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スウェーデン再び(1)

2012年に「多分もう行かない」と締めくくったストックホルムとその周辺に、また仕事で数日滞在することになってしまいました。ギチギチの日程だったので、ここに書ける仕事以外の部分があまりありません。

ある日の仕事がはけた後に、15この橋をくぐりながらストックホルムを眺める2時間のボートツアーに参加しました。日本語でスウェーデンの歴史や風土の解説が聞けるのがよかったです。

前回は一日中暗くて寒い冬でしたが、今回は夏。
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18時発の最終便にして、これ。夕暮れが来る気配がない。
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すげえ眩しいです。外を歩く仕事が多かったこともあり、日本に帰ってきたら顔が日焼けしてました。
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バルト海からメーラレン湖に入るところ。いったん水門を閉めて、水位を湖面まで上げて出ます。
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ここぞとばかりに日光を浴びる人たち。UVケアとかそういうのないの?
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スウェーデンは島の数3万。レジャー用ボートは70万もあって世界一だと言ってました。
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2004年のオリンピック開催地に手を挙げて、そのとき選手村になるはずだった住宅街Hammarby Sjöstad。
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工業地帯を頑張って土壌浄化したとのこと。太陽光パネルやカーシェアなどを導入したエコな街だが、住居費は結構高いらしい。
20時半になるとさすがに夕日っぽくなってきますが、23時くらいまで日暮れが来ません。北緯59度の威力はすごい。
早寝早起きしていたので夜は見ませんでした。これだけ夏に一日中明るかったら冬はアレでも仕方ないわな。

* * *

食べたもの、あれこれ。
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Mäster Andersというレストランに連れて行っていただき、鱈。
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ついてる白い壺はヨーグルトでした。ものを酸っぱくして食べますね、ここの人たち。
現地の食べ物に入れ込んでいるわけではないので、一人の時は大体フードコートやテイクアウェイのお店でアジアの料理を食べてました。野菜も食えるし。
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これで1000円くらいです。何食っても高い、という感覚は前回と同じ。
あと、MAXというご当地バーガー。マクドナルドが上陸するより前からあるらしい。
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タッチパネルでメニューを選んで、クレジットカードで決済します。別に窓口で頼めば、って気もしますが……

「ほら、うちってハイテクの国じゃん?」っていうフレーズを滞在中、何度か聞きました。
電話メーカーのエリクソンはスウェーデンの会社です。1900年代初頭、電話の数がイギリスより多かったとのお話も。その辺が誇りのようです。

「19世紀のスウェーデンは、貧しい国でした」というのもよく聞きました。
暮らしが厳しくて移民が続いた。これじゃいかん、ということで民主化を進めて、普通選挙入れて、工業頑張って、福祉国家にして、「んで今の豊かな生活があるのです」という、何か成り上がり社長のサクセスストーリーみたいな筋書きがよいのでしょうか。

ちなみにハンバーガー屋のレシート。
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「100%カーボンオフセットです」と書いてあります。製造過程で出る温室効果ガスを、アフリカで植林してチャラにしているということ。
アーランダ空港から市内に出る急行列車では「空港往復はこれが最も環境に優しい手段です」とアナウンスがありますし、市内を走っているバスには「バイオガスで走ってます」とペイントしてある。やたら環境環境言います。今はまあそういうのがトレンドだとしても、あえてこれはなぜかと某詳しい人に聞いてみると
(1)林業が大きい国なので、酸性雨の問題があったときに身にしみた
(2)もともと自然の中で暮らしてる人たちだから
という理由を挙げてくれました。

旅の中でときどき聞いたフレーズに「まあちっちゃい国ですから」というのがあります。人口900万人は北欧では大きいが、確かに人口規模としては東北地方まるごとで、ストックホルムの90万人はだいたい仙台くらいと思うと、小さいというのも分かる。
こういう国だから「エコを国是にするぞー」とかいう時の取り回しのしやすさがあるのかも、と推測しました。石油産業がない(輸入したものの精製くらいしかしてない)というのも理由かもしれない。でもボルボやサーブみたいな車のメーカーや、鉄鋼とかのエコアンフレンドリー産業(?)もあるんだけど、こっちは大丈夫なのかどうか。

あと今、左派の連立政権なのもあるかな、とも思ったのですが、環境政策に関しては極右の1党を除いてだいたい合意ができるそうなので、これはそんなに大きくなさそうです。電力の4割をまかなっている原発に関しては多少の濃淡があるようでした(あとは水力が大きくて、他の再エネなどがちょぼちょぼ)。現政権は「長期的に見ると持続可能とはいえない」というスタンスで、いずれ再生可能エネルギーに置き換えていきたいと思っているようです。

* * *

ABBAと、スウェーデンのポップ音楽を扱った博物館。
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ABBAって弊管理人はよく知らなかったのですが、曲を聴いたら知ってるのばっかりでした。
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映像合成でステージで一緒に歌える展示とか、凝ってて面白かったのですが、それより1920年代から2010年代までの世相と音楽を辿るコーナーが勉強になりました。

ラジオで音楽を放送するということがまだあまりなかった1920年代初頭は、ダンスサロン(踊れるレストラン)と、アメリカから訪れるポップスやジャズのバンドが人々の欲求を満たしていた。
1930年代になると、ファシズムや人種差別はスウェーデンにも波及。そうした歌詞も現れる。

1940年代、第2次大戦でスウェーデンは中立を貫いた(そしてそれはかなり批判された)。ものがなかった。音楽の選択肢もなかった。といってアメリカの音楽にも飽き足らず、スウェーデン・ジャズが勃興した。テレビの導入はどんな制度でやるかが議論になり、政府がテレビの放映を許可したのは1956年になってから。

1950年代、「ベビーブーマー」という言葉が生まれた。ロック、プレスリーの上陸(何事につけ遅い)。社会との軋轢。

1960年代、暗い時代。ヘミングウェイ自殺、ベルリンの壁、キューバ危機、そしてスウェーデン出身の国連事務総長ハマーショルドの事故死。でも音楽ではビートルズ!世界的ブレイクの前に来ていて、テレビの音楽番組に出て受けていたそう。あと、スウェーデン・ジャズも盛り上がっていた(そうなんだー)。

1970年代、やっと二つ目のTVチャンネル出来。すっごく左翼だったらしい。この時代には"progg"という音楽が生まれた。プログレとは関係なく、フォーク+ロックみたいなもので、歌詞は多分に政治的だったという。ABBAは1972年に結成、2年後のユーロビジョンで勝利。同じ服装でみんなで踊る「ダンスバンド・カルチャー」というのができた(竹の子族みたいなやつか)。

1980年代、シンセサイザーがproggを掃討。ロックにおける「ロッカー」に対応する"Synthare"の綴りについて言語学者が侃々諤々の議論をしたらしい。学生の間では、シンセかハードロックかが争われていた。アメリカではMTVがスタート。

1990年代以降はもう同時代で、知ってるでしょ?とばかりにアーティスト名を並べる感じの書きぶりでした。2011年に音楽賞を男女別に贈るのをやめた、というのはスウェーデンらしいなと思いました(先進的というにはちょっと遅い気がするが)。

* * *

続かないつもりが、長くなってお腹がすいてきたので、続く。

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2016年06月05日 17:15に投稿されたエントリーのページです。

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