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溺れる/救われる

■レーヴィ, P. 『溺れるものと救われるもの』(竹山博英訳)朝日新聞出版,2014年.

アウシュヴィッツから生還し、その後40年余を生き続けて1987年に自殺したプリーモ・レーヴィが死の前年に出版した本です。日本では2000年に翻訳が出て、今般選書に入りました。
ラーゲル(強制収容所)の記憶と、時代を下るとともに現れる記憶の歪み、そして人々の認知の歪みに向き合い、その体験をいくつかの主題に結実させ、それをエピソードとともに差し出した。誰にも、いつの時代にも起こり得ることとして。

ユダヤ人を抹殺するとともに、その記録と記憶を抹殺しようとしていたさなかでも、完璧にそれを遂行することはできていなかった。とすれば、同時代のドイツにラーゲルの実態が広く共有されなかったのは、SSだけではなく、目と耳と口を塞いだ多くの一般人の責任でもある。戦後40年の間に、その事実は振り返ることが可能になる程度に蓄積したが、同時に直接の経験者は次々と世を去り、共有された記憶もまた砂のようにこぼれ落ちていく。(序文)

虐待者の記憶は時間が経つほどに構築される。命令された、仕方なかった。そして被虐待者の記憶も時間とともに薄れ、あいまいになる。それどころか、事が起きている最中にも認知は曲がる―「戦争はもうすぐ終わる」「ポーランドのパルチザンが収容所を解放し始めている」(1 虐待の記憶)

ラーゲルに存在したのは迫害者と犠牲者の単純な分割ではなかった。そこには「灰色の領域」があった。到着したばかりの「新入り」を殴るのは古参の仲間=生き残るために特権を求め、それを得た囚人=当局への協力者で、ラーゲルの中には複雑な構造があった。それは全体主義社会の縮図だった。その極北が「特別部隊(ゾンダーコマンドス)」として選抜されたユダヤ人を中心とする囚人たちで、十分な食事を与えるかわりに死体の髪を切り、金歯を抜き、荷物をより分け、死体を焼く任務を遂行した。しかしその秘密を外に持ち出さないよう、彼ら自身も数ヶ月のうちに殺された。任務を分有しながら犠牲者となる、灰色の領域の住人。彼らが置かれた状態こそが真正の「命令による強制の状態」であり、ナチが法廷で主張した「命令された」という言辞のぬるさをあぶり出すのだ。ポーランドはウーチのゲットーで議長として君臨し、ドイツに取り入り、やはりガス室に消えたハイム・ルムコフスキもまた灰色の領域の人だった。しかし「自らのもろい部分を権力に絡め取られることはない」と確信することなど、私たちのうちの誰にできるのだろうか?(2 灰色の領域)

戦争の終わり、隷属状態からの解放。しかし、それが苦痛からの解放となるとは限らない。生き残った中には「恥辱感」を抱いた人がいた。収容所の中では動物のように暮らしており、動物は自殺をしなかった。生きることに忙しかった。しかし解放後には耐え難い反省の時期が訪れた。命と引き替えにではあったが、できたはずの抵抗をせず、仲間との連帯を放棄し、自分の生存に集中した。誰かの犠牲と引き替えに今、生きているのかもしれない。不可逆的に消耗した「回教徒(ムーゼルマン)」という隠語で呼ばれた人たちも、抵抗の闘士も、生き残って語るべき人たちこそが帰ってこなかった。(3 恥辱)

収容所には、ドイツ語を知らないイタリアのユダヤ人がいた。ドイツ語で発せられるSSの命令が理解できない、生きる糧をどうやって得たらいいか分からない、殴られないように知っておくべき規則を理解できない。したがって、どこから危険が降ってくるかも予測できない。意思疎通ができないことは、生命維持にとってはマイナスに働いた。隠語、イディッシュ語、ゲーテのとは違った卑俗なドイツ語が飛び交い、収容所ごとに言葉の体系ができていた。収容所と別の収容所の間は隔てられ、群島のようだった。そして、その外にいる家族や祖国からは切り離されていた。既にそれらが存在しない人もいた。(4 意思疎通)

侵略や戦争といった目的達成のための暴力と違う、「無益な暴力」が収容所を支配していた。老人、病人を問わず詰め込み、水も便所も供給しないまま行われた鉄道移送。人間から尊厳を奪い、獣に変身させる排泄の強制や禁止、剃毛、スプーンを使わずスープを「なめさせる」こと、病人や死人までも整列させて行う点呼、入れ墨、科学的に意味のない人体実験。できるだけ大きな苦痛と卑しめを伴った死を強制する。その遺灰や遺髪は産業利用に供される。(5 無益な暴力)

「理解しようとするな」というラーゲルの教えと、理解しようとする教養の齟齬。信仰を持つ者の強靱さと、ラーゲルの邪悪さを目の当たりにして無信仰を強めた著者および哲学者のジャン・アメリー。(6 アウシュヴィッツの知識人)

アウシュヴィッツを生き延び、そのことを語る者に、いつも問いかけられること。
「なぜ脱走しなかったのですか」――しかし戦争捕虜と違って、寒さと飢えと病気と暴力によって体力を奪われ、灰色の領域の住人たちや一人の逃亡で引き起こされる混乱を恐れた同輩たちからの監視の中にあり、脱走して匿われる場所もないのに?
「なぜ反乱を起こさなかったのですか」――実際に反乱は起き、そしてほとんど成功しなかった。また、多くの人たちは究極的な抑圧の中で消耗しきっており、反乱を起こすことができなかった。
「なぜラーゲルに連れてこられるような事態になる前に逃げなかったのですか」――当時のヨーロッパは現在と違い、外国は遠いところであり、移住には費用やつてが必要だった。そしてヨーロッパのユダヤ主義は定住的で、家庭的な道徳律を持っていた。何より、不安な推測は現実になるまでできないものである。今だって核爆弾と第三次世界大戦の危機はないといえるだろうか。なぜ影響の及ばなそうな南太平洋の国々にあらかじめ私たちは逃げ出さないのだろうか?(7 ステレオタイプ)

1947年に出版した『アウシュヴィッツは終わらない』のドイツ語訳に対して、40通ほどの手紙が寄せられた。命令されたから仕方なく従った、一部の指導者が引き起こしたことだ。しかし、その政権は投票によって選ばれており、「鬼畜なやつら」と「騙されたわれわれ」の区別はできない。迫害を実行したのは「悪い教育」を受けただけの普通の人々だった。そして暴力はその後も常に世界のここかしこにある。何世代かを経て、マイナーチェンジを施したアドルフ・ヒトラーが現れる可能性はある。警戒は続けなければならない。(8 ドイツ人からの手紙、結論)

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■町田康『パンク侍、斬られて候』角川書店,2006年.

職場の人に貸してもらった本。
風刺と見ることもできるけど、そんなことは気にせず酸鼻などんちゃん騒ぎを楽しめばいいんだと思う!

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最近の買い物、二つ。

(1)ソニーのノイズキャンセリングイヤホン、MDR-NWBT20N。
2年ほど使った先代が断線したので買いました。通勤電車に地下部分があるので、ノイズキャンセリング機能は必須なのです。Bluetoothを搭載していて、しかも手許で再生/停止、早送り/巻き戻しができるので、iPodをカバンの中に入れたままにできるのが、使ってみて気付いた大変便利な点です。

(2)東京西川の敷き布団AIR 01。
いつからか覚えてないくらい昔から使っていた敷き布団を何となく取り替えたくなって、どうせならということで、ちょっと高いやつを買ってみました。
ウレタンでできてます。なんかぼこぼこ山がいっぱいついてるスポンジの上に寝てる感じ。ネットの口コミでは[腰痛が治った」「途中で起きなくなった」など絶賛が相次いでいますが、そういえば弊管理人はもともとそんなに運動器や睡眠に問題を抱えていたわけではないので、あまり実感はないかも。
それより今は体が慣れようとしている段階と感じます。ウレタンの臭いも気になるといえば気になる。評価はもうちょっと経ってからかなあ。

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3連休は真ん中の日に働いてしまい、連休ではなくなりました。
その内容についてはいろいろ言いたいこともありますが、言ってもしょうがないので沈黙。
それより、そろそろ夏休みのことを考えるのだ。

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2014年07月21日 20:55に投稿されたエントリーのページです。

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