2006年08月21日
モラトリアム人間
・学生である間が就職までのモラトリアム(猶予期間)なのだとか、独身の間が結婚までのモラトリアムなのだとかいうのは、
・そういう客観的なモラトリアムという期間があるわけではなくて、
・ある期間をモラトリアムと感じてしまう/モラトリアムにしてしまうという、ある種の人の性質によるのだと思いました。
旅行の計画を立てているほうが旅行するより楽しい。
いつまで経っても自分の進む道が決まらない。
可能性に頼りすぎているのかもしれないですね。
投稿者 b-men : 2006年08月21日 23:48
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://sbb.flop.jp/mt/mt-tb.cgi/139
コメント
少なくとも「ある期間」であるためには、終了可能性が見積もられてないとダメなんじゃなかろうか。
人生が(死までの)モラトリアムという極論はありだし、けっこう共感を覚えますが。
投稿者 e-com : 2006年08月22日 16:14
終了が仮定されてるのに、いつまでたっても迎えない/認めない/さっと次のモラトリアムに入るところにモラトリアム体質のミソがあると思うのやね。
投稿者 管理人 : 2006年08月22日 22:41
どんな形の「終了」が仮定されてるん?自分は今、全然仮定されてないかも凹
「終了」を仮定しない「モラトリアム」の時代なのかもしれないが。
投稿者 e-com : 2006年08月23日 00:37
いやそんな具体的なアレじゃなくて
「いつかは終わるん-だろう-けどさ」
というくらいの終了可能性よ。
投稿者 管理人 : 2006年08月23日 22:32
じゃあその「だろう」と思えるのもモラトリアム体質の要件だわな。
投稿者 e-com : 2006年08月24日 03:56