終音に拍手がかぶさるように沸き起こってます。すみませんお下劣で。聴く価値あり。

2005年10月07日

もう休んでやる!

 …その実、仕事を休んでやる!といって突発的に休んだのではなく、先月から入れていた休みでございました。寝坊して10時半起床。

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 昨日買ったなめこと豆腐で味噌汁。久しぶりに味噌汁煮ました。長ネギ買っておけばよかったな。あとは納豆とキムチと、それからこれも昨日買った中辛塩の鮭の切り身と胡麻昆布。持ちのいい食品だけど新しいのはやっぱりおいしいね。作って、食ってるうちに正午になったのでこれを昼食とする。

 今日は午後から東京へ。9月後半から仕事の都合で地元に縛り付けられていたのでいろいろ買いたいものができていたのでした。買い物については別稿にて。

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 夕飯は新宿2丁目にある「長崎亭」という小さなお店のちゃんぽん(600円)。安価で野菜もとれて、化学調味料の味がしないので時々お世話になっています。本場のちゃんぽんを食べたことがないので自分には真偽はわかりませんが、このお店を教えてくれた方によると本場の味なんだそうです。

 とまあ、食ったものの記録ばかりでいいのかしらん、と思っていたらドクター中松こと中松義郎氏がイグ・ノーベル賞を獲得したんだそうで。その理由というのが「35年間に渡り自分の食事を撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析したことに対して」(出典は上記リンクのWikipedia)というので勇気づけられるじゃないですか!いやブログとは何の関係もないけどさ。

 帰ってきたら日付変わってましたが、一応7日の日記ということでこのエントリーのアップロード時間を少しいじってあります。

2005年10月06日

うたた寝

宿直明けの今日は職場が修羅場になっていて、上司は真っ赤な顔して嘔吐(えず)いてるし、同僚は焦点の定まらない目で駆けずり回ってるしで、しかし一応その仕事からは部外者の自分は、職場にちょこんと座って留守番とか雑用をしていたわけですが。

16時すぎにやっと解放されて、お気に入りのカレー屋で晩い昼食。それから帰り着いてウダウダして、18時くらいにちょっとベッドで横になったらそのまま4時間寝ちゃった!今夜、眠れるかなあ…
そうはいっても何か食べるってもんでしょう、とサプリメントと蜜柑とソーセージをつまんでこれから真夜中の食料品買い出しに出かけるところ。冷蔵庫に牛乳ないんだもの。

■カレー屋「POT
いわゆる欧風カレーな見た目、カレーはもちろんうまいが、ご飯もうまい。午後3時4時でもおいしい昼食を食べたいときの第一候補。

★今日の格言★
修羅場で辛くないためには当事者意識を捨てるべし

2005年10月05日

低調につき

 夕方始まりの泊まり勤務なので朝寝。誰かがピンポン押すけど無視。11時くらいに起き出して新聞受け見たら郵便局から預かり票2枚。でも待ちに待っていた荷物じゃないので明日郵便局に取りに行ってこよう。

 9月の半ばに申し込んだイオンのクレジット付きETCカードが約束の「約3週間」経っても一向に届かないので電話でイオンクレジットに問い合わせしたら「シティバンクは取り扱えないので書類が止まってました」だと。「もう一度取り扱い金融機関を明示した書類をお送りいたしますがよろしかったですか?」と短いセンテンスに数カ所ツッコミ所のある対応をなさったので、一通り言いたいことを言わせていただき、至急扱いで1週間で発行してもらうことになりました。
 ハイウェイカードが先月販売終了になってしまったので、とうとうETC導入に踏み切った次第です。バイクでも使えるから実はもっと早く使い始めていればよかったんですが。
 意外に知られていないけど、イオンのETCカードはVISAが選べるし年会費タダだし買い物でも便利だしでかなりいいのではと思っとるのです。

 普段行っているジムが休みなので、泊まり勤務の職場(普段の職場とは30km離れています)近くの、会社が契約してるルネサンスに行ってみたら、以前は社員証をフロントで見せて名前を書けば使えたのが、システムが変わっていて「会員証作って下さい」と言われ30分書類作り。ハンコも顔写真も持ってねえよなんでこんなに手間かかんだよと無言の抗議(表情で語る)。でも年度初めくらいにシステム変わる旨の社内通知見たことを思い出し恥じ入りました。対応の兄さんごめんよ。

 さて、今夜は規定の時間(午前2時)より早く寝ちゃおうかなっ

イオンカードネットブランチ

★今日の特別報告★
ダイエットのためビール酵母飲んでた同僚が痛風になりますた

久しぶりに焼酎など飲みながら

仕事先のKさん(56)と二人で夕飯食べてきました。

カウンターで食べる和食のコース。写真撮ろうと思ったけどさすがに仕事絡みなので自粛。久しぶりに複雑な味の料理食べました。
秋刀魚に小麦粉をまぶして焼き、腸(わた)を入れたちょっと苦みのある洋風のソースをかけたのと、しめ鯖の寿司を利尻昆布の炊いたので包んだやつが特に気に入りました。あと、鯛の刺身にもろみや酒をかけたの。まあ全て美味しかったってことですが。

飲んだのは不二才(ぶにせ)という鹿児島の芋焼酎をロックで。酒飲みではないので味とか蘊蓄とかよくわかりませんが、かなり香りの強いお酒でした。最初はそのせいでちょっと料理と一緒にだと勿体なかったかなと思ったけど、氷が解けて薄まったらかなりいい感じに。お店も気に入ってもらえたようでよかったよかった。

      *      *      *

人づきあいはno ruleが面白いといわれればまあその通りですけど、あえていうならguidelineぐらいあってもいいかなと思って、折に触れて思い出しては実行してます。

(1)一手目は相手のためになる行動をする
(2)二手目以降は、相手が二回連続で自分に嫌なことをしたら復讐する
それ以外の場合は相手のためになる行動をする

↑こいつのタネは、「囚人のジレンマゲーム(複数回)」におけるtit for two tats(堪忍袋)戦略。強力さで有名なtit for tat(しっぺ返し)戦略の調整版ですけど、ハァ?って方と、言いたいことは分かるけど呆れたって方はまあ軽ぅく流して下さい…

要は相手がいい人ならこちらもいい人でいよう、相手が悪い人ならこちらも悪い人のように振る舞ってもいいよな、ってのがシンプルなtit for tatですが、自分が採りたいと思っているのは、一度嫌なことがあったからといって反射的に目くじら立てないでもう一度様子を見てみようというtit for two tat。
相手が本当に悪意の人なのに自分はいい人を続けてバカを見る可能性もあるのでtit for two tatは「堪忍袋」というより、損に鈍感な「お人好し」といってもいいのかもしれません。
が、なんか自分はこっちのほうが好きだし、実際に対人関係で行き違いがあってもこういうふうに行動して結果的に危機を乗り越えたことも何度かあるんですよね。

そんなこんなで仲良くしてもらっている人と楽しいお酒を飲んだ夜でした。

■「惣旬懐石 はないちもんめ」富里市七栄
 場所は結構わかりにくいかも。フレンドリーなご夫婦がやってらっしゃいます。
■松原望『社会を読みとく数理トレーニング―計量社会科学入門』東京大学出版会、2004年。
 とりあえずこの辺から。あとは社会心理学方面でも文献があったはず。

2005年10月03日

Nさん

会社のNさんが膵臓癌で亡くなりました。48歳。
何度か仕事上交差したことがあります。人によっては「細かい」だの「的はずれ」だのといった悪口も聞こえてきましたが、不思議と自分は嫌な思いをした記憶はなくて、むしろ新人のころには「お前のことは心配してない」と言われたり、褒めてもらったこともあった気がします。
今年の初めに海外の災害現場に出かけたときは、帰国報告の電話を会社にかけたらNさんが出て「いい仕事をありがとう」だなんて言われました。仕事で言葉を交わすことがあったにせよそんなことを言う人だと思っていなかったので、嬉しいより先に「おや?」と不思議に思いました。最晩期まで病気のことは隠して仕事をしていたということは今日知りました。全く正確なところはわかりませんが、このときには既に診断が出ていたんでしょうか?「なんかNさんがいい人になってましたよ」と周りの人に冗談めかして吹聴しながら、不自然な感じもしていたものです。

Nさんが(病気のことを隠しながら)7月に昇進したり、9月には仕事上の一大イベントを仕切ったりしていたことを自分は知っていたので、今日いきなり入ってきた訃報に、最初同姓の別人かと疑ったほどでした。
お互い会社のつきあいの中の、それも結構遠い関係だったのに、なぜか今日はNさんのことが何度かフラッシュバックする。前触れもなくぷつっと命が消えるという普段ない出来事に触発されて、久しぶりに「死」のことについて考えたからかもしれません。

癌。助かる確率は最近上がっているそうですが、あいかわらず耳にする訃報の多くがこの病気によるものであることに変わりはありません。
事故死のような「瞬間的な死」と違って、癌のように根治が困難な病気は、それが発覚した瞬間から「緩慢な死」が始まるといえないでしょうか。狼狽したり、道連れを求めたり、写真の整理を始めたり、いろんなところへ旅行したり、自分の半生を記録として残したり、いつも通り(いつも以上に)仕事をしたり。自分の生が有限であるという、当たり前のことなのに健康で生きているときには意識もしないことを自覚し、自分の行動様式を変化させるということが「緩慢な死」を生きることなんだと思います。
そう、たとえ病気になどかかっていなくても、ある普通の瞬間にふと、自分の生の有限さに思いを馳せることがあれば、それもまた「緩慢な死」を生きていることになる。だいたい誰しも生まれた瞬間から死に始めているわけだし。
ではその「緩慢な死」を意識したとき、自分はどう行動するのか?全く想像つきません。
そして明日はまた普通に仕事をするわけですが。

2005年10月02日

書いてる人より

■書いてる人のこと

1977年生まれ。男。文系学士。会社勤め。未婚。
なりたいものはよき生活者。
視点は高めに(もちたい)、腰は低めに(したい)。

■このサイトについて

考えたこと、食べたもの、行ったところ、などについての記録です。
その意図するところは3つ。
(1)備忘録―これはblogタイトルのとおりです。去年の今頃、何をしていたか。あの本の面白いところはどこだったか。豚丼のタレはどうやって作るのだったか。などを適宜思い出すために、思い出させられるために。
(2)淡々とした記述の集積によって、自分というものの総体(傾向)をじょじょに浮かび上がらせること。
(3)生きているなかで起きることを報告する先としての、そしてそこからこちらを見返す、そしてそれがあるために自分が生きていけるところの、他者としてのblog。

エントリーあたりの文字量は、通常は1画面(≒高さ768ピクセル)程度に収めようと思ってます。そのあたりが読む気になる限界かなと思いますので。

*作成時間が「23:59」になっているのは、その日のことを後日書いたことを示しています。

(一部改変:2005.10.27, 2006.1.15, 2006.11.5, 2007.2.25, 2008.2.1, 2008.3.30, 2008.10.19, 2009.5.2, 2010.1.12)

はまぐり

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地元の行きつけの飲み屋さんに久しぶりに立ち寄りました。
店のすぐ外で炭火を熾して、でっかい蛤を焼いていました。
鹿島でとれた蛤。流通経路は明らかにはされませんでしたが(笑)。

醤油をたらして食べるだけ。海を食べている気分になります。
うまかった。

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