« Nokishita | メイン | 分析哲学講義 »

偶然の科学

■ダンカン・ワッツ(青木創訳)『偶然の科学』早川書房、2012年。
Watts, Duncan, Everything is Obvious: Once You Know the Answer, Crown Business, 2011.

それにしてもどうして、社会科学は社会のことを予測できないのだろう。
というのが、弊管理人の抱いている素朴で根強い疑問でありました。

「なんかおもしろそう」で特に内容も知らず古本購入した本書ですけれども、偶然にもこの疑問に共鳴してくれているような内容で、面白く読みました。

条件を統制して何回も行える実験や、比較的パターン化して何回も起こる出来事と違って、社会のことは大抵は条件を統制できず、成り立ちが複雑で、しかも歴史上に一回しか起きない。
何かが起きたあとにそれがなぜ起きたかを後付けで説明するときでさえ、起きなかったことと比較したりするのは困難なので「それが起きたのはそれが起きる条件が揃っていたからだ」というほとんど当たり前のことしか言えないことが多い。過去に起きたことをうまく説明できたとしても、それが未来に当てはまる保証がない。未来を予測しようにも、何が予測に値いする重要事項か(いつからいつの間に起こる何を予測したらいいのか)は事前に分からない。予測すべきことが分かったとして、ミクロのレベルのわずかな違いがマクロのレベルのとんでもない差を生んだり、予測したこと自体が結果に影響して予測が確定できなくなったり。とどのつまり生成していくのは「偶然起きたこと」と、それを追いかける「そう当てにならない後知恵」―。

で、じゃあどうすればいいかというと、今起きていることを測定し→対応すること。つまり現場に分け入って、よく調べて、その変化に迅速に対応するということだという。このアプローチをとっている衣料品小売のZARAの例。そして、ツイッターだのフェイスブックだのと、ネットでのデータ蓄積が進んできた近年だからこそ可能になった、膨大な情報の収集と解析。この技術状況は、測定だけでなく、低コストでサンプル数の多い「サイバースペース上で行う実験」さえ可能にしつつある。そこで得られる知識というのはすべてを支配する法則ではないが、少なくとも些末な個別の事象の記述よりは包括的な「(時間的にも空間的にも)中くらいの範囲が説明できる理論」なのかもしれない。そしてそのようなものであっても、ぼくたちがとらわれがちで、よく間違ってもいる「常識」を手放す道具になってくれるのかもしれない。

ダンカン・ワッツは1971年オーストラリア生まれ。理論応用力学で博士号。「スモールワールド現象」(世間は狭いって話)に関する研究で脚光を浴びた。コロンビア大学社会学部教授。

※訳、いいです!

About

2012年04月18日 23:21に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「Nokishita」です。

次の投稿は「分析哲学講義」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35