2006年02月18日
神風協奏曲
■大澤壽人:ピアノ協奏曲 第3番 変イ長調「神風協奏曲」/交響曲 第3番 (8.557416)
ライナーノートによれば、大澤壽人(おおざわ・ひさと)は1907年神戸生まれ、53年に脳出血で死去。関西学院を卒業したあと30年にはアメリカに渡ってボストン大などで音楽を勉強し、その間にナチスドイツを逃れたシェーンベルクの授業も受けたようです。ここで日本人として初めてボストン響を振っているんですね(へえぇ)。さらに34年にはフランスに移り、36年に日本に戻っています。
当時の日本と西洋の音楽レベルのギャップもあり、戦中の日本ではあまり評価はされなかったようですが、戦後はラジオ番組をプロデュースして自作曲の発表やドビュッシー、ラヴェル、ファリャ、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、プーランク、ヒンデミットなどの紹介も行うほか、神戸女学院で教えるなどしていたそうです。死後急速に忘れられた作曲家であったとのこと。
で、神風協奏曲ですが、これは38年作曲。戦争とは関係なく、当時の飛行機の名前で、つまり飛行機に対して献呈されたというんですね。
プロペラのようにくるくる回るテーマが次第に上昇していく、まさに飛行機そのものを描いたような第1楽章は、なんとなくプロコフィエフのピアノ協奏曲第1番を連想するものがあります(なんとなくね)。でも「"当時の日本人"にしてはよく猿真似できてますね」というようなレベルではなくて、後期ロマン派あたりの作曲家が書いたといわれれば「あ、そうなんだ」と思えるくらいの「聴けるコンチェルト」です。で、着陸して終わる(笑)
第2楽章は一転してガーシュウィン。どゆわけかジャジーな緩徐楽章です。でもこういう西洋の伝統的な音楽の流れからちょっと外れたスキマみたいなところに「日本的な音楽」が浸潤する余地を見つけたんじゃないか、という気もするんですよ。
第3楽章になるとまた飛行機とんでます。
最後に拍子が変わったかと思うと急速にテンポが上がってそのまま飛び去ってしまうんですが、ここがとても心地よいです。カプースチンもいくつかの曲でそういう終わらせ方をしてますけど、なんだか「ああ、いっちゃった」という余韻と郷愁を喚起するんですね、意外に。
投稿者 b-men : 2006年02月18日 23:17
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