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2005年12月07日

さようなら、さようなら

ちょっと前から、去年9月以来やっていない遺書の改訂をしてます。
別に死ぬ気もないし死ぬとも思ってないけど、自分の歳だといざ死ぬときは周りの人にさようならを言う間もないケースだろうと思うので、
(1)情緒的なこと
(2)実務的なこと
の二つを書いておこうという気になったわけですね。

意図する/しないに関わらず故人に嫌な思いをさせてしまった人は、生き続ける限り謝罪や赦しを得る機会をなくしてしまうだけに、死ぬほうとしても人間関係の清算は案外責任重大だと思います。自分の美学としては、近しい人たちに向けては「ありがとう、色々あったけど思い返せば出会えてよかった」と言い残して逝きたい。まあなかなかそう思いがたい人もいるかもしれないけど、やっぱりここは頑張って「ありがとう」方向に気持ちを向けておくべきで。これが(1)のメインの内容ですね。
あとは特に書き漏らしがないように。「お世話になりました」系とか特にですねw
逆に密かに好きだった人に「好きでした」と言うかどうかは微妙なところだな。

(2)は残務整理の労を減らすためのもの。独り暮らしが長いと家族でさえも知らない自分の生活というのが随分大きくなるので、見てほしくないものとか、逆にもろもろの手続きに必要な書類がどこを見ると発見できるかとか、さらに自分が死んだことを誰に伝えてほしいとか、葬儀や埋葬は寺や関係者と軋轢を生まない程度に質素にしてくれとか(「散骨してくれ」とかイレギュラーなこと言うと案外遺族の手間が増える)いったことを書き残しておくわけ。

(a)自分が死んだあとの世界などどうなろうと関係ない
(b)そもそも自分が死んだあとに世界などない
という考え方もそれはそれでアリでしょうが、自分の場合はずいぶん世界からお世話になっていると思うので(a)とは思いにくいし、(b)はいざ自分が死んだあとにも世界が存続していた場合に手の打ちようがないので、生きているうちにできる用意はしておこうと思った次第です。

しかし実際始めてみると案外遺漏が多いような気がして、いつ終わるのかねこの作業、って感じになってきてしまいました。いつのまにか年賀状作りにかまけてしまいそうな気もします、が!

投稿者 b-men : 2005年12月07日 23:58

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