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ウズベキスタン(2)

【8/25】

朝は6時台に起きて朝飯前に散歩してみます。ひんやり涼しい。高原の朝のさらにからっとしたやつ。

ヒヴァは中心部の古い街(イチャン・カラ)が城壁で囲まれていて、東西南北に門があります。ホテルはむかしのメインゲートだった西門のすぐ前にありますので、まずは城壁の外側を南門まで回って、そこから中に入ります。外はこんな感じ。
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中は世界遺産で、お店やモスク(お寺)、メドレセ(神学校)、博物館などがありますが、住んでいる人も結構います。何かの税金が免除されているそうで、住んでいる人は既得権としてずっと住み続ける傾向があるとのこと。
外に置いたベッドでお休みの方もいました。外のほうが気持ちいいよね。わかる。
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朝が早くてほとんど誰も歩いていないので、写真を撮りながら自由に歩けました。
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3日目に観光するはずだったシンボル的な建物の一つ、カルタ・ミナル(「短い塔」、26m)もうっかり見てしまいました。朝のほうが埃が少ないし、光線の関係できれいに見える気がする。
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西門から出てホテルに戻ります。

朝食はビュッフェ。揚げ物が多いです。カラスムギのおかゆにカリンやプラムのジャムを入れて食べるのがおいしかった。これはヒヴァの名物らしい。
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スイカとメロンの季節だそう。外側が黄色くて果肉が白いメロンが甘いです。ガイドさんによると「スイカを食べて水をたくさん飲むとおなかを壊す」というのが昔からの教えらしく、紅茶を飲めとアドバイスを受けました。確かに水分の多いスイカと冷たい水はだめでしょう。しかしそれ以上に、脂っこいものとスイカ、メロンの食い合わせが悪いためではないかと思います。豚の代わりにジャガイモが入った餃子、牛のハム、チーズなどどれもおいしいんですけど。
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旅全般にいえますが、食べ終わったお皿を下げるのがすごく速いです。なんならちょっと途中のやつも持っていこうとする。ホテルの人は「オイシカッタ?」といって皿を持っていきますが、これはおいしかったかを聞いているのではなく、たぶんFinish?というのの訳として誰かが教えたのでは。

さて、きょうはバスで1時間余り、ウズベキスタンの中にある自治共和国、カラカルパクスタンに入ります。
どこよ?と思いますが、ここだ。西部にあって、ほとんどがキジルクム(「赤い土」)砂漠。

このあたりはBC500年からAD500年くらいまで農業が盛んに行われていて、もともと遊牧や漁業をやっていたカラカルパク(カラカルパク語で「黒い帽子」)の人たちも16世紀の文献には出てくるそう。ソ連が民族自決の理念に基づいて「民族」とその地理的境界を画定したときに「カラカルパク族」が創出され、自治領域になり→カラカルパク自治共和国(1932)→ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク・ソヴィエト自治社会主義共和国(1936)→カラカルパクスタン共和国(1992)になった。
首都はヌクスで、憲法や国旗もありますが、外交はやってないそうです。
憲法にも「カラカルパクスタン国民は同時にウズベキスタン国民である」とされています。(『60章』p.31)

とりあえずヒヴァに戻りましょう。

バスの車窓からは綿の畑が見えます。
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ソ連時代は綿花の一大供給地で、かなりモノカルチャー化も進んだようです。しかしガイドさんによると、綿花の生産は減っていて、代わりに果物が増えているとのこと。道路沿いの家の前にも畑があり、それぞれの家で消費する作物を作っています。油をとるためにひまわりを植えている家もあります。10人前後の大家族が多いので家も大きい。部屋も大きいんだって。
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1991年の独立以来、25年も大統領を務めて2016年9月に死去したイスラム・カリモフ政権下では毎年政策スローガンを決めており、2009年が「田舎をきれいに」だったそうです。国の主導で住宅建設が進められ、同じ形の新しい家が道沿いに並んでます。
ガイドさんは「地方を重視してくれたおかげで田舎が発展した」などずいぶんカリモフ氏を持ち上げていましたが、反対派の弾圧、反体制ジャーナリストの投獄など、国際的には批判もあった人物です。国家認定のガイドなので宣伝を担っているのか、国内と国外の視点がかなり違うということなのか、よくわかりませんでした。
ちなみに、ガイドは日本人添乗員ではなく現地人がやること、という決まりがいくつかの国であるようです。観光客にテキトーなことを吹き込むな、という政策でしょうか。
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道ばたにはスイカやメロンを売る人たちがそこここに。

ウズベキスタンに生えている植物の2割は固有種。「ジダ」というナツメのような実をつけるものが目につきます。この実は生活習慣病に効くとのこと。
ちなみに、こちらで多いのは糖尿病。甘いもの好きが多く、お茶まで甘いせいではないかと。
さらに心臓病。これは綿花の油を使ったり牛肉をたくさん食べたりするせいか。さらに高血圧も。出生時平均余命は2010年代でも70歳超くらい。日本は2017年で84歳(孫引きですが『60章』p.204)。医療、衛生の水準はもう一つのよう。
がんは少ないという。これは人口が若いせいでしょうね。
(余談ですが、最終日にタシケントで乗った地下鉄のエスカレーターもめっちゃ速い。若い国はエスカレーターが速いという弊管理人理論の傍証)
牛肉をよく食べるそうで、1キロ35000スム(500円)くらい。次に安いのが羊で45000スム(650円くらい)。魚は川魚、高い。65000スム(900円以上)。

ガイドさんのウズベク紹介は続きます。

ヒヴァはむかしホレズム王国と呼ばれていた地域。ゾロアスター教発祥の地でもあるとのこと。イランがそうだと思っている人も多いが、ゾロアスターがイランに行ったのは40歳になってからで、聖典アヴェスターに出てくる地名の7割は今のウズベキスタンに存在する。

ちなみにゾロアスターは「ザラ(金。金で飾ったラクダやひもを使っていた)トゥシュ(古ウズベク語で火)トラ」。
アヴェスターは「100以上の法令」の意味。ロシア語でも100はストウで符合します。アヴェスター30巻のうち現存は4巻のみ。
アフラマズダはアフラ(神)マズ(知恵)ダ(創造者)。今でもクルミの実のことをマズという。脳に似ているからかな。

アヴェスターによると、ゾロアスター教の目的は3つ。
 1)よいことを伝える
 2)よいことをする(助けあう)
 3)よいことを考える

宗教はもう残っていないが、文化は残っています。しかも、8世紀以降、本格的にイスラーム化した後も、それと気づかれないまま人々が実践していることが多いという。例えば、

・家には右足から入る。これは今、モスクでもそう教えられる
・扉の上に唐辛子をぶら下げる。これは唐辛子=火(←拝火教だからね)、魔除けとして
・動物を善悪にグルーピングする考え方も残っている。善いのはハリネズミ(軍隊を連想させるらしい)、山羊や羊(角を魔除けにする)、蛇(頭がいいらしい。ゆりかごの中、赤ちゃんの寝るクッションの下に蛇の皮を挟んでお守りにすることもある)。逆に悪は「犬」。意外ですが、危ない野犬を敵視したのではないかと

ちなみに鳥葬は、イスラームが入ってくる前の7世紀末まで行われていたそうです。
「赤」い肉に罪が集積していると考え、鳥に食べて取り除いてもらった。骨の「白」だけになると完了、骨は骨壺みたいな入れ物に入れて、通常はもとの住居の近くに埋葬された。農民は農具、女性は手鏡などゆかりの品といっしょに。
平等主義なので、生前、悪人であっても鳥葬はしてもらえるんですと。今はイスラームなので土葬だが、ホレズムは地下に埋めると水が豊富なのでお墓に水が入り、流れてしまうため、地上にかまぼこみたいなお墓を作り、しかも団地みたいに積み重ねていく。
こちらはヒヴァの城内にあるお墓「パフラヴァン・マフムド廟」の写真です。
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13世紀のめっちゃ強いレスラーのお墓が一番でかいやつで、それに憧れて「俺も一緒に眠りたい」と廟を建てた19世紀?の王様を含め、いろんな人があやかってお墓を作ったらこうなった。

話、戻ります。
ドップ(ドッピ?、模様の入った黒い四角い帽子)にもゾロアスター教の意匠が残っています。
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唐辛子に見える絵が描かれていますが、実は鳥の羽。動物と人間の偶像を禁止したイスラムに対して「いや、これは植物です」と言い逃れをするため。

こんな調子でバスの中ではずっとお話が続きます。カラカルパクスタンとの境界にある検問が見えてきました。撮影だめなのでちょっと手前から。
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難なく通り抜けてカラカルパクスタン自治共和国に入りました。
6月から乾期で、10月くらいまで続くそうです。
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アムダリヤ(アム川)を超えます。
アム川はパミール高原から1415km続き、昔はアラル海に注いでいたが今はそうではないそう。ウズベキスタンのもう一つの主要な川はシルダリヤ(シル川=白い川)。

砂漠に多いのはタマリスクという紫色の草です。
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18歳から徴兵制があるが、行軍のときにタマリスクのお茶を飲ませることが多いんだって。

ちなみに「スタン」はペルシア語で「場所」。紀元前6世紀までサク人、サゲット人がいたが、アケメネス朝に攻められて混ざった。その頃からある言葉。(※この文の内容は「ガイドさんがそう言った」以上の証拠が見つかっていません)

隣はタジキスタンで、いまはビザがいらないのでいっぱい入ってくるそうです。ガイドさんの息子の空手の試合にも結構見かけたそう。トルクメニスタンはガスが無料の国として有名。「地獄の門」というガスクレーターが観光名所になっています。

さあて、やっと着きました。最初の観光スポット、トプラク・カラ。
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1938年、トルストフが発掘し「トプラク(粘土)・カラ(城)」と命名。ホレズム王国にあった1~5世紀(※ネットには前1~後6世紀という記述もあり)の城塞都市です。
高さ10m前後の三重の城壁に囲まれており、7000人以上が居住していました。
いま形が残っているのはほぼ王様、学者などハイステータスの人たちの居住区。
発掘当初は小さな像や鳥葬のお墓がたくさん出土しました。
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壁に穴が穿ってあるが、これは仏像を置いたのではなく火をたいたあと。拝火教だからですね。たくさんある小さな穴は後年できた鳥の巣。壁画はすでに切り取って保存済みです。
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周囲は砂漠で、白く見えるのは塩。むかし海だったから。乾燥化はすでにアヴェスターにも言及があるくらい古くから始まっていたが、深刻化したのは1960-70年代ということ。灌漑が主因ですが「ソヴィエトが核研究施設を作って水をたくさん使ったからだ」との話もあるそう。そうなん?まじで?

共和国の北西にはアラル海がありますが、いまはほとんど干上がって、錆びた船が砂漠に点在して観光名所化しました。しかし「船の墓場」と呼ばれるのを地元の人はとても嫌がっているそう。墓場になんか住んでいない、「水は隠れているだけ」と。

2カ所目、アヤズ・カラ。こちらは紀元前4世紀。「アヤズ(寒い)・カラ(城)」という意味。周辺のキジルコム(砂漠)は「赤い砂」という意味。丘の上に造られた円形の練兵場だったとのこと。
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今日のメインの観光地であるわりに掲載した写真が少ないですが、絵柄に変化がないからというだけで、弊管理人はすっごい楽しんでいっぱい写真とってます。だいたい1日300枚ペース。
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この先の旅程はモスクとメドレセが多かったので、これが見られたのは変化がついて大変よかったです。

昼食はアヤズ・カラの麓のゲルで、かまど料理。
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ラクダは凶暴なので、あまり近づかないで下さいとのアナウンスあり。

薪は綿の木で、11月くらいから集めて暖房や煮炊きに使うそう。メニューはクッキーやドライフルーツと、玉ねぎやトマトのサラダ。今はナスのシーズンだが食べ過ぎるとお腹を壊すそうです。嫁に食わすなのあれですか。
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スープに入っているのは干した牛肉で、各家庭で自作するのでスーパーにはないもの。
メインは「デュムラマ」という遊牧民料理。日本料理で近いのは「肉じゃが」。ただし具は夏だとジャガイモ、秋はキャベツが入り、冬はカボチャになります。
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今日のはジャガイモとキャベツ。塩だけでこんなに味わいが出るのかな、と思うくらいおいしくて、たくさん食べてしまいました。干した牛肉がいい出汁を作っているのかも。ここでもメロンとスイカがデザート。

なお、水が貴重なので皿は取り替えないで、サラダからデザートまで全部1枚で食べる(スープのボウルは別)そうです。
日向はたぶん35度以上ですが、乾いているので汗でべとべとしません。日陰に入ると風が吹き抜けてむしろ涼しいくらい。ちなみに夜はたぶん17度とかで、長袖羽織ってもいい。

バスで戻って、夕飯はヒヴァの城内で、ナン、サラダ、餃子、豆のスープ、そして「シュビト・オシュ」というハーブを練り込んだ緑色のパスタ。名古屋「マウンテン」のアレ的なインパクトある見た目ですけど。ヨモギっぽい風味の麺です。脇についてるのはヨーグルト。味を見ながら混ぜて食べます。
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デザートにまたスイカとメロン。
とにかく油が多いです。同行の人たちと話題にしたくてできませんでしたが、ホテルでンコすると、便器の水に油の膜みたいのが浮くんですよね。

夕方、ナン(発音は「ノン」)を焼くかまどに薪をくべるマダム。
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展望台に上って夕景や日没と月の出を見ました。
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ホテルに戻る前に、同行のマダムたちと近所のスーパーに行ってワイン購入。ガイドさんからサマルカンドの「バギザガン」を激押しされ、白を買いました。13000スム。だいたい200円。めちゃ安い。ちなみにレストランでジュースを頼むと15000スム。水はレストランでは無料、スーパーだと500mlのペットボトルで1000スム、14円。
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そういえばイスラム教国じゃなかったっけ。
ま、コーラン的には酔っ払わなければOKだったと思うけど。

部屋に戻って、PCで今日のメモを打って、写真も保存。
一部写真がバグって消えた。数枚だけどおっかない。PCとカメラを使ってSDカードをクリーンアップするなど多少の作業が生じました。PC持ってきてよかった~

(9月2日記)

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2018年08月25日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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