« 窓ふき | メイン | 図書館とNML »

子どもの脳死・移植

■杉本健郎『子どもの脳死・移植』クリエイツかもがわ、2003年。

仕事絡みで勉強のためにこのテーマの資料をどんばん当たっているところです。

本書はお子さんが交通事故に遭い、脳死、移植を経験した小児科医がお書きになってます。
家族の死を看取る病室の筆者が、専門家と親の視点をいったりきたりしながら事実を見つめ、記す。なんかずーんと重い気持ちになります。こういうのはなんか類似の経験がない人にはあまり響かないと思いますけどね。

7月に、15歳未満からの臓器提供もできるとした改正臓器移植法(A案)が成立しましたが、この本はかなりのページを割いて小児の脳死臓器移植を検討しており、資料的にも非常に勉強になります。

コメント (6)

e-com:

J通信は同期に取材申し込んでるらしいよ。
子どもの移植で報道されたけど、A案って、実は大人も親族がOKすれば移植されちゃうわけで、数年前散々議論された「本人の意志」を骨抜きにする驚くべき改正案で、何が起きとるんかなあと思っとります。(経済論の暴走かな?)

管理人:

いやまあ、大人は移植されたくなければ「いやです」という意思表示をしておけばいいわけで、本人の意志は骨抜きにはなってなくない?(ただし意思表示を「しない」場合は親族に判断が委ねられてしまう。ここを問題と見るかそんなもんだろと見るか)
その点子供は大問題になると思う。

ほかにも死体の臓器って誰のもんやねんとかいろいろ人文的に面白いテーマは芋づるでつながってるんだけど、そのへんあまり深入りしても「面白いだけ」っぽいので仕事上は別のところで忙殺されときますわー

で、同期って何系の?

e-com:

つhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326101741/ryospage03-22

ドナーカード=あげますカードなわけで、嫌ですといわないととられちゃうかもというのは大きな転換だよぅ。身内になんか会ったときに、混乱してるときに「善意の提供を!」とせまられるのもいやだしさ。

管理人:

・ドナーカード、「あげません」とも書けるのよ。
・「嫌ですといわないと……」がポイントなのはピンポン(←なついw)。でも故人の遺志が不明なときに遺族がGOを出すかについてはわたしゃ懐疑的だなー(で、遺族に好きにされるのなんて嫌じゃ!と思う人はドナーカードを持てばいい、に戻る)
・ちなみに混乱してる家族に接触するコーディネーターは「提供することもできるが、提供しないこともできる」と中立的であることにもんのすごく気を遣ってるらしい(所属する臓器移植ネットワークは推進機関でないことで自身の信頼性を高めようとしている)

・献体の人は脳死にコメントするのアリなのかしら

e-com:

アリかどうかは読んでみれば?(人としてアリかというのと、本人がほいほい答える人かはまた別の問題ね。)

私も、別に意志(主体)万歳!じゃないのだよ、念のため。
関心がない人はカードに気がつかないと考えると、「誰でも潜在ドナー」っていう世界に向けて舵を切り始めた感じがするので、ドネーションをめぐる言説の大きな変容だと思えておもしろいねえ、って感じ。
そもそも「善意」に依拠したドネーションの各制度自体が実は経済論と技術論の効果でしたという話だけど。仮面がはがれつつあるような。でも、どうしてもいやならドナーカード持て!と言われると、ねじれた形で意志論が残っているとも言えるし。(ここいらで思考停止。)

管理人:

> アリかどうかは読んでみれば?

大変すみません。

意思表示したくない私の意思を勝手に振り分けていい派といけない派って、どうやって対話するんだろうねー。脳死下臓器提供もそうなんだけど、ふと10年くらい前に同級生故K氏と一瞬やった「投票棄権者は投票結果に文句を言えるか」という議論を思い出したことだ(詠嘆)。

あと「語られ方業界」の人と「政策業界」の人の対(ry

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2009年08月19日 19:33に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「窓ふき」です。

次の投稿は「図書館とNML」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35