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2000年05月30日

さて、5月20日に駒場で行われたシンポジウム「三国人発言を考える」についての感想をここに書いたものか、それとも「風景の消費生活」に書いたものかと迷いましたが、やっぱりここに書きます。こういう後味の悪さが一時的な「浮かされた」感情によるもので、「ハハハ、こんなことも考えてたんだねえ」と笑えるようになんとかなりたいという願望もあるため。

4月にあった石原慎太郎の「三国人」発言を受けて(にしちゃ遅すぎるが)、足立信彦・小熊英二・小森陽一・高橋哲哉・趙景達と東大へ来ている留学生(韓国人)と学生代表がパネラーとして迎えられ、義江彰男氏の司会で「石原知事の発言を学問的に批判しよう」(たぶん)という意図のもとに雨降りの土曜日に4時間も話し合いをやりました。

確かに、「三国人」という言葉の誤用とか、石原慎太郎という政治家の特徴についての分析(小熊氏)や、発言内容よりも/だけでなく、そのデマゴギー性に注目した分析(高橋氏・足立氏)は聞いていてなるほどなあ、と思ったし勉強になりました。しかしながらシンポジウムに対する僕の印象が「イケてないなあ」になってしまった事情は、次のようなところです。

とにかく最悪だったのは、学生発表者のオカシサで、留学生の発表者は既にテレビで石原慎太郎が「バカだねぇ、短絡的だよ」と笑って看過した「石原=ヒトラー図式」(ちなみに「江沢民=ヒトラー図式」を後日石原が自分で言ってるのがまたタリなさそうで微笑ましい)を鸚鵡返し的に持ち出してきて、おやおやと思っていたら「だから石原はだめなんです」で終わってしまった。これは、留学生の側の無知でないとすれば、論理による論争を放棄した鈍感さが原因だと思うのですが、なぜ僕がそんな評し方をするかというと、明らかにこれはシンポジウムの意図から外れる水掛け論にしかならないからです。

それからまた重症だと思ったのは、工学部の大学院生で不法滞在外国人支援団体のメンバーだという日本人学生の発表で、ハンドアウトとして「外国人犯罪の増加」を裏付けるデータを配った。えっ、こんなデータ出して不利にならないの!?と驚いていたら「確かに数字の上では外国人犯罪は増えてます、でも、日本人の犯罪も増えてるし、この数字に含まれてるのは軽微な犯罪も多いんです」とのたまった。
主に高橋哲哉さんがまとめた「歴史修正主義のパターン」というのがあるんですが(たとえば『ナショナル・ヒストリーを超えて』東大出版会、を参照。これもあんまり面白くない本だけど)、たとえばナチを擁護したり日本のアジア侵略を擁護する人達=歴史修正主義者(リヴィジョナリスト)は、こういうことを言うといいます。曰く「ソ連はナチより大きな悪を犯した」「連合国側の帝国主義は日本の支配より悪だった」「全てのナチス党員/大日本帝国軍人が大悪人だったわけではない」、つまり「俺より悪いことしてる奴もいる」「軽微な罪も多いんだ」ということ…あれれ、この日本人学生の言い分ていうのは、そのまま歴史修正主義者が<悪>とされている人達を擁護する論理に写し取れるのじゃないか?歴史修正主義をとるべき焦点をぼかすものだとして批判する高橋氏の横で、パネラーとしてよく臆面もなくこんなこと言えるなあと観客席で笑ってました。

さて、折しも姜尚中氏がサンデー毎日で石原氏に公開質問状を出したところ(雑談だけど、姜尚中という人間は授業を半分も無断ですっぽかすなど教師としては最低最悪ですが、それ以外の仕事はかなりしっかりやってます)で、このシンポジウムも成果をどうにかして世に出すのだろうと思っていたら、どうやらその気はないらしい。
案の定質疑応答で早速「ここでお話されたようなことをどうするつもりでしょう?」という質問が出たけれども、回答ははっきりいって惨憺たるもの。高橋氏は「やはりこういう場を機会に勉強を重ねていくことが重要です」小森氏も同調。小熊氏も「これでまた反対意見を公開してぶつけても大衆を味方につけてる石原を増長させるだけだから、慎重にやらんといけません」ということ。
なるほど、石原氏がデマゴーグであるという認識まではいったとしても、そこでアカデミズムの側が対抗デマゴーグになるのか、それともまた別の良策があるのか、についてはぜーんぜん考えが及んでいなかったようです。不用意に石原氏と同じ土俵に上らないというのは、相手が無視してもいいような(無視したほうがいいような)相手である場合には無駄な労力を省くということで有効な手段ではあるにせよ、ポピュリスト政治家として世論をガッチリ掴んだ(まあ大部分は無関心層だろう、という小熊氏の指摘はあたってると思いますが)石原の土俵下から本人に聞こえないように野次を飛ばすだけでは、「批判をした」事実さえもがその存在を怪しまれることになりはしないでしょうか?あの4時間は1313教室という狭いコップの中の嵐だった、そしてそれにパネラーたちは大満足、というのはあまりにもショボい。

「政治集会にしたくない」というコンセプトが「論理的で冷静な批判を展開する」ことではなく「象牙の塔の中でオナニーしてハアよかったね」状態のエクスキューズとして使われたことにガックリきてしまった(そして1週間たってもまだガックリきてる)のが、今回この読みにくーい長文を書いた理由でした。

(20000530)

[石原氏のいわゆる「三国人発言」がけっこう話題になってた頃。あれこれ議論することが議論のための議論にであることとか、「正しい目的」のために間違った方法論を省みない活動家ふうの人たちに苛立ってました、そういえば。―2006/6/29]

投稿者 b-men : 2000年05月30日 00:00

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