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2006年01月01日
年末年始と霧散
南関東で根のない定住生活が始まって10年目。年に3、4日しか体験しないものだから山間の故郷の冬は年々厳しく感じられます。昼間でも氷点を超えない外に出ると、服の上からでも冷たい空気が浸潤してくる。
圧雪が敷いた急な上り坂に注意深くクルマを走らせながら父の実家をまわると、80過ぎても農業をやっている祖父母が居間で正月の餅の準備をしてました。離れて住む伯父が「年寄りはテレビの字幕が見づらいら」と送ってきた巨大な液晶テレビが、古民家の居間に鎮座している、そのギャップがおかしい。外では刺すように冷たい空気の中に輪切りの大根が干してあります。
つきたての餅と、自家製の干し柿を持たせてもらって辞しました。「嫁は来んのか」と祖父。ひ孫の顔、見たいよねえ。”適齢期”まっただ中だし。
母方の実家=うちの本家(父親が養子なので)では85歳の祖母がひとりで暮らしていて、ときどき伯母が付き添っています。昔は12月31日の「お歳取り」には祖父母とうちの一家4人、伯母といとこの8人が集まって賑々しくご飯を食べたものですが、今年は5人。
家族が増えるのを期待してか、「彼女はいないの」と聞かれます。うん、おらんねえ、と返事。父は「そのうちここに帰ってくるんらか」と呟きました。そんな気がするねえ、と答えました。うん、本当にそんな気がした。
***
年末年始は暖かい部屋の中で、久しぶりの親戚ととりとめもない話をするだけの平和な何日間を過ごしました。
そんななかのある瞬間に、ひゅっと「今、ここ」の視点から退いて来し方行く末の長い時間のなかに着地すると、これから新しいメンバーは増えず、既存のメンバーが老いていく一方のこの家族親戚の未来が見通せてしまってなんともいえない気分になります。
年末の日記に書いたのは、「今、ここ」が辛いときにその視点から退いて長い時間のなかに自分を置いてしまうと悲しい思いが霧散するということでしたが、今度は逆に「今、ここ」が平和でもふとその視点から退いて長い時間のなかに自分を置いてしまうとcozyな楽しい思いが霧散するという…
さて、もう何年したらこの家に戻ってくるんでしょう。そろそろそんな計画をアタマの片隅に置いておく時期なのかな。いやまだか。
投稿者 b-men : 2006年01月01日 21:40
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